完本 妻は、くノ一(五) 国境の南/濤の彼方

度重なる刺客との戦いに疲れ果てた織江。彦馬をあきらめれば、一人で逃げ切れるかもしれない―。思いに揺れる織江にはしかし、新たな刺客が迫っていた。一方、彦馬は松浦静山に諸外国を巡るよう命じられ、長崎へ向かった。そこで彦馬は、一緒に日本を脱出するため織江を待ち続ける。果たして二人に安住の地はあるのか?そして長崎での最終決戦の行方は?著者代表シリーズ完全版、遂に完結!最後の特別新作収録。(「BOOK」データベースより)

 

妻は、くノ一 シリーズ」完本版第五(最終)巻の長編痛快時代小説です。

 

いよいよ本シリーズの最終巻となってしまいましたが、思ったよりも淡々とした終わり方でした。

あらためて考えると、このシリーズはシリアスな時代小説ではなく、いわばファンタジー時代劇といっても良さそうな軽快で、ほのぼのとした雰囲気こそ命のシリーズだったのであり、この終わり方こそ当たり前だったのでしょう。

とはいえ、さすがに最終巻ともなると、謎解きばかりをやっているわけにもいかず、襲い来る敵との闘いもはさみながらの長崎への海路の様子が描かれることになります。

 

織江は自分が彦馬をあきらめることで、彦馬への危害も減ると考え、自分に彦馬への恋慕の情を断つように暗示をかけます(序 こころの術)。

その彦馬は、道端のカゴに入った正体不明の薄い紫色のものを食べてしまう女(第一話 なんでも食う女)や、池の中の島にあった望遠鏡が盗まれた謎(第二話 空飛ぶ男)、因幡の白兎の入れ墨を背負った男が殺された秘密(第三話 貴い彫り物)、屋根の上のかかしの謎(第四話 屋根の上のかかし)と、相変わらず日常に巻き起こる様々な謎を解き明かしています。

そんな中、いよいよ彦馬の長崎(実は異国)への旅立ちます。

自己暗示の甲斐もなく彦馬への想いをなお抱いている織江は川村真一郎との死闘に臨み(第五話 満月は凶)、以降は静山や彦馬一行の姿とそのあとを追う織江の姿とが描かれるのです(第六話以降)。

 

先にも述べたように、派手さはないものの、細かな知識をちりばめながら、日常に潜む謎を解きつつ展開されるこの物語ですが、やっとクライマックスを迎えることになりました。

適度なアクション場面も交えながら、細かな謎ときをメインとしつつ、鳥居耀蔵などの歴史上実在した人物を、通常言われている様子とは異なる意外なキャラクターとして登場させているのも一興です。

 

ともあれ、本巻の見どころはやはり長崎までの道のりです。

そこでは静山や彦馬らの船旅があり、それを追う陸上の織江、そして鳥居耀蔵の策略により駆り出された十一代将軍徳川家斉の護衛の四天王という腕利きの刺客の戦いがあります。

ただ、剣戟、もしくは忍びの闘争としてみると少々物足りないとも思いました。でも、そうした緩さこそがこのシリーズの魅力でもあり、なんとも微妙な気持ちで読み進めたものです。

 

とはいえ、物語は一応のエンディングを向かえます。いかにも風野真知雄らしい、エンターテイメントに富んだ作品だったと言えます。

文字通り気楽に読める本シリーズでしたが、一応の結末を見ながらも、この後続編が書かれることになります。

完本 妻は、くノ一(四) 美姫の夢/胸の振子

逢えなくても、せめてそばで愛する夫を守りたい。抜け忍となり逃亡中の織江は、変装し彦馬の周囲を見張っていた。ある日、怪しげな男とすれ違う織江だが、それ以来、奇妙な出来事が起こり始める―新たな討っ手、お庭番最強と謳われる呪術師寒三郎がついに動いたのだった。さらに、織江がよく知るあるくノ一も、元平戸藩主・松浦静山の“幽霊船貿易計画”を手伝う彦馬に接近し始めていて…。書き下ろし短編「ねずみ静山」収録。(「BOOK」データベースより)

 

「妻は、くノ一 シリーズ」完本版第四巻の長編痛快時代小説です。

 

このシリーズも後半に入り、彦馬の江戸での生活も一応の落ち着きを見せています。

彦馬はこれまで同様に、静山の娘清湖姫の持っていた勾玉の用途を突き止め(第一話 夢の玉)、からくり小屋の自在に伸び縮みする竹の謎を解き(第二話 酔狂大名)、損料屋から四人の小僧が四匹の子犬を借りていく理由を見つけ(第三話 四匹の子犬)、赤く色づいたイチョウの葉の謎(第四話 赤いイチョウ)や虫の鳴かない庭と隠居の失踪の謎(第五話 鳴かぬなら)を解き明かしています。

その一方で、お庭番頭領の川村真一郎は宵闇順平が倒れた後、新たに呪術師の寒三郎を呼び寄せて、織江に対して更なる攻撃を目地ていました。

また、本書では新たに静山の娘として清湖姫が登場しており、早速「第一話 夢の玉」で彦馬が解くべき新たな謎を提供しています。この清湖姫は、美貌に恵まれ、快活で、聡明であるにもかかわらず、もはや三十路に近づいている女性で、彦馬に興味を持ったらしいのです。

そして静山自身は、三十年ほど前に悪戯に浮かべた幽霊船が今頃になって再び江戸湾に現れ、船体の「松浦丸」という名前が現れ、窮地に追い込まれていました。

更に彦馬は、寺の前に置き去りにされた駕籠(第六話 おきざり)や銭のような模様があるヘビ(第七話 銭ヘビさま)、壁から出ていた紐(第八話 壁の紐)、着物が透けて見える目薬(第九話 すけすけ)、蕎麦屋で見つけた名古屋という品書き(第十話 年越しのそばとうどん)などの話に隠された謎を解き明かしていきます。

また、神田明神近くにはいつの間にか慈愛に満ちた女将がいる庶民的な「浜路」という飲み屋が人気となっていました。その飲み屋に鳥居燿蔵が通うようになり、同様に原田に連れられた彦馬と出会うのでした。

 

本書では、彦馬の物語に大きな変化はありません。

織江を狙う新たな敵として呪術師寒三郎が現れ、その後、織江を幼いころから知る浜路という女が現れることくらいでしょう。

そういう意味では、ただ淡々と彦馬の謎解きと、織江の静かな戦いが行われるだけと言えないこともありません。物語としての新たな展開を見せない限りは、今後のこのシリーズの在りようが心配にもなります。

強いて言えば、クライマックスに向かって静山が仕掛ける幽霊船の話が少し顔をみせ、更にはシーボルトの名前も見られるようになることなどが挙げられるかもしれません。

ただ、完本としてはこのシリーズもあと一冊となっていますので、シリーズが終わった今の観点でみると心配することは何もないということになります。

そのあと一冊を楽しみにしたいところです。

完本 妻は、くノ一(三) 月光値千両/宵闇迫れば

ついに妻・織江の正体を知った彦馬。だが彦馬の想いは変わらず、手習い所の先生をしながら妻との再会を願う。一方、抜け忍となることを決意した織江の前には、お庭番頭領の川村真一郎が立ちはだかる。そんな織江に手を差し伸べたのは、かつての凄腕くノ一、母・雅江だった。川村の企みに満ちた「お化け屋敷」で壮絶な戦いが繰り広げられる中、織江の驚くべき過去も明らかに―。特別書き下ろし短編「牢のなかの織江」も収録。(「BOOK」データベースより)

 

「妻は、くノ一 シリーズ」完本版第三巻の長編痛快時代小説です。

 

あいかわらず、身の回りで起きる不思議や、それに見合う「甲子夜話」記載の話の謎を兄妹している彦馬らでした。

彦馬の手習い所に通う寛太の家の開かずの間の話(第一話 開かずの間)、「足のような顔をした男」に殺された男(第二話 猫のような馬)、甘味屋「五の橋」の親父の失踪の謎(第四話 お化け屋敷)、「一」と書かれた陶器のかけらの秘密(第五話 ちぎれても錦)などが続きます。

また、鳥居燿蔵はお庭番頭領の川村真一郎と共に、いろいろな仕掛けが満載の幽霊屋敷を新たに建て静山に売りつけようと企み、その間に、織江の母雅江も織江と共にお庭番組織から抜けることを決意します(第三話 お化け屋敷)。

その後、例のお化け屋敷でのお庭番同士の戦いがあり(第六話 お化け屋敷ふたたび)、意外な事実が判明します。

そして、ある商人の突然の放蕩に隠された謎(第七話 むなしさの理由)、庭石にペッちゃんこされた隠居の話(第八話 ぺっちゃんこ)、共に芝居を見に行った友人は既に死んでいた話(第九話 芝居好きの幽霊)、根岸の里で話題の人魚の話(第十話 陸の人魚)、柳原土手で見られた消えた辻斬りの謎(第十一話 殺しの蜃気楼)と続いていきます。

 

このように、相変わらずの謎解きをする彦馬ですが、いよいよ織江とそれを助ける母雅江の抜け忍としての活動が始まり、物語は大きく動き始めます。

と同時に、本シリーズの根幹に関わる重要な事実が二つも明らかにされます。

それはシリーズの色合いも変わったように感じられるほどです。

勿論、彦馬の謎解きもこれまで同様に続いていきます。

 

途中、お化け屋敷での闘争があったり、宵闇順平という新たな凄腕のお庭番も登場し、静山の寝所深くへと忍び込んだりする場面も見られたりと、アクション小説としての見どころも満載の一編になっています。

とはいえ、風野真知雄という作家の他の多くの作品と同じく、この作家の一番の魅力は細かな謎ときをちりばめたストーリーの展開にあると思われ、そうした観点から楽しむにはもってこいの作品だと思います。

完本 妻は、くノ一(二) 身も心も/風の囁き

元平戸藩主の松浦静山に知識と人柄を買われ、下屋敷に出向くようになった彦馬。赤い烏、夜歩く人形…持ち込まれる謎は解決するも、肝心の妻・織江捜しは進まない。一方、その織江も任務で飯炊き女に扮し平戸藩下屋敷に潜入していた。そこで静山の密貿易の証拠を手に入れるが、彦馬を想う気持ちから提出を決心できないでいる。やがて、江戸城中奥番の鳥居耀蔵がある事に気付き、動き始め―。任務と愛、揺れる織江の運命は?(「BOOK」データベースより)

 

妻は、くノ一 シリーズ」完本版第二巻の長編痛快時代小説です。

 

前巻で江戸へ出てきた雙星彦馬も何とか江戸の暮らしに慣れ、彼が教える手習い所も順調で、あいも変わらずに身辺で起きた不思議話や松浦静山の記した「甲子夜話」にある似た話の謎を解き明かしています。

つまり、赤いカラスがいたり(第一話 赤いカラス)、湯船の中に手桶一杯分ほどのはまぐりの貝殻が見つかったり(第二話 はまぐり湯)、年賀の挨拶に行った静山の平戸藩下屋敷で、夜歩く人形の謎を解明するように言われたり(第三話 人形は夜歩く)しているのです。

その間に、下屋敷に潜り込んでいた織江は、辰吉に襲われた危機も静山の飼い犬のマツに助けられたり、下屋敷に突然現れた彦馬を助けたりと忙しくしていました。

また、静山が辰吉を捉えはしたものの、中奥に勤める鳥居耀蔵という男が捕らえられた辰吉を引き取りに来たのでした(第四話 読心斎)。

その後、静山が盗人に覚書を盗まれる事件が起き(第五話 後生小判)、多分その盗人を知っている彦馬が対処しつつ(第六話 武道なりさがる)、手習い所の子供の世話も見ていました。

また、妻恋稲荷の良縁社の小ぶりの鳥居が違う場所へ移った謎(第七話 竜の風)を解いたと思ったら、雙星家の養子である雁二郎が江戸藩邸詰となり織江の前に現れ、織江に気づいた様子でもあったのです(第八話 異鳥の肉)。

その織江は母親の雅江から、今のままでいいのかと問い詰められ(第九話 義眼と蜂)、西海屋には一匹の犬に括りつけられた怪しい手紙が届くのでした(第十話 狐の飛脚)。

 

江戸の町にも慣れた雙星彦馬の、自分が教える手習い所の子供たちとのエピソードもはさみながら、探し求める織江との距離も次第に近くなっていきます。

こうした彦馬と織江の物語を主軸に据えつつも、静山の「甲子夜話」に書かれた不思議物語の謎を解明しながら、静山自身に対する探索の手も次第に迫ってくる様子も見逃せません。

また、織江の母親の動向も気になるところであり、幾重にも見どころを持った物語として成立しているのですから、この作者の手腕も見事なものだと思います。

 

勿論、登場人物らが知らない間に互いにすれ違い、それと知らないままに助け合ったりと、物語の世界が小さくなってしまうという不都合点もありはするのですが、それはこうしたエンターテイメント小説の約束事としてある程度は受け入れるべき事柄でしょう。

今回は、静山に敵対する人物として鳥居燿蔵という時代小説では定番の悪役も次第にその存在を明確にしてきています。この人物をどのように育て上げるものかも見どころの一つといえるでしょう。

 

鳥居耀蔵を描いた作品といえば、田牧大和の『三悪人』という作品があります。若かりし頃の遠山の金さんと鳥居耀蔵とがタッグを組み、後の老中水野忠邦の非道を懲らしめる、という実にユニークな設定の長編痛快時代小説です。

 

 

また、西條奈加涅槃の雪もありました。これは、天保の改革期における水野忠邦、鳥居耀蔵と遠山景元との対立という図式の中、寄席の制限、芝居小屋の移転などの数々の施策とそれによる市井の暮らしへの影響を、高安門佑という吟味方与力の眼を通してみた作品という一面を持つ、ユーモラスな味を持った時代小説です。

 

 

また、宮部みゆきの『孤宿の人』の加賀様のモデルがこの鳥居耀蔵だと思われます。

 

 

エンターテイメント時代小説としてて、更に脂が乗ってきている本書です。続編を早く読みたいと思わせられる作品でした。

完本 妻は、くノ一(一) 妻は、くノ一/星影の女

平戸藩御船手方書物天文係の雙星彦馬は、天体好きの変わり者。そんな彦馬の下に、織江という嫁がやってきた。彦馬は、美しく気が合う織江を生涯大切にすると誓うも、わずか一月で新妻は失踪してしまう―織江は平戸藩の前藩主・松浦静山の密貿易疑惑を探るため、幕府が送り込んだくノ一だった。そうとは知らない彦馬は、織江の行方を追って江戸へ。様々な謎を解きながら愛する妻を捜す、彦馬の新たな暮らしが始まった!(「BOOK」データベースより)

 

角川文庫から出ている「妻は、くノ一 シリーズ」第一巻と第二巻を加筆・修正をし、一冊の本として最終版と銘打った、長編の痛快時代小説です。

 

平戸藩御船手方書物天文掛の雙星彦馬は上司である赤松晋左衛門から嫁の話を持ち掛けられ、二つ返事でこれを受けます。

嫁の名は織江といい、屏風岳のせせらぎのように涼しげな女でした。織江は約束の日の夜中に、小さな風呂敷一つをもって、自ら小舟を漕いでやってきました。

それから一月後、毎日職場に弁当を届けてくれる筈の織江が来ません。織江は、七夕の願いに書いた「このままで」という言葉を残し、いなくなってしまったのです。

彦馬はさっそく隠居願を出し、織江を探しに江戸へと出立するのでした。

 

こうして彦馬と織江の物語が始まります。

彦馬は江戸への道中でも、相宿になった西国某藩の沢井小平太という武士の荷物であるサボテンが紛失した謎を解いたり、双子の泥棒の正体を見抜いたりと(第三話 奇談中身喰い)、その頭脳明晰なところを発揮しています。

江戸での彦馬は、幼馴染でもある西海屋の千右衛門の世話で、神田明神の裏手にあたる妻恋神社そばにある妻恋町の妻恋坂から入った佐平長屋に落ち着くことになります。

彦馬は法深寺の祥元という和尚のもとで手習い指南所の師匠をすることになりますが、その彦馬を陰から見守る織江の姿がありました(第四話 妻恋坂)。

千右衛門のもとで知り合った南町奉行所臨時廻り同心の原田朔之介の話を聞いた彦馬は、かどわかしに遭った娘の謎を解明し、千右衛門の仲介で松浦静山に会い、織江はくノ一であり密偵に違いないと言われます(第五話 月は知っている)。

その後、「甲子夜話」に書かれている不思議な話の謎を解いたり(第六話 墓場から来た女)、加賀百万石の前田家で起きた盗人騒動の謎を解明し(第七話 星の井戸)、自分が教えている子供に掛けられた疑いを晴らしたり(第八話 山茶花合戦)、踊る猫の謎を解いたり(第九話 踊る猫)、「甲子夜話」に書かれている話の秘密を解いたり(第十話 海の犬)していました。

その間、織江は同輩のお弓の妬心を買って毒殺されかけたり、上司の川村真一郎の命で松浦静山のもとへと潜入したりと忙しくしていたのです。

 

このように、彦馬による各話ごとの謎の解明の話と、物語を貫く織江による密偵の話とが流れており、そして全体として彦馬と織江との物語が語られています。

それぞれの話は重畳的に、しかし互いに邪魔をせずに併存しているのであり、エンターテイメント小説として非常に面白い流れになっています。

まだ第一巻ですので今後の展開を楽しみにしたいと思います。

妻は、くノ一 シリーズ

妻は、くノ一 シリーズ 蛇之巻(2019年07月18日現在)

  1. いちばん嫌な敵 妻は、くノ一 蛇之巻1
  2. 幽霊の町 妻は、くノ一 蛇之巻2
  3. 大統領の首 妻は、くノ一 蛇之巻3

 

ここで紹介しているシリーズは、すでに最終巻まで出ている「妻は、くノ一シリーズ」の二巻を一巻として加筆・修正をした“最終版”として出版されている「完本」版を挙げています。

 

この作家の作品は爆発的な面白さを持っているというわけではないのですが、どの作品もはずれはないと言えると思います。

そうした作品群の中で、本書『妻は、くノ一シリーズ』はかなり面白い方に属するのではないでしょうか。

本書はこの作者の『耳袋秘帖シリーズ』と似た構成です。

耳袋秘帖シリーズ』では南町奉行の根岸肥前守鎮衛が、実際書いていた「耳袋」に似た「耳袋秘帖」なるものを設定して、そこに記されている日常に潜む小さな不思議を解いていきます。

 

 

一方本書『妻は、くノ一』では、元平戸藩主の松浦静山が記しているという「甲子夜話」という随筆集に記されている謎を主人公の雙星彦馬が解き明かしていきます。

といっても、似ているのはその点だけでそのほかは全く異なります。

 

主人公の雙星彦馬は三十俵一人扶持の軽輩で、剣術などの争いごとは好まず、しかし算術は得意で蘭語も読め、星とその運航はほとんど頭に入っている天体好きの変わり者です。

ただ、今では江戸で商人になっている安藤千之助だけは彦馬のことを分かってくれていました。

そんな彦馬のもとに美しく気が合う織江という女性が嫁に来ることになりました。しかし、そんな織江はひと月もするといなくなります。

彦馬は密偵だったと思われる織江を探すために隠居をし、今では西海屋千右衛門と名乗っている千之助のすすめもあって江戸へと出るのでした。

この千右衛門は、元平戸藩主の松浦静山とつながりがあり、彦馬もまた松浦静山のもとに出入りするようになります。

こうして、それぞれの話の中で日常に潜む謎や「甲子夜話」の謎を解明しながら、彦馬と織江との物語が展開するのです。

 

主人公の剣劇が売り物の時代小説ではなく、主人公の知恵と、それを見守る妻織江の武術とで難題を解決しながら物語は進みます。

勿論、人情話を盛り込みながらもいろいろな分野の細かな知識をも併せて読み知ることのできる楽しい物語になっています。

 

「妻は、くノ一」シリーズは当初は十巻、その続編として「蛇之巻」が三巻の全十三巻のシリーズでした。それが「完本」という形で再刊され、今のところ「蛇之巻」を除いて全五巻として刊行されています。

 

ちなみに、本シリーズは2013年4月からNHK BSプレミアムのBS時代劇枠で市川染五郎主演でテレビドラマ化されています。詳しくは「BS時代劇「妻は、くノ一」」を参照してください。

 

沙羅沙羅越え

本書『沙羅沙羅越え』は、信長子飼いの武将として知られる佐々成政の冬季の飛騨山脈越えを描いた長編の時代小説です。

面白い小説でしたが、風野真知雄の描く物語としては物足りなく感じた作品でもありました。

 

戦国時代末期。越中の佐々成政は、天下取り最中の秀吉の野望を挫くため、孤軍奮闘していた。八方ふさがりの中、成政は、秀吉に対する徹底抗戦を家康に懇願しようと決意。敵地を避けて家康に会うには、厳冬期の飛騨山脈を越える必要があった。何度でも負けてやる―天下ではなく己の目前の道を見据えた、愚直な戦国武将。その悲哀と苦悩、誇り高き生き様を描いた本格歴史小説。第21回中山義秀文学賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

本書『沙羅沙羅越え』は、上記のように佐々成政が徳川家康に対し本格的な秀吉との戦いを持続するように依頼するために、厳寒の立山連峰を越えて浜松まで行った史実を描いた物語です。

 

信長亡き後天下を手にした秀吉と対立する成政は、生き残る道は徳川家康に願い織田家再興を促すしかない、と考えます。

しかし、西には秀吉の意を汲んだ前田利家がおり、東に上杉景勝がいて身動きが取れない。とすれば、厳寒の立山連邦を越えるしかないのでした。

 

佐々成政の立山連峰越えという話は、これまで他の戦国期を描いた小説の中でたまに触れられてはいました。しかし、その事実があったことを記してあるだけで、その意味までを考察した文章は無かったように思います。実際、本書を読むまでその意味を考えたことはありませんでした。

そこに、いかにもこの作者らしい独特な視点で歴史を捉えた作品ということで期待は膨らみました。

しかし、本書がその答えを示してくれているか、と言えば、先に述べた織田家再興を願う、ということしかありません。個人的にはその点をこそもっとはっきりと示してほしかったのですが残念でした。

佐々成政という武将の性格を実に真面目な一徹者であることを強調してあるところなどがその理由づけの補強なのでしょうが、個人的には納得できませんでした。

 

作者としても、山越えをするという事実だけでは物語としては寂しいと思われたのでしょう。佐々成政の城にもぐりこんでいる間者を洗い出す場面など、種々の色付けが為された物語として仕上がっていて、もちろん面白い小説です。

ただ、これまで読んできた風野真知雄という作家の作品にしては少々普通の小説になっている、という印象がします。

本書『沙羅沙羅越え』では、この作者独特のちょっとひねった筋立ては影を潜めているのです。その点は、先に述べた山越えの理由づけと共に、欲張りな読み手としてはもの足りませんでした。

 

著者の自由に描けるフィクションではなく、史実をもとにした歴史小説だということを考えると、素人の過大な要求なのかもしれません。

若さま同心徳川竜之助シリーズ

若さま同心徳川竜之助シリーズ(完結)

  1. 消えた十手
  2. 風鳴の剣
  3. 空飛ぶ岩
  1. 陽炎の刃
  2. 秘剣封印
  3. 飛燕十手
  1. 卑怯三刀流
  2. 幽霊剣士
  3. 弥勒の手
  1. 風神雷神
  2. 片手斬り
  3. 双竜伝説
  4. 最後の剣

新・若さま同心徳川竜之助シリーズ(2018年12月01日現在)

  1. 象印の夜
  2. 化物の村
  1. 薄毛の秋
  2. 南蛮の罠
  1. 薄闇の唄
  2. 乳児の星
  1. 大鯨の怪
  2. 幽霊の春

 

普通ではありえない徳川御三卿のひとつ田安徳川家の十一男坊が身分を隠して南町奉行所の同心見習いとして活躍する物語。

 

剣の達人ではあるが若様なので世間知らずであるために様々の失敗を繰り変えす。しかし、珍事件を解決することが重なり、その手の事件を回されるようになり・・・、という設定です。

いかにもこの作者らしく江戸市中で鹿が目撃されるなど事件は普通ではありません。そうした小さな事件を解決しつつより大きな悪を懲らしめるパターンではあります。

 しかし、この若様は剣はかなりつかえ、その剣の腕で謎の刺客をも倒していくのです。つまりは、活劇ヒーロー小説でもあり、十分に面白い小説で、お勧めです。

本シリーズは全十三巻で完結しています。ただ、一旦完結したはずのシリーズが再開しているのです。私は未読なのでどのような構成になっているのか、近く読もうと思っています。

大江戸定年組シリーズ

大江戸定年組シリーズ(2018年12月01日現在)

  1. 初秋の剣
  2. 菩薩の船
  3. 起死の矢
  4. 下郎の月
  1. 金狐の首
  2. 善鬼の面
  3. 神奥の山

 

主人公は同心上がり、旗本、商人の幼馴染の隠居三人組です。

 

この三人組が深川は大川近くに隠れ家を持ち、自分たちのこれからの人生を探求しようとします。そうした中、様々な頼まれごとを解決していくという設定です。

「耳袋秘帖」でもそうでしたが、この作者のせりふ回しには常に滑稽さがしのばせてあります。それが心地よく読み手の心をくすぐり、全体の印象をより穏やかなものにしているようです。

スーパーヒーローの剣の達人が活躍する活劇ものではありませんが、老境にさしかかった三人組が人情豊かに、滑稽味を加えながら事件を解決していく様は、小粋な物語と言えなくもなく、ゆっくりと物語を楽しみたい人には申し分のない一編だと思います。

耳袋秘帖シリーズ

主人公は南町奉行の根岸肥前守鎮衛という歴史上に実在した人物だそうで、知らなかったのだけれど、あの鬼平こと長谷川平蔵と同時代の人らしいです。

更に、「耳袋」も根岸肥前守が実際書いていた随筆のようなものが実在するらしく、本シリーズではその裏耳袋帖とも言うべき「耳袋秘帖」なるものを設定して、事件の狂言回しにしています。

この事件がまたしゃべる猫や古井戸の呪いなど怪異なものが絡む話で、その謎解きが各短編を組み立てつつ、巻毎の現実の人間の闇を暴いていく、という面白い構成をとっています。

単に怪異現象を全面的に押し出すのではなく、そのような話をきっかけとしながら現実の事件を解決していくその手法は、滑稽なせりふ回しとともに読み進んでしまいます。一読の価値ありです。

本シリーズは「殺人事件」(16巻)と「妖怪」シリーズ(6巻)との二系統があります。もともと大和書房から「だいわ文庫」として出版されていましたが、後に文藝春秋社から加筆新装丁されて再刊行されています。

出版状況については詳しくは文藝春秋社の耳袋秘帖シリーズ 紹介サイトをご覧ください。