滅びの前のシャングリラ

本書『滅びの前のシャングリラ』は、一月後に小惑星が衝突し滅亡するなかで生きていく四人を描いた、ハードカバー版で440頁の長編小説で、2021年本屋大賞にノミネートされた作品です。

この作者の前作『流浪の月』とは異なる作風で、家族や友達、仲間などのあり方を描きだしてある、かなり惹き込まれて読んだ作品でした。

 

『滅びの前のシャングリラ』の簡単なあらすじ 

 

「一ヶ月後、小惑星が衝突し、地球は滅びる」学校でいじめを受ける友樹、人を殺したヤクザの信士、恋人から逃げ出した静香。そして―荒廃していく世界の中で、四人は生きる意味を、いまわのきわまでに見つけられるのか。圧巻のラストに息を呑む。滅び行く運命の中で、幸せについて問う傑作。(「BOOK」データベースより)

 

中学のクラスメイトの井上たちからいじめを受けていた恵那友樹は、小学生の頃に少しだけ話したことのある学校一の美少女藤森雪絵に一方的に恋をしていた。

一か月後に小惑星の衝突で皆死んでしまうことが分かってから、藤森さんはかねてから言っていた東京行きを実行すると言い出し、友樹をいじめていた井上が送っていくという。

彼らのあとをつけていた友樹は、上京の途中の品川の手前で立ち往生した新幹線を降りた藤森さんを襲い始めた井上を殺してしまい、藤森さんとともに東京を目指すことになった。

一方、友樹の母親の静香は、突然現れた信士の車で東京へと向かうのだった。

 

『滅びの前のシャングリラ』の感想

 

本書『滅びの前のシャングリラ』の作者の凪良ゆうという作家さんは、『流浪の月』で2020年本屋大賞を受賞しており、本書で2021年本屋大賞にもノミネートされています。

この『流浪の月』は、文章は見事だと感じたものの、個人的な好みとは異なる作品だとの印象を受けていました。というのも、この作品は、個人の内面を詳細に描写する作品であり、私があまり好みではない分野のものであったのです。

 

 

ところが本書『滅びの前のシャングリラ』は、『流浪の月』とは同じ作者とは思えないほどに内容も作風までも全く異なる作品として仕上がっていました。

まず本書は、一ヶ月後に小惑星の衝突により滅亡する地球、という舞台設定からして特異です。

小惑星の衝突だからと言ってSF作品だというわけではありません。単に滅亡を前提とする極限の世界を借りているだけです。

ひと月しか生きることができないという極限の世界で、人々は如何なる生き方を選択するのかを、江那友樹ほかの多視点で描き出しています。

 

また『流浪の月』では登場人物が自分の内面を見つめる様子が深く掘り下げてありました。

しかし本書『滅びの前のシャングリラ』では、登場人物の行動面に重きが置かれているようです。

内心を描いてないわけではありません。特に信士や静香などにおいては暴力の主体としての心情が描かれており、友樹や雪絵は暴力を受ける側の心情がとして描かれています。

 

また、本書は四つの章ごとに視点が異なります。そして書き出しが似ていて、一定のリズムを作り出しています。

第一章「シャングリラ」は「江那友樹、十七歳、クラスメイトを殺した。」、第二章「パーフェクトワールド」は「目力信士、四樹歳、大物ヤクザを殺した。」と始まっています。

そして第三章「エルドラド」は「江那静香、四十歳。」、第四章「いまわのきわ」は「山田路子、二十九歳、恋人を殺した。」と始まっていますが、こうした遊び感覚も前作では無かったのではないでしょうか。

 

第三章までは、江那友樹とその友人の学校一の美少女藤森雪絵との無法地帯となった世界での東京行きの様子を中心に描いてあります。

そして、信士と静香それぞれにバイオレンス感満載な人物たちであり、友樹の母親である静香など、本当に友樹の母親かというほどにヤンキー感丸出しです。

彼らの、いじめられっ子の友樹と学校一の美少女である雪絵という二人との絡みが読ませます。

そして最終章ではこの三人とは無関係の歌姫が登場し、話はクライマックスに向けて盛り上がっていきます。

 

本書と同じように近い将来の小惑星の衝突を控えた人類を描いた作品として伊坂幸太郎の『終末のフール』という作品があります。

三年後の小惑星の衝突で全人類は滅亡します。でも現在ではその事実が分かってから既に五年が過ぎているのでパニックも収まり、社会はそれなりの平穏を取り戻しています。

そうした世界での仙台北部の団地「ヒルズタウン」を舞台に、個々の住民たちの様子が描かれています。

いかにも重く、暗い話のようですが、決してそのようなことはないホームドラマであり、三年後の滅亡が判明している社会で人はどう生きるのかと、生きることの意味が問われる短編集です。

 

 

結局、本書『滅びの前のシャングリラ』は、前著『流浪の月』とは全く違く顔を見せた作者の力量を見せつけた作品です。

エンターテイメント性の強い作風に載せ、家族の有りようを描き、生きることの意味を問うていると言えそうです。

流浪の月

流浪の月』とは

 

本書『流浪の月』は2019年8月に刊行されて2022年2月に355頁で文庫化された、長編小説です。

誘拐犯とされた小児性愛者の男とその被害者の女の独特なありようを通して、人間同士や社会との関係性のあり方を描きだした、2020年本屋大賞を受賞した長編の現代小説です。

 

流浪の月』の簡単なあらすじ

 

家族ではない、恋人でもないーだけど文だけが、わたしに居場所をくれた。彼と過ごす時間が、この世界で生き続けるためのよりどころになった。それが、わたしたちの運命にどのような変化をもたらすかも知らないままに。それでも文、わたしはあなたのそばにいたいー。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。本屋大賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

 

流浪の月』の感想

 

本書『流浪の月』は、個人的には読み通すことが苦痛、とさえ感じられた苦手な分野の作品でした。

しかし、本書が第41回吉川英治文学新人賞候補作や2020年本屋大賞の候補作に選ばれていることや、各種のレビューで高い評価を得ていること見ると、私の感想は普通とは異なるようです。

つまりは私の感覚は多くの人とは異なることになります。

 

でも、本書での主人公の更紗という女性やという男の描かれ方を見ていると、どうにも落ち着きません。それは彼らの他者に対する主張が、全くと言っていいほどになされていないことからくるいらだちにあると思われます。

この作者の流れるようなタッチの文章、表現力は確かに素晴らしいものだと思います。しかしながら、表現されている登場人物の心象表現は私の良しとするところではないのです。

 

これまでにも個人の内面を詳細に描写する作風の作品に対して好みではない、と書いてきました。

例えばそれは西加奈子の『i(アイ)』という作品や、藤崎彩織の『ふたご』という作品がそうでした。

i(アイ)』は2017年本屋大賞のノミネート作品で、自分の出自などから自分自身の存在自体に不信感を持つ女の子で、この主人公の内面を執拗に描き出す作品でした。

次の『ふたご』は第158回直木賞の候補作であり、「SEKAI NO OWARI」という人気バンドのメンバー藤崎彩織が書いた小説という点でも話題となった作品です。

この『ふたご』という作品は、主人公の夏子と一つ年上の月島という男との物語である第一部と、月島を中心としたバンドの物語である第二部とからなっています。つまりは、夏子の内心を通して表現される月島の行動と、その行動に振り回される夏子自身の姿が描かれています。

 

 

本書がこれらの作品と違うとすれば、それは作品が特定の人物の内心に拘泥するという点だけではなく、登場人物の、他者へのかかわり方の消極性の描写も加わっているということでしょうか。

他者は言葉をつくしても自分を理解してはくれない、という思いで自己主張ができなくなっていった登場人物たちの姿は、読んでいて苦痛を感じてしまいます。

 

それでも、本書で取り上げている、社会が「レッテル」を貼ることの怖さというものは否定できるものではありません。

そのことを、本書のような特殊な状況を設定した上で、レッテルを貼られた側の人間の目線で当事者の苦悩を描いているという点は見事だと思います。

私は文に恋をしていない。・・・けれど、・・・、文と一緒にいたい。・・・私と文の関係を表す適切な、世間が納得する名前はなにもない。

という更紗の思いなどはうまい表現だと感心するしかありませんでした。

主人公の感情は社会から未定義の、未だ承認されていない感情であり、他者には理解できない感情だということを端的に表現していると思います。

そして、こうした表現が多くあり、そのことは感心するしかないのです。

 

ただ、疑問に思う表現もあることはありました。例えば、

これが自由なのかと、ふと疑問がよぎった。
ぼくがここにいることにも、いないことにも、なんの意味もない。
どこにいこうが、ここに居続けようが、誰も気にしない。

という文の思いは特別なものではなく、大多数の人間が抱く思いそのもではないか、人間は他者の存在にそれほど気をとめてはいないのではないか、とも思ってしまいます。

勿論、前後の文脈を考慮することなく、この箇所だけを取り上げて論じてもあまり意味はないことなのでしょうが。

こうした疑問も含めて、私の好みではなかったのです。

 

結局は、これまでも当ブログで何度か書いてきた、良い本だとは思うけれど、私の好みとは異なる作品だった、というしかないようです。

 

ちなみに、本書を原作として、広瀬すずと松坂桃李というキャストで映画化されています。