記録的な寒波に襲われた東京で、原因不明の感染症が発生。死亡者が出る事態となり、厚生労働省の降旗一郎は、国立感染症研究所の都築裕博士とともに原因究明にあたる。さらに六本木で女性が無数の吸血ヒルに襲われ、死亡するという事件も勃発。未曽有の事態に翻弄される降旗たちは解決の糸口を見つけられずにいた。同じ頃、東京メトロの地下構内で複数の切断死体が発見された。警察は監視カメラの映像を消し失踪した職員を大量殺人の容疑者として追い始める。次々と前代未聞の事態が発生しパニック状態の都民に、狂犬病ウイルスに感染し死亡する者が続出し始めた。いったい、極寒の東京で何が起きているのか…。(「BOOK」データベースより)
『生存者ゼロ』で、第十一回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した安生正の長編パニック小説です。
ある日突然、東京の真ん中で破傷風や赤痢という感染症が疑われる患者が大量発生したり、女性が破傷風菌を保有した蛭に襲われ死亡する事件が起きたと、厚生労働省健康局の降旗一郎や国立感染症研究所の都築裕室長などを中心としてこうした対応に追われていた。
そんな中、頻発していた行方不明者のうちの一人が、銀座線の京橋駅で何かを見つけてトンネル内に入っていく映像が見つかるのだった。
パニック小説ではありますが、どうも今ひとつ乗り切れない小説でした。
物語の要であるパニックの原因となる現象自体が、物語に感情移入するだけの信ぴょう性を有して居ないのです。
この作者の『ゼロの激震』のときも発生する現象に現実感を与えるための文章が過多であり、逆に現実感を失ってしまった印象がありました。
本書でも説明過多とまではいいませんが、それでも発生した現象にリアリティーを感じないという点では似たように思います。
その上、登場人物の人間像にまであまりリアリティを感じなかったので、本書に対する評価はそれほど高くならないのは当然でした。
途中で投げ出したくなるとか、読むのが苦痛だったなどというつもりは全くありません。それどころか、それなりの面白さを感じつつ読んだというのが本当です。
ただ、今ひとつの感情移入できるだけの現実感、真実味が欲しかった、という単純な感想です。
パニック小説という分野自体、パニックの原因となる現象を現実感を持って描きつつ、そこに生きる人間描写が要求される難しい作業だと思います。
そうした難しさを感じないで読んだ作品として、小松左京の『日本沈没』や西村寿行の『蒼茫の大地、滅ぶ』といった作品を思い出します。
『日本沈没』は、文字通り日本という国土が無くなってしまうという壮大な話で、名作として挙げられる小説です。
また『蒼茫の大地、滅ぶ』は中国からやってきた飛蝗(トノサマバッタ)のために壊滅的な被害をこうむった東北六県が、自分たちを見捨てた日本政府から独立を宣言し、日本国との軍事的対立をも辞さないとするシミュレーション小説です。
共に、荒唐無稽な事態を描きながらも、読み進めながらのリアリティに対する違和感をほとんど感じずに読み終えたものです。
本書の場合、気が弱い設定だった主人公の降旗一郎がキーマンとなる流れが分かりにくかったり、マッドサイエンティストとして登場する西都大学の村上教授の奇矯なふるまいが現実感がなかったりと、人物像の設定が決してうまくいっているとは思えません。
やはり、こうした細かな事柄の積み重ねで物語全体のリアリティーの構築を今ひとつだと感じたと思います。
個人の好みの問題かもしれませんが、その個人の好みを満足させてほしいのです。