東京都阪納市安須。人口約900人のごく平凡な山間の街で、大規模な洗脳のような異変が発生した。政府は警視庁SIT(捜査一課特殊班)を送りこみ、それに女性陸上自衛官・織見奈々も同行する。だが、精鋭揃いの警察官たちは、何ものかの襲撃により、次々と姿を消していく。そこには想像を絶する怪物「テュポーン」が潜んでいた―!バイオホラー、ミリタリー、アクション、モンスター―あらゆる要素を備えた、圧倒的スケールのエンタテインメント巨編!(「BOOK」データベースより)
本書『テュポーンの楽園』は、いわゆるマッドサイエンティストものと言われる長編のノンストップホラー小説です。
東京都阪納市という街を舞台に、「テュポーン」と名付けられた異形の生物を相手に戦う警察、自衛隊の姿が描かれています。
「テュポーン」とは、大地の女神ガイアから生まれたといわれるギリシャ神話に登場する神で、怪物たちの王だそうで、それほどに強烈な怪物だということでしょう。
「異形の生物」相手の闘争といえば、まず思い浮かべるのはD・R・クーンツという作家です。『ファントム』という作品で描かれていたのは町の住民が居なくなってしまう状態であり、「太古からの敵」という正体不明の存在が描かれていました。
他にロバート・R・マキャモンやF.P・ウィルスンなども挙げることができ、彼らのエンターテイメント性が高く、スピーディーな展開を見せる作品群は、モダンホラーとも呼ばれていました。
モダンホラーといえばスティーブン・キングがいますが、彼の作品とはとは少々異なり、よりエンターテイメント性の高い作品群だと思います。
日本で言うと、夢枕獏の『サイコダイバー・シリーズ』や菊地秀行の『魔界行シリーズ』などのエンターテイメント性の高い、エロスとバイオレンスに彩られた作品群が発表されています。
なかでも本書『テュポーンの楽園』の作者である梅原克文という作家の『二重螺旋の悪魔』や『ソリトンの悪魔』は、本人はSFとは呼ばないそうですが、より客観的であり、SF的であったと思います。
このように、本書は梅原克文という作家が一番得意とする分野だと思うのですが、残念ながら本書はかなり冗長な作品だったといわざるを得ません。
とにかく書き込まれている情報量はものすごいものがあります。巻末に挙げられている参考資料も、警察や自衛隊関連の資料に加えて脳科学の資料など、合わせて四十冊を超える書名が挙げられています。
本書の描写は、そうした取材の過程で作者が気に入ったエピソードや知識のすべてを網羅しているのではないかと思うほどに詳細です。
例えば、自然界には微生物が寄生して宿主の行動を操る実例が多数あるとして、トキソプラズマや冬虫夏草、腸内細菌などについて三頁以上にわたって述べてあります。
こうした自然界の実例や、自衛隊の備品、装備などが登場するたびに詳しく説明してあるのですから、そちら方面に関心のあるマニアックな読者は別でしょうが、もう少し簡潔に書いてもらえればと思ったものです。
この緻密な描写が、決してうまいとは思えない武骨な文章で積み上げられ、原稿用紙1700枚、2段組645頁という分量になっているのです。
ただ、治安出動、防衛出動の場面においての、それぞれの法的根拠や責任の所在の問題など、普通一般人の思考の範囲外にある事柄も説明してあり、そうした場面は私も関心のあるところでしたので、引き込まれてしまいました。
自衛隊の出動という場面に限って言えば、安生正の『ゼロの迎撃』などでも国内における戦闘行為の難しさを描いてありました。近年、「シン・ゴジラ」で描かれた政府内の描写がかなり高く評価されていましたが、あれが実情なのでしょう。
本書に盛り込まれている情報は、ガイア理論などあまり実用的とは思えない考え方も紹介してありますが、先に述べた治安出動時の問題点や、日本国内における電波帯域の制限の問題など実は大切な問題もかなり含まれていそうです。
物語としてみると、これまで述べた冗長性の他に、描かれている警察官や自衛官が少々感情的ではないかと思われる違和感はありました。
一般自衛官ではなく、それなりの訓練を受けた空挺部隊や警察官にしてもSITなどの専門家は指揮命令下の反応はかなり厳密だと聞いたことがあり、本書で描かれている様子は、私が聞いた実情とは少々異なると思えます。
特に、個々の隊員の撤退命令に対する反応や、何よりもクライマックス近くの師団長の言葉に対する幕僚らの反応などは軍人の態度ではないと思われるのです。
更に一点疑問点を述べるとすれば、これだけの大事件であるのに、行政などへの助言者として描かれている科学者が織見奈々の父親である黒田玄造しかいないことでしょうか。いくら何でもそれはないと思うのですが。
本書『テュポーンの楽園』を全体としてみると冗長という一点に尽きます。しかしながら、クライマックス近くになってくると物語のテンポが急激に上がり、リズムが良くなります。説明的な文章が無くなっているからでしょう。
梅原克文という作家は、個人的にはかなり押している作家さんですが、ここ数作の『心臓狩り』や『カムナビ』はあまり出来がいいとは思えませんでした。
本作はそれらの作品よりはいいとは思うのですが、それでも全力で面白いから読んでくださいとまでは言えないのです。
とはいえ、本書のような視点の作品は私の好みの分野でもありこれからも読み続けたい作家さんの一人です。