宙ごはん

宙ごはん』とは

 

本書『宙ごはん』は、ある母娘の姿を描いた、王様のブランチで紹介されていた2023年本屋大賞ノミネート2022年5月に刊行された365頁の長編小説です。

母でいることのできない母親とその娘の姿を、一人の料理人のおいしそうな料理を作る姿を挟みながら描く、2023年本屋大賞にノミネートされた感動的な家族小説です。

 

宙ごはん』の簡単なあらすじ

 

宙には、育ててくれている『ママ』と産んでくれた『お母さん』がいる。厳しいときもあるけれど愛情いっぱいで接してくれるママ・風海と、イラストレーターとして活躍し、大人らしくなさが魅力的なお母さん・花野だ。二人の母がいるのは「さいこーにしあわせ」だった。
宙が小学校に上がるとき、夫の海外赴任に同行する風海のもとを離れ、花野と暮らし始める。待っていたのは、ごはんも作らず子どもの世話もしない、授業参観には来ないのに恋人とデートに行く母親との生活だった。代わりに手を差し伸べてくれたのは、商店街のビストロで働く佐伯だ。花野の中学時代の後輩の佐伯は、毎日のごはんを用意してくれて、話し相手にもなってくれた。ある日、花野への不満を溜め、堪えられなくなって家を飛び出した宙に、佐伯はとっておきのパンケーキを作ってくれ、レシピまで教えてくれた。その日から、宙は教わったレシピをノートに書きとめつづけた。
全国の書店員さん大絶賛! どこまでも温かく、やさしいやさしい希望の物語。(内容紹介(出版社より))

 

宙ごはん』の感想

 

本書『宙ごはん』は、町田そのこという作者の作品らしく、ほとんどの登場人物たちはその家庭に問題を抱えているものの、みんなその中で強く生きようとする姿が描かれている感動的な物語です。

物語の設定自体はその全部をそのままに受け取ることができにくい、出来すぎた感のある状況ではありますが、主人公の悩みはストレートに読者に迫ります。

 

本書の主人公は川瀬宙という女の子で、彼女の五歳から十七歳までの人生を描き出してあります。

宙の母親がイラストレーターの川瀬花野であり、その花野の妹が宙を六歳まで育て上げて宙からママと呼ばれている日坂風海です。

そして、重要なのが洋食店を営む佐伯恭弘という存在で、花野の後輩にあたります。この恭弘が宙の相談に乗り、またいろいろな料理を教えてくれるのです。

 

本書は『宙ごはん』とのタイトルからして、おいしそうな料理を軸にした心温まる家族小説だと思って読み始めました。

ところが、そこはやはり町田そのこという作家の作品です。描かれているのは様々な家族の話であり、人生の話でした。

つい先日、本書の作者町田そのこの2022年本屋大賞候補作である『星を掬う』という作品を読んだのですが、この作品も本書とおなじように様々な形の問題を抱えた家族の話でした。

幼い頃に主人公を捨てた母親と再び共に暮らすことになった女性の話で、この作品に登場する人物それぞれがDVであったり、家族に問題を抱えていたりします。

そして、主人公の母親も含め、登場人物のそれぞれについての隠された事情が明らかにされていくのです。

 

 

同じことは本書『宙ごはん』についても言うことができ、花野やその妹の風海、そして恭弘やそのほかの登場人物についての事情が明らかにされていきます。

それぞれの行動に至らざるを得なかった理由や、そのことを他言できなかった理由などが明らかにされていくなかで、宙に対する母親の愛情などが示されていくのです。

そして、その示されていく過程が感動的な場面として読者の前に提示されます。その展開の仕方はさすがという他ありません。

例えば恭弘と宙との会話で、好きな人と共に歩むことの意味を分かり易く話してくれる場面などがありますが、このような心に迫る文言、会話が随所に散りばめられています。

そうした心温まるほっこりする話は実に楽しく、幸せなひとときであり、こうした読書の時間をこそ持っていたかったのだと思うのです。

 

ただ、そんな気持ちの反面、普通の人間がこうした例え話などができるはずはないと思ってしまう、普通の人間にこうした気の利いた会話ができるはずがないと思ってしまう自分がいます。

まったくもって作者に失礼な個人的なダメ出しだと思うのですが、これが本心でもあります。

上記の場面の後に描かれている宙の彼からのメールなども同様です。出来すぎです。

 

とはいっても、そうした言葉を否定していたのでは本書のような作品は成立しないでしょうことは理解できます。

そして、本書『宙ごはん』は多くの人に感動を与えるだろうし、また多くの人の心をつかむだろうことは考えるまでもなくわかります。

だからこそ2023年本屋大賞にノミネートされたのでしょうし、それほどに読者の心をつかんだ作品だったのでしょう。

ただ、町田そのこの作品が、パターンが似ていることが若干気にはなります。

でも、とてもいい本だということは否定できず、琴線に触れる作品だったと思います。

星を掬う

星を掬う』とは

 

本書『星を掬う』は2021年10月に刊行された、2022年本屋大賞にノミネートされた作品長編の家族小説です。

主人公の娘と、娘が幼い時に家を出ていった母親との話を中心に、様々な家族の姿を描く作品ですが、個人的には好みとは異なる物語でした。

 

星を掬う』の簡単なあらすじ

 

町田そのこ 2021年本屋大賞受賞後第1作目は、すれ違う母と娘の物語。
小学1年の時の夏休み、母と二人で旅をした。
その後、私は、母に捨てられたーー。
ラジオ番組の賞金ほしさに、ある夏の思い出を投稿した千鶴。
それを聞いて連絡してきたのは、自分を捨てた母の「娘」だと名乗る恵真だった。
この後、母・聖子と再会し同居することになった千鶴だが、記憶と全く違う母の姿を見ることになってーー。内容紹介(出版社より)

 

主人公の芳野千鶴は、夫弥一からのDVで離婚はしたものの、未だに弥一からの暴力と金銭の搾取という被害に遭っていた。

そんなとき、あるラジオ番組へ応募したことから、幼い頃に別れた筈の母親を知っているというリスナーから連絡があった。

そのリスナーの芹沢恵真に会い、母親は若年性認知症を発症していることを聞かされた。

また、自分が元夫の弥一に苦しめられているという話を聞いた芹沢恵真は、このまま母親のもとに行くことを勧めるのだった。

同行していたラジオ局ディレクターの野瀬からDVのシェルターも紹介してもらいながら、そのすすめもあり、母の住む「さざめきハイツ」へと行く千鶴だった。

その「さざめきハイツ」には、介護の仕事をしている九十九(つくも)彩子がいて、家事全般をこなしながら母聖子の面倒をも見ているのだった。

 

星を掬う』の感想

 

本書『星を掬う』は、家族の物語ではありますが、その内容はDV、嫁と姑、育児放棄、介護、ハイティーンの妊娠など、多くの家族の問題を内包している物語です。

そして、2021年本屋大賞を受賞した『52ヘルツのクジラたち』という作品の後に出版された第一作目の作品であり、さらには2022年本屋大賞の候補となった作品でもあります。

本書『星を掬う』はそれほどに評価され、皆の心を打った素晴らしい作品なのです。

 

 

しかしながら、端的に言って破滅的な家族、家庭が主題になっている本書『星を掬う』であるため、前作の『52ヘルツのクジラたち』と同じく、私にとっては決して心地よい作品ではありませんでした。

冒頭から「さざめきハイツ」で産みの母に会うまで、主人公の芳野千鶴が夫弥一から受けるDVの様子が語られます。

DVというものは、本書で描かれているような状況でも、傍から見ると逃げればいいと簡単に考えがちですが、被害者にしてみればそこから逃走するにはものすごいエネルギーを必要とする行為だそうです。

そもそも、逃げる、という発想がない、という話も聞いたことがあります。

そうした決して大げさではないDVについての本書の描き方ですが、そうした描写をあえて読もうという気にならないのです。

読書には楽しいひとときを求める私にとって、ある種苦痛でもあります。

加えて、本書では親の認知症、家族の崩壊、二十歳前の娘の妊娠などと次から次に悲惨な家族の姿が描かれています。

 

つまり、本書の主人公の芳野千鶴自身が母親に捨てられ、夫からはひどいDVを受けています。

また、千鶴と連絡を取った芹沢恵真も男性恐怖症に陥るほどの過去があり、九十九(つくも)彩子も自分の娘との関係を築けずにいました。

千鶴がともに住むようになってしばらくしてから転がり込んできた彩子の娘の美保も、17歳で妊娠したものの相手から捨てられていて、「さざめきハイツ」の住人を混乱の渦に放り込むのです。

このように、皆が何らかの不幸を背負い、他者をそして自分自身を傷つけながら生きている、その姿が描かれています。

私は認知症を発症していた母を一昨年に亡くしている身でもあり、けっして楽しい読書ではありませんでした。

 

とはいえ、先に述べたように本書『星を掬う』は本屋大賞の候補作となっている作品ですから、皆が読むべきだと高く評価した書店員さんが多かったということです。

勿論、私も本書が良い本だということを否定するわけではありません。素晴らしい作品であることは認めたうえで、ただ私の好みとする範疇の作品ではないというだけです。

著者の前作品である『52ヘルツのクジラたち』も児童虐待という悲惨な状況をテーマにした作品でした。

しかし、そこでは本書ほどに暗くはなく、全体を通しての明るさがあったように思えます。そうした作品でさえも、やはり「決して好みとは言えない」作品でした。

本書でも同居人たちの互いへの思いやりや献身的な態度など、暗い側面ばかりではありません。小さな感動をもたらしてくれる会話、場面が少なからずあります。

でも、全体を通してのトーンがやはり重く、個人的には自ら手にとっては読まない範疇の作品なのです。

 

さらに言えば、主人公に対する個人的な拒否感がどうしても否めません。自己主張ができず、状況に流されて自分を否定するしかない登場人物を私は読みたくないのです。

例えば、凪良ゆうの『流浪の月』などもそうでした。

もしかしたら、そうした自分自身にそうした性格を見出し拒否感を持っているのかもしれません。

しかし、そうしたことを分析しようとも思わず、ただ拒否したいのです。

 

 

結局、前著で書いたと同じ言葉をここでも書くこといなります。すなわち、「そうした人間を描いた小説を自分から読みたいとも思いません。本屋大賞の候補作品とならなければ自分から読むことはなかった」と思うのです。

とはいえ、「悲しい過去が描かれていても、中には読むに値する作品はあります。そして本書は読むだけの価値があったと思えた作品だったのです。」という同じことがあてはまるのです。

52ヘルツのクジラたち

本書『52ヘルツのクジラたち』は、2021年本屋大賞を受賞し、また第4回未来屋小説大賞を受賞した新刊書で260頁の長編の現代小説です。

児童虐待の問題をテーマに、声を上げても聞いてもらえない女と文字通り声をあげることのできない少年との交流を描いた作品で、決して好みとは言えない、しかし多分読むべきであろう作品でした。

 

『52ヘルツのクジラたち』の簡単なあらすじ

 

52ヘルツのクジラとは―他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラ。たくさんの仲間がいるはずなのに何も届かない、何も届けられない。そのため、世界で一番孤独だと言われている。自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年。孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会い、新たな魂の物語が生まれる―。(「BOOK」データベースより)

 

ある片田舎のあばら家に越してきた女は働くでもなく、誰かの妾だろうと村の年寄りに噂されていた。

幼いころから母親や義父の虐待に会いながらも母親への愛情を求め続けてきた女は、祖母の家だというその家で一人の少年と出会う。

母親からもムシと呼ばれていたその少年は体中にあざを作り、言葉を発することができないでいた。

自分の子供の頃と重ね合わせた女は、その少年を自分の家に引き取り住まわせることにしたのだった。

 

『52ヘルツのクジラたち』の感想

 

本書のタイトルで書かれている「52ヘルツのクジラ」とは、その声の周波数が普通とは異なりあまりに高いため、他のクジラに聞こえない声を発しているクジラのことを言うそうです。

その存在は確認されているものの実際の姿は今も確認されていない、と本書の中で紹介されています。

このクジラは本書の作者町田そのこの創作ではなく実在するのだそうです。詳しくは下記サイトを参照してください。

 

誰にも届かない歌声をあげ続けているけれどその声を聞く者はいない。それは本書の主人公の三島貴湖も、またムシと呼ばれる少年もそうです

著者本人が「52ヘルツのクジラ」の存在を知って「声なき声を発している存在」をイメージし、虐待にあっている子どもなどを考えたのだそうです。( Real Sound : 参照 )

そして、この声なき声の象徴として母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年を書いたとも言われてました。

 

さて本書『52ヘルツのクジラたち』ですが、読み始めてしばらくは物語の展開が読めず、ある種ファンタジーのような作品だと思って読み進めていました。

主人公貴湖の日常が、過去の思い出を挟みながら綴られていきます。しかし、その過去での日常は、今もそうではあるのですが、一段と淋しさと悲しさに彩られているのです。

「虐待」という言葉がまとわりつく過去の自分と、「虐待」を今受けているかもしれない今知り合った子供とが、何もない田舎の風景の中に溶け込んで語られていきます。

 

ところが、第三章に入り、主人公の貴湖の過去が話が断片ではなく語られ始めると、話しは途端に重く、暗くなってきます。

ここで語られているのは育児放棄(ネグレクト)であり、さらに言えば家庭内の虐待でもあります。そうした仕打ちを受けてもなお貴湖は母親の愛情を求めていたのです。

それまでも少しずつ語られる貴湖の過去において、貴湖は母親に「わたしのこと、少しは好きだった?」と尋ねる場面があります。

実の母親に自分のことが好きだったかと確認しようとするその姿自体が普通ではなく、ただ哀しさだけが溢れています。

 

本書『52ヘルツのクジラたち』は、読んでいて気分がどんどん落ち込むとまでは言いませんが、決して明るくはなく、勿論読書の楽しさは殆どありませんでした。

でも一方で、貴湖は古い友達の美晴と再会し、そこでアンさんと出会います。この出会いは貴湖に新しい生き方を教えてくれ、自分自身を取り戻していくのです。

しかしながら、貴湖はその後に知り合い、恋をした新名主税という男との暮らしの中でまた新たな虐待に会います。

 

ここで新名主税という男と別れられないという主人公の心情は、私には分かりません。

また、そうした人間を描いた小説を自分から読みたいとも思いません。本屋大賞の候補作品とならなければ自分から読むことはなかったはずです。

しかし、悲しい過去が描かれていても、中には読むに値する作品はあります。そして本書は読むだけの価値があったと思えた作品だったのです。

 

本書『52ヘルツのクジラたち』ではアンさんという重要な人物が登場します。この人物に関してはまたそれだけで一編の物語が書けるような背景を持った人物として描かれています。

貴湖のどん底だった人生から救い出してくれた恩人でもあるアンさんに関してはあまり書くことができないのがもどかしくも思いますが、読書の喜びを奪ってしまうことになるので仕方ありません。

一方、美晴というキコの友人もまた重要な役目を果たしています。

しかしながら、この人物に関しては現実にここまで他人のことにかかわることができる人間はいないだろう、という疑問があります。

美晴がいたからこそ貴湖は再生できたと言っても過言ではありません。しかし、そのかかわり方は尋常ではないのです。

単なる同級生にここまで真摯に関わることでのできる人はいそうになく、現実的ではありません。しかし、いないと断言できないのも事実ではありますが。

 

そして物語は進み、本書『52ヘルツのクジラたち』は感動的なクライマックスを迎えます。

わたしが最終的に本書を読むべき作品だと思ったのは、このクライマックスが現実的だったからなのかもしれません。

ここまで読んできた物語全体があいまいになってしまうファンタジー的な終わり方でないことに納得させられた気がします。

 

ちなみに、本書のカバーの“そで”の部分に隠された「5」「2」という数字があるそうです。このことは、著者のインタビューを読むまで気付きませんでした( 好書好日 : 参照 )。