プリンシパル

プリンシパル』とは

 

本書『プリンシパル』は2022年7月に544頁のハードカバーとして刊行された、長編のクライムサスペンス小説です。

太平洋戦争終結時、父である水嶽組組長の死去に伴い、やむを得ず水嶽組の跡目を継がざるを得なくなった女性の慟哭の数年間を描く、少々冗長と感じたもののさすがに面白さは抜群の作品でした。

 

プリンシパル』の簡単なあらすじ

 

1945年、東京。関東最大級の暴力組織、四代目水嶽本家。その一人娘である綾女は、終戦と父の死により、突如、正統後継者の兄たちが戦地から帰還するまで「代行」役となることを余儀なくされる。懐柔と癒着を謀る大物議員の陥穽。利権と覇権を狙うGHQの暗躍。勢力拡大を目論む極道者たちの瘴気…。綾女が辿る、鮮血に彩られた闘争の遍歴は、やがて、戦後日本の闇をも呑み込む、漆黒のクライマックスへと突き進む。(「BOOK」データベースより)

 

終戦のその日、女教師である水嶽綾女は父親玄太の危篤の知らせを受け、玉音放送が流れるなか疎開先の長野から実家である渋谷の水嶽本家へと帰ってきた。

その夜、父水嶽組組長の玄太は逝き、綾女は未だ戦地にいる兄たちの代わりに喪主を務めるように言われるが、ヤクザを嫌っていた彼女はこれを受け付けないでいた。

しかしその夜、綾女が宿としていた青池家が襲撃を受け、青池修造とその嫁を除いて、乳母であったハツを始めとする青池家の皆は子供に至るまで拷問の末に殺されてしまう。

何とか生き延びることができた綾女は青池家の惨状を目の当たりにして復讐を誓い、そして水嶽組の跡目を継ぐことになるのだった。

 

プリンシパル』の感想

 

本書『プリンシパル』は、二十三歳の女性教師が突然関東最大の暴力団の組長となり、戦後の混乱期を乗り越えていく話です。

お嬢さんが極道の家の跡継ぎになる話、というそのことだけで、ドラマ化もされ人気を博したコミックの『ごくせん』のようなコミカルなタッチの極道ものか、と単純に考えていたら大いに違っていました。

 

 

評論家の香山二三郎氏に言わせれば、赤川次郎の『セーラー服と機関銃』だと思っていたら、フランシス・フォード・コッポラによる映画化でも有名なマリオ・プーヅォの『ゴッドファーザー』だった、そうです( Book Bang : 参照 )。

それほどに、コミカルな点など全くない、全くシリアスな作品だったのです。

 

 

そういうシリアスな本書『プリンシパル』ですが、全体的に戦後日本の裏面史を俯瞰してみているようで、今一つ感情移入しにくい印象から始まりました。

主人公の綾女というキャラクターの描き方も、彼女自身の行動を追いかけているというよりは客観的に事実を報告している印象が強く、この点でも感情移入しにくいのです。

「水嶽商事の力の大きさ」を示すのに、日本政府も警察もハリボテ同然で使い物にならない、などの表現があるだけで具体的な絡みの場面はほとんどなく、会話の中などで水嶽組の評判を示すだけになっているためか、どうにも水嶽組の大きさを実感できません。

また、綾女の負った原罪ともいうべき青池一家の惨劇は常に綾女につきまとい、幽霊とも幻覚ともつかない存在が示されはしますが、それ以上に綾女の個々の行動の理由もよく分かりません。

この随所に現れる青池家族の亡霊らしき存在は、綾女への非難や怨念なのか、それとも彼女への暴力的な生き方への後押しなのか、よく分かりませんでした。

さらに、青池家の惨劇での、綾女を守るために青池家の幼い子までもが拷問に耐え、綾女の居場所を吐かないという設定も、少々真実味にかける印象でした。

 

さらに言えば、登場人物の多さも物語の筋を追いにくくしているように思えます。

水嶽家だけでも、長女の綾女から見て父親で組長の玄太、長兄の麟太郎、次兄の桂次郎、三兄の康三郎、義母の寿賀子、寿賀子の娘の由結子がいます。

そして、悲惨な目に遭う青池家には父親と母親のはつ、それに興造修造泰造佳奈子という兄弟姉妹、修造の妻のよし江がいます。

株式会社となった水嶽組である水嶽商事の役員として赤松須藤堀内がおり、他に飛田という綾女のボディガード、生田目日野といった親分衆が登場します。

ほかにも、水嶽組に敵対する三津田組や、廣瀬通商熊川万里江GHQ関係としてロイ・クレモンズレナード・カウフマン他が登場します。

ほかに歴史上の実在の人物をモデルにしていると思わせる存在として、水嶽組を食い物にする政治家の旗山市太郎吉野繁美という衆議院議員がいますが、それぞれに鳩山一郎、吉田茂をモデルにしていると思われます。

さらに美空ひばりをモデルとしていると思われる美波ひかり、関西最大の暴力団である山口組の田岡一雄を思わせる竹岡組組長の竹岡義雄も忘れてはいけません。

主な人物だけを挙げてもこれほど多いのです。ほかにも多数の登場人物がおり、よくその名前と関係性を覚えていないと混乱してしまいます。

 

しかしながら中盤から終盤に入ると、これまでと同じような凄惨な攻防戦が続く展開ではあるものの、綾女のこれからの成り行きが気になり、次の展開が気になって仕方がなくなってもいました。

それほどに、戦後史という側面はありながらも、綾女という女性をめぐる物語としての面白さが勝ってきたのです。

 

終盤近くになり、戦後裏面史という体裁は単純に私の読み間違えで、ただ、水嶽綾女という女性の生き方を描き出した作品という方が正しいのだと思えてきました。

その歴史はもちろん水嶽組というヤクザ組織を背景にした、水嶽綾女という女性の暴力の積み重ねともいえるのです。

ところが、著者自身が「ノンフィクションに限りなく近い「真実」を描けた」と言っているように、本書『プリンシパル』自体は戦後史を描くことが主眼であったようです( PR TIMES : 参照 )。

とすれば、私が最初に感じた印象が正しかったということになりそうです。

 

ともあれ、当初感じた本書の感情移入のしにくさは、新たに解ってきたGHQの横暴さや政界とヤクザとの関係など、戦後史研究での新しい事実を物語の中に落とし込むうえである程度は仕方のないことだったのかもしれません。

そして、その作者の試みはある程度成功していると言えそうであり、エンターテイメント小説としても実に面白い作品として仕上がっていると言えそうです。

ただ、誰かが言っていた、「超弩級の犯罪巨篇」という言葉はそうだとしても、「著者集大成」という言葉はそのままには受け入れることはできないと思います。

とはいえ、クライムサスペンスとして面白い作品として仕上がっているということは言えると思います。

アキレウスの背中

アキレウスの背中』とは

 

本書『アキレウスの背中』は、2022年2月に刊行された、新刊書で322頁の長編の警察小説です。

陸上のマラソンというスポーツと話題のIR(統合型リゾート)の問題とを組み合わせた物語で、これまでの長浦京作品とは少し変わったしかしとても面白い新しい感覚の作品です。

 

アキレウスの背中』の簡単なあらすじ

 

スポーツビジネスをめぐる利権と国家の威信が、東京でぶつかり合う。公営ギャンブル対象として、世界5カ国で開催されるマラソンレースの東京大会を妨害すべく、国際テロリスト集団が襲撃を仕掛けてきた。標的は日本人最速ランナーと、ランニングギアの開発をめぐる機密情報。警察庁は極秘に、特別編成の組織横断チームMITを立ち上げた。そのリーダーに抜擢された女性刑事は、アスリートを守れるのか。ランナーが、2時間切りという壁の向こうに見たものとは。(「BOOK」データベースより)

 

公営ギャンブルの対象であるワールド・チャンピオンズ・クラシック・レース(WCCR)の第一回目のレースが、2023年に東京都心部で行われることとなった。

ところが、その東京WCCRの出場選手で優勝候補の嶺川蒼選手のもとに脅迫状が届いたらしい。

そこで警察庁が考え出した新たな捜査手法であるミッション・インテグレイテッド・チーム(Mission・Integrated・Team : MIT)が乗り出すこととなった。

下水流悠宇は、一年ほど前に悠宇が担当したDAINEX(ダイネックス)でのデータ窃盗事件が関連しているらしく、警察庁警備局参事官の乾徳秋のもと、上司の間明係長と共にMITへ召集されることとなった。

下水流悠宇を班長とするチームには、警視庁の本庶譲や板東隆信、それに警察庁の二瓶茜らがおり、四人は人は千葉県鴨川市内にあるDAINEXスポーツ総合研究所へと向かうのだった。

 

アキレウスの背中』の感想

 

本書『アキレウスの背中』は、著者の長浦京のこれまでの作風とはかなり異なる印象の作品でした。

アンダードッグス』や『リボルバー・リリー』は、スケールも大きなアクション小説でしたが、本書はそうではありません。

主人公は警察官であり、あるマラソン選手へ届いた脅迫状についての捜査の状況が描かれているアクションメインではない警察小説です。

 

 

しかし、本書はアクション小説ではないということにとどまらず、いわゆる普通の警察小説ともまた異なります。

脅迫を受けた選手が出場する予定の東京ワールド・チャンピオンズ・クラシック・レース(東京WCCR)というマラソンレースが公営ギャンブルの対象レースとなっているところから、単なる脅迫事件の域を越え、国家レベルの事件となっていることがまず挙げられます。

また、脅迫を受けたマラソン選手はDAINEXスポーツ総合研究所という各種競技の選手の身体活動などを科学的に分析し、シューズやウェアの開発に資する施設と契約しており、単なる脅迫事件を超えた世界的なブランド企業のイメージにもかかわる事件なのです。

さらには問題の選手はDAINEXと契約している嶺川蒼というランナーであり、彼はマラソンの日本記録保持者でもあります。

こうして、東京WCCRで起きた何かの不祥事は日本がWCCRという世界的イベントの運営能力を欠くということを意味し、一選手の問題を越えて複数国家、もしくは国家的企業の利害が絡む事態となるのです。

 

そこで、従来の縦割りの枠組みでは対応が難しくなった新手の犯罪に対応するために警察庁が考え出した新たな捜査手法であるミッション・インテグレイテッド・チーム(MIT)が乗り出すことになります。

この件で組まれたチームはいくつかあるものの、本書『アキレウスの背中』で中心となるのは警視庁捜査三課所属の下水流悠宇警部補を班長とするチームです。

このチームには、ほかに警視庁捜査一課第一特殊班捜査二係所属の本庶譲、警察庁警備局警備運用部所属の二瓶茜、警視庁警備部警護課所属の坂東隆信が召集されています。

それに、警視庁捜査三課所属の間(まぎら)明警部補が本庁との連絡役などのために参加し、悠宇の上司として警察庁警備局参事官の乾徳秋警視長がいます。

このミッション・インテグレイテッド・チーム(MIT)という組織は作者の創造したものでしょうが、役所の縦割り行政の弊害は従来から言われているところであり、機動的に動ける組織として考え出されたものでしょう。

 

でも、『アキレウスの背中』の事案においてMITという組織を設定するだけの必要性や有効性があったのかはよく分かりません。

本書で示されているMITの捜査方法が、通常の警察小説、インテリジェンス小説で示される操作方法とは異なっている場面があまり確認できなかったのです。

本書中で間明係長が「今回の案件は、個人や少数のグループの犯行を追う通常の捜査とは違う」と断言していることなど、物語としてのMITという組織の必要性の確認はしてあります。

でも、本書で描写されている捜査のどこが従来の捜査方法では不都合だったのか、私にはよく分かりませんでした。

 

ここで、間明係長に関して言えば、悠宇との関係性がユーモアに満ちていて、じつに親しみを感じる描写でした。

こうしたことは、悠宇という主人公にしてもスーパーマンではなく普通の人間だということ、自分の班長という地位の複雑さに悩み、苦しみ、そして上司に相談するという関係性をも持っているということが読みとれて楽しくなります。

このような点も含め、悠宇のチームのリーダーとしての素質のこと以上に、心構えを丁寧に説き起こしていく様子は、主人公に感受移入するうえでとても効果的に思えます。

また、悠宇と脅迫の被害者であるランナーの嶺川蒼選手との関係性も独特なものがありました。ただ、この点は人によっては好みではないという人がいてもおかしくはないでしょう。

 

嶺川蒼選手については忘れてはならないのが実在のマラソンランナーでこのほど現役復帰を表明した大迫傑選手がモデルだということです。

何しろ、本書のカバー自体が大迫傑選手の写真を使用してあるのですから、その思い入れも相当なものなのでしょう。

本書は、大迫傑選手へのリスペクトが如実に感じられる作品でもあるのです。

 

ところが、本書『アキレウスの背中』も終盤に入り、いざレースがスタートしてからの緊迫感はさすが長浦京の作品と思わせるものでした。

スタート直後は淡々と話が進みますが、ある時点から一気に物語が動き始めます。

そして章が変わり、これまでの各作品ほどではないにしろ、長浦京ならではのアクション場面が展開するのです。

 

いずれにしろ、長浦京という作家は骨太の読みごたえのある作品の書き手としてはずれのない作品を出版し続けると思われ、次の作品を読みたいと思う作家でもあります。

アンダードッグス

本書『アンダードッグス』は、第164回直木賞の候補作にも挙げられた、新刊書で397頁の長編の冒険小説です。

この長浦京という作家の作品はスケールの大きい面白い作品ばかりですが、本書もその例に漏れないよく練られた作品です。

 

アンダードッグス』の簡単なあらすじ

 

裏金作りに巻き込まれ全てを失った元官僚の古葉慶太は、イタリア人大富豪に世界を揺るがす計画を託される。それは、国籍もバラバラな“負け犬”仲間たちとチームを組み、香港の銀行地下に隠された国家機密を奪取するというものだった―。敵は大国、狙うは国家機密!1997年、返還前夜の香港で、負け犬たちの逆襲が始まる。超弩級ミステリー巨編! (「BOOK」データベースより)

 

アンダードッグス』の感想

 

本書『アンダードッグス』は、元農林水産省官僚で、今は証券マンである古葉慶太という男が主人公です。

と同時に、古葉慶太の義理の娘である古葉瑛美というスキゾイドパーソナリティ障害をもつ女性もまた時代を変えた主人公として設定してあります。

 

香港が中国に返還されたのは1997年ですが、本書のメインの物語であるコン・ゲームは、香港が返還されるその年1997年の香港を舞台に繰り広げられます。

中心となる登場人物は、古葉のチームとして元銀行員のイギリス人ジャービス・マクギリス、元IT技術者のフィンランド人イラリ・ロンカイネン、政府機関に勤める香港人林彩華(リンツァイファ)、それに古葉たちのチームの警護役として雇われたオーストラリア人のミア・リーダースです。

それに、皇家香港警察總部の督察(ドウチャ 警部)である雷楚雄(ルイコーハン)や、イタリア人大富豪マッシモの秘書だったクラエス・アイマーロ、アメリカ合衆国通商代表部のフランク・ベローなどきりがありません。

彼らが厳重に守られた香港の銀行からフロッピーディスクや書類を奪おうとし、それを巡って騙し合い、殺し合うのです。

 

そして第二の視点として、20年以上の時を経た2018年の古葉瑛美を中心とした物語があります。

ここでも古葉瑛美がまず逮捕される場面から始まり、そして古葉慶太が数年前に火事のためにすでに死んでいる事実が明らかにされることで驚かされます。

こうして、読者は驚きと共に激流のような物語に放り込まれることになるのです。

 

この古葉慶太の物語と、古葉瑛美の現代での物語が交互に語られることで、少しずつ瑛美の秘密が明らかにされるとともに、過去の古葉慶太の行動で語られていなかった謎が明らかにされていきます。

この物語の流れは読む者の関心を惹きつけないではおられません。本書『アンダードッグス』の帯に書いてあったいろいろな人の惹句は決して大げさではないということがすぐにわかります。

 

ここで、古葉瑛美が罹っているというスキゾイドパーソナリティ障害とは、本書本文には、人づきあい自体が大きな精神的負担となる病気だとの説明がありました。

この病にかかっているという設定については、何故このような設定にしたのかはよく分かりませんでした。しかし、その点は大きな問題ではありません。

 

本書『アンダードッグス』をひとことで言えば、頁を繰るごとに思いもよらない展開が待っているスケールの大きな痛快冒険小説ということになるのでしょうか。

とにかく、先の展開が読めません。意外性に満ちたそのストーリーは、詳細な調査に裏付けられた緻密な描写ともあいまって、スピーディーに、それも圧倒的なリアリティを持って展開されるのです。

というわけで、「簡単なあらすじ」でさえも書くとネタバレになりそうなので、「BOOK」データベースの文章をそのままに「簡単なあらすじ」にさせてもらいました。

繰り返しますが、本書『アンダードッグス』はどれほど言葉を費やしても、結局は、先の読めないとか、スケールの大きなといった形容詞で紹介される小説です。

多数に上る登場人物のほとんどを誰も信じることができず、裏切りに次ぐ裏切りが続きます。

それでいて、これほどに複雑で登場人物が多い小説は、普通はストーリーが分かりにくく、筋を追うことが難しくなると思うのですが本書ではそれがありませんでした。

 

本書『アンダードッグス』の描写の緻密さについては、「いまと昔のガイドブックや資料を山ほど読みました」という著者本人のインタビューに応えた言葉がありました。

香港の細かな状況描写や現地の人、少なくとも現地に詳しい人でなければ知っていないであろう情報などを駆使して逃走劇を繰り広げるのですから、現地をほとんど知らないという作者の言葉は単純には信じられないほどです。

そういえば、この作者の大藪春彦賞を受賞した『リボルバー・リリー』という作品も緻密な描写に裏付けられている物語でした。

昭和初期の東京の街を舞台に戦闘行為を展開するのですから、その街の状況は調べるしかないわけです。

それでも圧倒的なリアイリティを持って描かれるその戦いは読む者を引き付けて離さないのです。

 

 

圧倒的なリアリティのもとに描かれる作品と言えば、『機龍警察』から始まる月村了衛の『機龍警察シリーズ』もそうでした。

コミックやアニメでかなり人気を博した「機動警察パトレイバー」の小説版、と言ってもいいほどに世界観が似た小説です。

しかしながら、単なるアニメ類似の作品として捉えていては大きな間違いを犯すことになるほどに重厚な世界観を持った作品です。

 

 

本書『アンダードッグス』の作者長浦京という作家は、次の作品が待ち遠しい。そう思わせてくれる作家さんです。

本書は残念ながら第164回直木賞の受賞はなりませんでしたが、次回作を待ちたいものです。

マーダーズ

本書『マーダーズ』は、市井にふつうに暮らしている殺人者を主人公にした、新刊書で396頁にもなる長編のミステリー小説です。

登場人物がかなりの数に上る上に、物語が複雑で、ストーリーが追えなくなる場面が少なからずある、評価のしにくい小説でした。

 

『マーダーズ』の簡単なあらすじ

 

この街には複数の殺人者がいる。彼らが出会うとき、法では裁き得ない者たちへの断罪が始まる―現代社会の「裏」を見抜く圧倒的犯罪小説!(「BOOK」データベースより)

 

阿久津清春は、同僚との集まりの帰りに、男に暴行をうけている顔見知りの柚木玲美という女性を助けた。

玲美は助けてくれた清春に対し、清春の友達であり小学校卒業を前に殺された倉知真名美のことを持ち出して来た。

事件の九年後に犯人の大石嘉鳴人や大石のアリバイを証言した関係者など全部で八人が死んだのは清春の仕業だというのだ。

そして、その証拠を公開しない代わりに自分の母親が死んだ本当の理由と、姉の行方を探して欲しいと言ってきた。

そんな清春を、一緒に探索をするように命令された則本敦子という警視庁組織犯罪対策第五課七係の警部補の女性刑事が訪ねてきた。

玲美によると、村尾邦弘という元刑事が二人の犯罪事実を探し出し、清春と則本に探索を頼むようにと言ったのだという。

意にそわないとしても、玲美の言うとおりに共同で捜査を進めなければならない二人だった。

 

『マーダーズ』の感想

 

本稿の冒頭に述べたように、本書『マーダーズ』では登場人物がかなりの数に上る上に、物語が複雑で、ストーリーが追えなくなる場面が少なからずある、評価のしにくい小説でした。

ただ前提として、本書中で指摘してある、犯罪白書という公的な資料から、警察が認知した殺人行為を犯しながらもつかまっていない人間が十年間で二百六人もいるという事実があります。

認知されずに死因不明の異常死とされる年間十七万人のうち九割近くが行政解剖も為されていない現実からしても、「被害者も加害者も実数はきっと何倍にもなる」という玲美の言葉は重いものがあるのです。

そんな現実を前に、一人の刑事が執念深くある誘拐事件を調べていく中で、彼は世に知られていない多くの殺人行為とその犯人を知ることになる、本書の出発点はここにあります。

 

本書『マーダーズ』の基本的な構造は、犯罪を犯しながらも刑に服することなく日常生活を送っている人を利用して、自分の母親の死の真相や行方不明の姉の消息などを調べさせるという点にあります。

つまり本書のユニークな着眼点として、ミステリーとしての面白さを持ちながらも、探偵役に犯罪を犯した人間を据えているところがあげられるのです。

未解決事件の犯人が何を考えているか、同じ犯罪を犯した人間が一番よくわかるというわけです。

そして本書は、北野武監督の映画「アウトレイジ」の惹句にあったように、登場人物が、罪を犯した者という意味で「全員悪人」です。

本書の探偵役も、その探偵役に探偵行為を行わせている人間も、そしてもちろん探偵役が探している犯人たちもみんな罪を犯しています。

 

 

本書『マーダーズ』の探偵役となるのは総合商社日葵明和に勤める阿久津清春というサラリーマンです。また、警視庁組織犯罪対策第五課七係主任の則本敦子もまた清春と共に探索にあたります。

清春と則本に探索を命じるのが建設会社亀島組経理部勤務の柚木玲美であり、玲美の指南役として村尾邦弘という元刑事がいます。

基本的にはこの清春、則本、玲美という三人が中心になって物語は進みます。

 

清春も則本も共に過去に殺人を犯しているもののその犯罪の事実は発覚していません。

玲美は誰も知らない筈の二人の過去を知っていて、玲美の母親の不自然な死の真相と、行方不明になっている姉の行方を探すように命令します。

玲美が何故二人の過去を知っているのかは、村尾という元刑事が探り出したということが明らかにされています。

つまり、元刑事の村尾はとある誘拐事件を調査する中で、世に知られていない様々な殺人事件の経緯を知ったのです。

村尾は、あるNPOで知り合った柚木玲美に元警察官として相談に乗るうちに、自分が知った殺人犯である清春と則本敦子とを選び出し、玲美の望みを叶えるように準備をしました。

こうした構造の底にあるのは村尾という元刑事の執念であり、清春と則本に共通する悲惨な過去と殺人を犯しながらもそれを隠し通す能力です。

玲美は清春らに対し、殺人を犯しながら誰にも知られず日常生活を続ける『技能』を伝えたい人間がいて、それを身につけたい人間もいる、そうした人間たちの接点を調べ、見つけ出して欲しいと言い二人を追い詰めます。

こうして、清春と則本の二人は玲美の母親の死の真相を探るために動き始めるのです。

 

ただ、なにせ物語自体も決して短いとは言えない上に、事案が複雑に絡み合っているためにストーリーを見失いがちになり、評価が難しいということになりました。

この長浦京という作者は、前作の『リボルバー・リリー』でもそうであるように、物語をじつに緻密に構成し、練り上げておられます。

 

 

そのこと自体は物語の真実味を増すことでもあり決して悪いことではないと思われます。

普通に暮らしている普通の人の中に人を殺したことのある人間がいるという物語の設定も、そのこと自体は大いにありうることだと思われ、事実、数字もそのことを示しています。

ただ、本書『マーダーズ』に登場してくる殺人経験者にリアリティを感じられないという思いは終始付きまとっていました。

物語の中心にいる清春の犯行動機が、幼い頃に恋心を抱いた相手が殺され、その犯人が噓の証言により逮捕すらされなかった、だから証言者らの家族も含め殺した、という点が納得いかなかったのです。

その点に関しては、清春の人間性や対人交渉能力などを強調してあることからすると、作者としては清春という個人の性質としたいのかもしれません。

 

また緻密な書き込みは、ミステリーとして構成された作品の場合、筋立てが分かりにくくなりがち、ということがあります。

本書『マーダーズ』はまさにそうで、探索が緻密に為され、増えた登場人物ごとに人物の来歴などがまた詳細に語られるとき、物語の筋道が見えにくくなるのです。

ただ、このことは多くは読み手の問題だと思われ、あまり強調すべきではないのかもしれません。

単に、私自身が読みやすい物語に流されていたために、本書のような濃密な書き込みのある作品を読みこなすことができなくなっているとも思われるからです。

 

ともあれ、本書『マーダーズ』が面白い作品であることは否定できません。

ただ、主人公の同期に若干の疑問点があったこと、また物語が少々複雑で、筋を追いにくくなったことがあった、というだけです。

それは人によってはなんの問題もないことでしょうし、単に個人の好みの問題に帰着するだけのことと思われるのです。

リボルバー・リリー

本書『リボルバー・リリー』は、元諜報員の女性と家族を皆殺しにされた少年との逃避行の様子を描いた、文庫本で656頁にもなる長編のアクション小説です。

時代背景や登場人物の来歴などを緻密に描いてあり、重厚な上にかなり長い物語であって簡単には読めない作品ですが、最後まで息を抜けずに惹き込まれて読んだ作品でした。

 

『リボルバー・リリー』の簡単なあらすじ

 

小曾根百合―幣原機関で訓練を受け、東アジアなどで三年間に五十人超の殺害に関与した冷徹非情な美しき謀報員。「リボルバー・リリー」と呼ばれた彼女は、消えた陸軍資金の鍵を握る少年・細見慎太と出会い、陸軍の精鋭から追われる。大震災後の東京を生き抜く逃避行の行方は?息をもつかせぬ大藪春彦賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

十三歳になる細見慎太は、関東大震災のあと両親とは別に、訳も分からないままに名前も変えて埼玉県秩父へと移り住むことになった。

ある日、突然帰ってきた父親に書類を渡されて弟と共に逃亡させられ、秩父で知り合った筒井国松の元へ逃げるが、父の後を追ってきた男たちに家族皆殺しにされてしまう。

しかし、その筒井とさらに弟も殺された慎太は、筒井から紹介された小曾根百合という女性に助けられて男たちの手から逃亡する。

男たちは陸軍の兵士であり、父親が隠した巨額の資金に関する書類を追っていて、慎太は百合と共にこの状況から脱出するために必死の逃亡を続けるのだった。

 

『リボルバー・リリー』の感想

 

本書『リボルバー・リリー』の主人公は小曾根百合といい、水野寛蔵という男のもと、特殊機関で訓練を受けた元間諜です。

この百合の能力は、二十歳になるまでの三年間で百合の関与が疑われた事件は三十七件、計五十七人が殺されたと言われるほどです。

その人物に助けを求めたのが小学三年生の細見慎太でした。慎太の父親の細見欣也は、陸軍の資金を運用して巨大な利益を生み出していました。

小曾根百合の手助けをしているのが那珂という女で、百合の旦那で会った水野寛蔵に仕えていた女で、その後も百合の手助けをしています。

また、百合に助けられたことを恩義に感じ、今回の逃避行をも助ける弁護士が岩見良明です。百合がやっている玉ノ井の銘酒屋の法律相談もしています。

ちなみに、「銘酒屋」とは、「銘酒を売っているという看板をあげて、ひそかに私娼を抱えて営業した店」のことを言うそうです。( コトバンク : 参照 )

 

百合と慎太のあとを追っているのは、陸軍関係では津山ヨーゼフ清親大尉であり、また百合と同じ機関で育てられた間諜の南始です。

また、ヤクザ関係として水野寛蔵の息子である水野武統もヤクザの力を総動員して二人を追いかけています。

他にも、山本五十六のように歴史上実在した人物などが少なからず登場します。

 

私が読んだのは490頁にもなるハードカバーであり、その分厚さに驚きもしたものです。

さらには、内容が緻密であり、実に濃密な書き込みが為されているために簡単に読み飛ばすこともできませんでした。

しかしながら、巻末に掲げられている二十六冊にものぼる参考資料からも分かるように、著者は、歴史的な事実や歴史的事件の背景などを綿密な調査を経たうえで執筆されていて、登場人物たちの行動にそれなりの必然性を与えています。

そのために、本書『リボルバー・リリー』を単純にストーリーだけを取り上げれば、元間諜の女性と少年との逃避行というだけになってしまいますが、設定された慎太の家族が殺された理由や、百合と慎太が危機を乗り越える方法などが具体的に描かれていて、物語に厚みが出ているのです。

さらには登場人物の行動に必然性を与えてありますから、読んでいて彼らの行動に疑問を抱くことなく読み進めることができます。

特に、クライマックスで大正末期の東京の街をある目的地へ向けて疾走する場面は、まさに市街戦であり手に汗握る場面の連続であって、一気に結末へとなだれ込む読みごたえがあります。

 

こうした緻密な描写に裏付けられたリアリティーがあり、物語の重厚さを持つ物語と言えば、月村了衛の作品を思い出します。

中でも『機龍警察』を第一巻とする『機龍警察シリーズ』は、その重厚な世界観もあり、アクション小説としても一級品だと思います。

 

 

蛇足ですが、このクライマックスの場面は、あらためて考えるとクリント・イーストウッドが自ら監督をし、主演も務めた『ガントレット』のクライマックスを思い出させるものでもありました。

警察の一団が待ち構える中に乗り込んでいく主人公、という構図は同じものでしょう。とはいえ、本書の方が何倍もスケールが大きく、そういう意味では比較にもならないかもしれません。

 

 

本書のもう一つの魅力は、歴史の裏面史ともいうべき見方を提示してくれていることです。

歴史上の出来事をちりばめながら、事実の間に虚構を埋め込み、いかにも真実の出来事のように見せかけるというのは、小説手法としては普通、というよりは当たり前のことでしょう。

しかしながら、その描写の緻密さ、埋め込み方のうまさなど、読者を引き付ける魅力において優れた作品だと思います。

だからこそ、大藪春彦賞受賞という評価を与えられているのではないでしょうか。

作者長浦京の次の作品の『マーダーズ』よりも本書の方が私の感覚にあい、面白いと感じた作品でした。