信長の原理

信長の原理』とは

 

本書『信長の原理』は、文庫本上下二巻で800頁にもなる長編の歴史小説です。

これまでも多くの作家の題材となってきた織田信長を描き第160回直木賞の候補作となった、視点が新しい面白い作品でした。

 

信長の原理』の簡単なあらすじ

 

織田信長は、幼少時から孤独と、満たされぬ怒りを抱えていた。家督を継ぎ、戦に明け暮れていた信長はある日、奇妙な法則に気づく。どんなに鍛え上げた兵団でも、働きが鈍る者が必ず出る。その比率は、幼い頃に見た蟻と同じだ。人間も、蟻と同じなのか…と。信長は周囲の愚かさに苛立ちながらも、軍事・経済の両面で戦国の常識を次々と打破。怒涛の血戦を制してゆく。不変の“法則”と史実が融合した革新的エンタテインメント!( 上巻 : 「BOOK」データベースより )

信長が天下統一へと邁進する中、織田家中では羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀、柴田勝家、滝川一益ら師団長たちが苛烈な出世争いを続けていた。が、“この世を支配する原理”によれば、5人のうちの1人は必ず働きが鈍り、おれを裏切る。いったい誰が?焼けつくような駆け引きは、やがて「本能寺の変」の真相へと集束する。理想を追い求めた異端児の苦闘と内面をまったく新しい視点から抉り出し、人間の根源に肉薄した歴史小説の金字塔。( 下巻 : 「BOOK」データベースより )

 

信長の原理』の感想

 

本書『信長の原理』の第一の特徴は、織田信長の生き方を「パレートの法則」や「働きアリの法則」と呼ばれている現象を通して組み立てているところでしょう。

ここで「パレートの法則」とは、「経済において、全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという理論」のことをいいます。

そのパレートの法則の亜種として「働きアリの法則」というものがあって、「組織全体の2割程の要人が大部分の利益をもたらしており、そしてその2割の要人が間引かれると、残り8割の中の2割がまた大部分の利益をもたらすようになる」というのです(ウィキペディア : 参照 )。

 

本書『信長の原理』の信長は、幼いころに蟻の働く姿を見てこの法則に気づきます。この法則をもとに二割の精悍な軍勢をより大きく育てようともしますが、なかなかにうまくいきません。

そうした心の動きを緻密に追い求め、描写する場面が本書の各所に見られます。

それはこの法則から武将たちの動きを考察しようとする信長の心のうちだけではなく、時には秀吉であり、柴田勝家であり、その他の武将の心象であったりもするのですが、少々緻密に過ぎる、とも思えてきました。

もう少し楽に構えていいのではないかと思えます。

しかし、作者は「僕はこの小説で、事実と事実の間にある登場人物達の内面や思考を、とことん突き詰めて書こうと思」ったのだそうです。そうして、思い通りに動かない部下を持つワンマン社長の苦悩、またそのトップに振り回される部下達の苦悩を描きたかったと書いておられます( 小説丸 : 参照 )。

それが作者の意図である以上は仕方のないことなのかも入れませんが、小説を読む読者の目線からすればもう少し簡潔にあってほしいと思ったのです。

このように、本書『信長の原理』は全体的に登場人物の心象が前面に押し出して書かれています。以前この作者が第156回直木賞の候補作になった『室町無頼』の時は、心象描写はずっと抑えてあったのではないでしょうか。その上で人物らをダイナミックに動かして時代の波を描いてあったように思えます。

 

 

本書『信長の原理』は、歴史的な事実をよく調べ上げて書いておられると思いながらの読書になりました。

信長の合戦の様子を、具体的な戦闘の場面などは書かないままに砦や城を落としていく過程を細かに記し、また軍勢の展開の様子を描いてあります。

それはそれでこれまであまりなかった描き方だと思いますし、主だった参考文献の数も膨大な数に上っていて、歴史小説としての労作だと思います。

 

ただ、同じことを繰り返しますが、確かに人物の動向は理解しやすいものの、視点が変わるたびになされる視点の主の内心描写は細かすぎます。

さらに言えば、武将の心象描写が、作者が知っている歴史的事実に合致するように描かれているようです。

例えば、三方ヶ原の戦いに関する家康の本音についての光秀の考察など、普通とは異なる思考過程なのにあえて歴史的事実に合わせているように感じたのです。

 

とはいえ、以上書いてきたことと矛盾するようではありますが、普通ではあまりない柴田勝家という武将や松永弾正久秀などについて少なくない頁数を費やしてあることは歓迎すべきことでもありました。

特に松永久秀に関しての信長の思い入れの描写などは、花村萬月の『弾正星』を面白く読んでいたので、うれしくなってしまったものです。

本書は、全体的に見て少々食傷気味になるところもあるものの、ユニークな観点の歴史小説として評価できるのではないでしょうか。

 

室町無頼

室町無頼』とは

 

本書『室町無頼』は、文庫本上下二巻で737頁にもなる長編の歴史小説です。

応仁の乱のころを舞台に、一人の若者を通して実在した二人の無頼を描き出した作品で、非常に面白く読んだ物語でした。

 

室町無頼』の簡単なあらすじ

 

応仁の乱前夜。天涯孤独の少年、才蔵は骨皮道賢に見込まれる。道賢はならず者の頭目でありながら、幕府から市中警護役を任される素性の知れぬ男。やがて才蔵は、蓮田兵衛に預けられる。兵衛もまた、百姓の信頼を集め、秩序に縛られず生きる浮浪の徒。二人から世を教えられ、凄絶な棒術修業の果て、才蔵は生きる力を身に着けていく。史実を鮮やかに跳躍させ混沌の時代を描き切る、記念碑的歴史小説。(上巻 :「BOOK」データベースより)

唐崎の古老のもと、過酷な鍛錬を積んだ才蔵は、圧倒的な棒術で荒くれ者らを次々倒す兵法者になる。一方、民たちを束ね一揆を謀る兵衛は、敵対する立場となる幕府側の道賢に密約を持ちかける。かつて道賢を愛し、今は兵衛の情婦である遊女の芳王子は、二人の行く末を案じていた。そして、ついに蜂起の日はやってきた。時代を向こうに回した無頼たちの運命に胸が熱くなる、大胆不敵な歴史巨編。(下巻 :「BOOK」データベースより)

 

幼いころからボテ振りをして棒術の基礎ができていた才蔵という少年は、自分が用心棒をしていた蔵を襲ってきた骨皮道賢に気に入られ、蓮田兵衛という無頼に預けられる。

更に一人の老人に預けられた才蔵は、過酷な修業を終え、棒術の達人として蓮田兵衛の右腕となる。

市井の無頼である蓮田兵衛は、一揆をまとめ上げ幕府に立ち向かおうとする。

しかし、蓮田兵衛と同じ志を持つ筈の骨皮道賢は、治安維持の職についている以上、洛中の治安を害する者に立ち向かわなくてなならないと言うのだった。

 

室町無頼』の感想

 

本書『室町無頼』は、前半は才蔵という少年を中心に動きますが、後半になると蓮田兵衛という無頼と、同じ無頼でも表向きは治安維持の職についている骨皮道賢という二人の男を軸にして動きます。

この蓮田兵衛と骨皮道賢という二人の男の間には芳王子という遊女がいて、単に物語に色を添える以上の存在感を示しています。

この女が才蔵に語る言葉など、その一言ひとことが実に心に染み入るのです。

 

何の前提知識もなく読んでいて、和田竜の『村上海賊の娘(新潮文庫 全四巻)』を思い出していました。共に、歴史の一時点を切り取り、その時代を劇画調で表現している点で一致したのでしょう。無頼な侠(おとこ)の野放図な生き方、という点でも共通するものがありそうです。

 

 

と同時に、この時代の京を描いているので仕方がないのかもしれませんが、地獄絵図と表現されるこの頃の京と続く時代の応仁の乱後の京を舞台とした花村萬月の『武蔵』の雰囲気にも似ていると感じていました。そう言えば、『武蔵』で描かれる武蔵も、無頼であり、法の埒外に生きている点では同じです。

 

 

本書はかなりの部分が史実に立脚して描かれているらしく、その理解の一助に、時代考証の手伝いをしたという京都女子大学准教授(日本中世史)である早島大祐氏の一文があります。本書のクライマックスの一揆自体が「相国寺大塔付近で徳政一揆が蜂起」した歴史的な事実に基づくのだそうです。( 室町小説の誕生 : 参照 )

「骨皮道賢と蓮田兵衛、馬切衛門太郎などはいずれも実在の人物」だそうで、そうした実在の人物に血肉を与え、自在に動かすことで現代と「社会の様相が酷似」している室町の世で、「庶民がその先々に望みを持てない世にあって、自分で納得のできる在り方や生き方をどのように作っていけるのか、才蔵を通して描きたかった」と作者は言います。

そして、「一度でなく複数回蜂起し、ひと月半にわたって戦い、蓮田兵衛の名が残っている史実」に基づいて、この物語を書きあげたのだそうです。また、「道賢は応仁の乱で戦に敗れ、女装して生き延びようとした逸話でも知られ」ているそうで、そうした事実も物語の最後に描写し、僧形で剃髪していた道賢の坊主頭についても思いを馳せているのです。( 以上 室町小説の誕生 : 参照 )

 

本書は、物語の骨格として時代の動きを丁寧におさえてあります。そんな中で男が惚れる魅力的な男を設定し、時代の流れを読み、その流れに乗った、若しくは抗う侠(おとこ)二人のもとで成長する才蔵の姿があるのです。

そういう点では才蔵の成長譚でもありますが、やはり、骨皮道賢と蓮田兵衛という二人の侠の物語というべきなのでしょう。