家守綺譚

家守綺譚』とは

 

本書『家守綺譚』は『家守綺譚シリーズ』の第一弾で、2004年1月にハードカバーで刊行され、2006年9月に208頁で文庫化された、長編のファンタジー小説です。

綿貫征四郎なる文筆家が記したという形態で記された随筆風の作品であって、心が豊かになる実にゆっくりとした時間を過ごすことができる作品でした。

 

家守綺譚』の簡単なあらすじ

 

庭・池・電燈付二階屋。汽車駅・銭湯近接。四季折々、草・花・鳥・獣・仔竜・小鬼・河童・人魚・竹精・桜鬼・聖母・亡友等々々出没数多…本書は、百年まえ、天地自然の「気」たちと、文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる新米精神労働者の「私」=綿貫征四郎と、庭つき池つき電燈つき二階屋との、のびやかな交歓の記録である。-綿貫征四郎の随筆「烏〓苺記(やぶがらしのき)」を巻末に収録。(「BOOK」データベースより)

 

家守綺譚』の感想

 

本書『家守綺譚』は、とある家の家守を頼まれた綿貫征四郎が、その家の有する広い庭や、その家近辺の自然を愛でつつ、日々発生した出来事について記していく随筆風の連作短編集です。

一話が十頁にも満たない短編からなっていますが、その内容は奥行きが深く、ゆったりと落ち着いた時を過ごすことができます。

 

本書はファンタジー小説ではありますが、私が近頃読んだ小野不由美の『十二国記シリーズ』や上橋菜穂子の『獣の奏者シリーズ』のような明確なストーリー性を持った作品を期待して読むと裏切られます。

本書は確かにファンタジー小説と分類はされますが、上記のような作品とは異なり、誤解を恐れずに言えば水木しげるの漫画が持つ雰囲気をもっと素直にして、つげ義春の漫画が持つ奇妙な違和感をまぶしたような作品になっています。

と書いても、漫画好きではない人や若い人には分からないでしょう。言ってみれば自然を描いた随筆のような、日々の出来事を紡いだに過ぎない小文だと言っても良い作品です。

 

 

家守綺譚』で描かれている場所や時代については、本書文庫版の吉田伸子氏の解説によると、単行本には「それはついこのあいだ、ほんの百年すこし前の物語」とあったらしく、場所についてはネットでは多分ですが京都の山科あたりだろうという見当がつけられているようです。

たしかに、本書の文章は明治期もしくは大正初期の文豪のそれを思わせる落ち着いたものであり、さらに描かれている風景も現代の風景ではありません。

本書全体として明治後期あたりの雰囲気を醸し出しているのですから、作家という人たちの感性や文章の力にはあらためて脱帽するばかりです。

 

とにかく本書『家守綺譚』は読みやすく、かつ優しい文章で綴られているのですが、軽く読めるわりに突然ファンタジーの世界に放り込まれていることに気づきます。

なにしろ、第一話から死んだはずの親友の高堂が床の間の掛け軸に描かれた湖からボートに乗って部屋の中に現れ、庭にあるサルスベリの木がお前に惚れている、と告げてくるのを、主人公は平然と受け止めているのです。

第二話では、本書を通して何かと助けてくれるゴローと名付けられた犬や、隣のおかみさんが登場します。

それ以降の話では、庭を流れている疏水にいる鮎を掛軸の中にいたサギが狙っていたり、河童が流れていたりと、なんともファンタジックな生き物が普通に登場してきます。

その上で、先に述べた隣のおかみさんや、何かと主人公の前に現れる長虫屋、それに学生の後輩で編集社員の山内という男などの登場人物たちも主人公の住む家や世界に起きる不思議な現象を当たり前のこととしているのです。

 

まさにタイトル通りの「家守」をしている主人公綿貫征四郎の奇妙な話「奇譚」であり、なんとも不思議な小説でした。

本書『家守綺譚』には綿貫征四郎の忠犬ゴローを探す冒険の旅を描いた『冬虫夏草』という続編があるそうです。

また、梨木香歩には本書と同じくとある家の庭を舞台にした『裏庭』という第一回児童文学ファンタジー大賞を受賞した作品もあるそうで、いつか読んでみたいものです。

 

西の魔女が死んだ

本書『西の魔女が死んだ』は、文庫本で226頁の長編の児童文学書です。

中学校に進学した一人の少女のひと夏の出来事を描いた、静かな、しかし心に沁みる一冊でした。

 

西の魔女が死んだ』の簡単なあらすじ

 

中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも…。その後のまいの物語「渡りの一日」併録。(「BOOK」データベースより)

 

中学校に進学はしたものの、クラスに馴染めないでいた一人の少女の、この少女まいのお祖母さんの自然の中にある家で過ごしたひと夏の出来事を描いた、ただそれだけの物語です。

 

西の魔女が死んだ』の感想

 

本書は淡々と語られる文章が、一人の少女まいの日常を浮かび上がらせます。

その作品が、日本児童文学者協会新人賞、新美南吉児童文学賞、第44回小学館文学賞の各賞を受賞し、2008年6月には実写映画化されました。

 

 

文章が取り立てて上手いという印象はありません。しかしながら、文庫本で全192頁と頁数もそれほどなく、一位頁あたりの文字数も少ないこともあってか、とても読みやすい小説でした。

いや、読みやすいのはこの物語が短いからだけではなく、この本が児童文学というジャンルで語られることでもわかるように、読者の対象年齢が低いこともあるのでしょう。

でも一番の理由は、決して上手いとは思えないこの文章の語りが、お祖母さんの家の雰囲気を描写する際の空気感の醸成が抜群であるところにあるようです。

 

私自信にも、幼い頃に夏の間だけ過ごした祖父母の田舎の家がありました。

裏には竹やぶがあり、その先には大きすぎない川が流れているその家で過ごした夏休みは、幼い私にはかけがえのない体験でありました。

そんな個々人のかつてを思い起こしつつ、若干のファンタジーの香りを漂わせながら物語は進んでいきます。

お祖母さんに魔術を教わる少女まい。日々の暮らしの中で、「自分で決める」ことを学んでいくまい。そして、ゲンジという嫌味な親父との確執があり、そのことが原因でお祖母さんと仲たがいをしてしまうまいです。

 

児童文学と言えば上橋菜穂子がいます。第4回日本医療小説大賞や第34回野間児童文芸新人賞を受賞した『精霊の守り人』はシリーズ化されていますが、この人の作品では何といっても第12回本屋大賞をとった『鹿の王』が一番知られているかもしれません。

物語の内容としては本書『西の魔女が死んだ』が一人の少女の成長譚的色彩があるのに対し、『鹿の王』は冒険小説であって、少女の内面を捉えた本書とはその趣は異なります。

 

 

もう一点、これは私だけの印象だと思うのですが、何故か井上荒野の『切羽へ』を思い出していました。

本書は中学生になったばかりの少女の成長の物語ですが、『切羽へ』は大人の女のエロス漂う恋愛小説であって、両者は全く異なります。

理由はよく分かりませんが、自然の描き方、文章の醸し出す空気感に似たものを感じたのかもしれません。まあ、このような印象は自分でも普通ではないと思います。

 

 

本書には「渡りの一日」と題された短編も収められていました。本書の主人公の成長したまいの一日です。本書「西の魔女が死んだ」という物語で、「自分で決める」ことを学んだまいの姿を描きたかったのかもしれません。