涙香迷宮

明治の傑物・黒岩涙香が残した最高難度の暗号に挑むのはIQ208の天才囲碁棋士・牧場智久!いろは四十八文字を一度ずつ、すべて使って作る日本語の技巧と遊戯性を極めた「いろは歌」四十八首が挑戦状。 (「BOOK」データベースより)

本書は、明治時代のジャーナリストであり作家でもある多才な人物として知られる黒岩涙香が残したとされる謎に挑む本格派(?)の長編推理小説で、このミステリーがすごい!2017年版の第一位を獲得した作品です。

本書のテーマになっている黒岩涙香という人は本名を黒岩周六という明治期に実在した人物です。翻訳家、作家、記者として活動し、「よろず重宝」の意味をかけた『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊した人物として知られています。スキャンダル報道で人気を得て部数を伸ばし、その後幸徳秋水、内村鑑三、堺利彦らといったインテリに参画を求めていったとも言います。

また「翻案」家として「原書を読んで筋を理解したうえで一から文章を創作していた」そうです。ヴェルヌの『月世界旅行』やデュマの『巌窟王』、そして『鉄火面』の翻案者でもあるといいます。また「五目並べ」を「連珠」と命名して競技として発展させたり、競技かるたのルールを全国で統一した人でもあります( ウィキペディア : 参照 )。

本書の探偵役である牧場智久とその恋人の武藤類子という人物を軸にしたゲーム三部作(『囲碁殺人事件』『将棋殺人事件』『トランプ殺人事件』)のようなシリーズがあり、本書もその中に位置づけられるようです。本書の冒頭からこの二人については何の説明もなく始まっているのはそういう訳でした。

先にも述べたように、黒岩涙香の残した謎が本書の最大の見所です。冒頭で殺人事件が起き、更に中盤の黒岩涙香の隠れ家で起きた殺人未遂事件が起きますが、その犯人捜しよりも、黒岩涙香が残したという「いろは歌」に隠された暗号の解読こそが本筋の物語なのです。

「いろは歌」とは、いろは四十八文字を一度ずつ、すべて使って作る歌であり、私たちがよく知っている「いろはにほへと・・・」で代表される作品です。作者の竹本健司が本書に掲載されている膨大な数の「いろは歌」を作ったこと自体にも凄まじさを感じるのですが、さらに一歩進んで、これらの「いろは歌」を利用した謎が仕掛けられているのですから、この作者の頭の中はどうなっているのかと、凡人はそちらに気を取られてしまいます。

他にも連珠をテーマにした謎があったりもして、そちらの謎も私ら凡人のついていけないところにあります。こうして見ると、本格派のミステリーというよりもパズル小説といったほうが正しい気もしてくるほどです。





とにかくこの点の凄さは読んでいただくしかありません。ただ、その謎を解明するについてのロジックは、好きな人にはたまらない物語でしょうが、本格推理をそれほど好まない人にとっては苦痛の時間になりかねません。それほどに緻密な論理を組み立てられてあります。

このようなパズル的な要素を持った作品として、米澤穂信の『インシテミル』という作品があります。時給十一万二千円というアルバイト広告に魅かれて集まった十二人が「暗鬼館」というこのゲーム用の空間専用部屋で一週間の間過ごせばいいというのです。実にゲーム性の強い、論理を追及する作品でした。

また、この作品は 藤原竜也や綾瀬はるかを出演者として映画化もされており、そこそこの人気を博したようです。

更に論理の追及という点では冲方丁の『十二人の死にたい子どもたち』があります。建て替えが決まっている病院に十二人の子供たちが集まります。ネット上で知り合った彼等は、安楽死をするために集まったのですが、安楽死をする予定の場所には既に一人の少年の死体が横たわっていたのです。彼等はいかなる行動をとるのか。

名作映画『十二人の怒れる男』をモチーフに描かれたこの作品は、十二人の子供たちが、ときには探偵役が入れ替わりながら、それぞれの行動を丁寧に追いかけて病院内で起きている数々の異常な状況という謎を一個ずつ解き明かしていくのです。

もう一作品、ゲーム性の強い小説といえば、貴志祐介の『クリムゾンの迷宮』があります。何の説明もなく見知らぬ場所で目が覚め、目の前にある「携帯ゲーム機」と、そこに表示された文字だけを頼りに、何か行動を起こさなければならないのです。同時に目覚めた他の8人との間で複雑な駆け引きが始まります。作者の筆力に引きずり込まれた作品でした。

ただ、本書『涙香迷宮』をミステリーとして見た場合、決して出来がいいとは言えません。本書の見どころはあくまで「いろは歌」に隠された暗号解読のパズル的な面白さに尽きるのだと思います。