本書『逍遥の季節』は、様々な芸道に生きる女性を主人公に据えた短編集です。
美しい文章で登場人物の日々の営みを情感豊かに描きだしている読みごたえのある作品集でした。
早くに両親を失い、同じような出生の二人は、幼い頃から互いを支え合ってきた。紗代乃は活花、藤枝は踊りを生き甲斐にして。だが、いつしか二人は、一人の男に翻弄されていた(表題作)。子を置いて離縁し、糸染に身を捧げる萌に所帯を持とうと言い寄る男が現れる(「秋草風」)。三絃、画工、根付、髪結…。人並みの幸福には縁遠くても、芸をたのみに生きる江戸の女たちを描く芸道短編集。(「BOOK」データベースより)
冒頭の「竹夫人」では、女は、苛酷さしかないその道ではあるけれども「女の旅は終(つい)の棲みかを目指すことであろうかと考え」、自分と同じように三味線を心のよりどころとする男との暮らしを選びます。
男と共に“芸の向かうところ”へ向かおうという女の思いは、作者の自然でしっとりとした描写によって、しずかに情景に溶け込んでいくようです。
「秋野」でも、愛してもいない男に捧げた年月の末に、いま女は茶席で知り合った同郷の男の傍にいて、妾の身から旅立つ自分を思っているのです。
「三冬三春」の主人公の阿仁は、師匠である酒井抱一の代筆をしていますが、それは自分が書きたい画を殺すことでもあります。自分の心の赴くままの画を書きたいと思う阿仁は、ある日一歩を踏み出します。乙川優三郎が、三月毎に移ろう江戸の四季を繊細な描写で描きだしています。
本書『逍遥の季節』では、この他に表題作の「逍遥の季節」に至るまで、全部で七編の芸に生きる女たちが、美しい文章で語られる季節感と共に語られていきます。
例えば『白樫の樹の下で』での青山文平文体は叩けば硬質な音がするようですし、葉室麟の『蜩の記』では山奥の澄みきった空気のような透明感があります。
でも本書での乙川優三郎の文章はどこか水の中を歩くような、何かまとわりつくものを感じます。それでいて、別に湿った感じはありません。ただ、数年前に読んだ『武家用心集』ではそのような印象を持った記憶はありません。
だからと言って本書の文体が嫌だという訳ではありません。まだ読んだ作品数が少ないので何とも言えないのが本音ですが、文章が美しい作家さんだという思いがまずあります。
ただ、本書の場合、芸道に生きる女性を描いているので特に情緒的な側面が強いのではないでしょうか。
本書『逍遥の季節』での七つの作品の夫々に三味線、茶道、画工、根付、糸染め、髪結い、活け花をテーマとしており、女性が主人公だからなのか殆どの作品で男との関係に悩む女の姿が描かれまていす。
男の存在はその女性の人生そのものに関わってくるような重大事です。女一人で生きていくことを自ら選んだ、若しくは選ばざるを得なかった女性たちが、芸の道を、ある者は選んだ男と共に、ある者は全く一人になって歩んでいきます。
一方、男が主人公である芸の道に生きる男を描いた小説としては山本周五郎の『虚空遍歴』を思い出します。この作品は浄瑠璃を極めようとする男の物語で女性が絡んでいたと思うのですが、女性の存在は芸と対立するようなものではなかったと記憶しています。
これは勿論作者の描き方によるものでしょうが、男と女の本質的な差によるところが大きいのではないでしょうか。
まだまだ、他の作品を読んでみたいものです。