「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、一つの謎が浮かんでくる―。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。涙を流さずにはいられない、男の絆、家族の絆。(「BOOK」データベースより)
「死んではいけない」と言い続けながら死んでいった主人公の宮部久蔵は、何故に死なねばならなかったのか。宮部久蔵の孫の健太郎は姉の慶子と共に祖父宮部久蔵について知るために、特攻の生き残りを訪ねます。その行脚では祖父を「臆病者」と謗る人を始めとして、天才パイロットだった、絶対に生きて帰ると言い続けていたこと、などを知るのです。
「『永遠の0』はつくづく可哀想な作品と思う。文学好きからはラノベとバカにされ、軍事オタクからはパクリと言われ、・・・まさに全方向から集中砲火」と百田氏自らのツイートで述べられているように、どうも四面楚歌な小説のようです。
本書に対する批判には戦争礼賛、特攻讃美の作品だというものもあります。個人的には本書を読んで戦争賛美などとはとても思えなかったのですが、それは個人の価値感にも帰するところがあるでしょうから何も言うこともありません。
ただ、別な批判で本書はパクリだというものがありました。本書で述べられている戦闘機乗りの言葉の多くは、実在のパイロットである坂井中尉という人の本のまる写しだというのです。著者はこれに対しオマージュだとか言われているようですが、仮にパクリという批判が事実とすれば、それには問題ありかなとは思います。
しかし、物語としての面白さだけをみると、面白かったというのが正直な感想です。涙なくしてみることはできなかった、とまではいきませんが、浅田次郎の物語に通じる面白さはありました。ただ、涙を誘うための構造が計算されているという印象はぬぐえず、その点は残念でした。浅田次郎の『壬生義士伝』で描かれている家族への想い、と本書で描かれている想いとの差が感じられるのです。
本書は岡田准一主演で映画化もされています。映画も見ましたがなかなかの出来だと思いました。本当は映画を先に見て面白く感じたので本書を読むに至ったのでした。この映画に関しても原作同様の批判が向けられているようです。しかし、個人的には映画に対する批判も的を得ているようには感じませんでした。
本書は更に漫画化もされているようです。
子供の頃に読んだ『紫電改のタカ』という漫画がありました。『明日のジョー』で有名なちばてつやの手になる戦争漫画の傑作です。私はこの作品で戦争の無意味さを教えられたような気がします。
「紫電改」は「紫電」という戦闘機の改良版で、本作品に登場のゼロ戦の後を継ぐ名機だとの謳い文句だったと記憶しています。太平洋戦争末期を舞台にしており、太陽をバックに開いての視力を奪い闘う主人公の格好良さに子供ながらの憧れを抱いたものです。
しかしながら、このコミックを読んで戦争賛美の漫画だとは誰も言わないと思うのですが、どうでしょう。
でも、そうした観点は先にも書いたように個人の有する価値感に左右されるものでしょうから、そのことに対して私が改めて何か言う気もありませんし、個人の自由だと思っています。そうした言動が許されるこの日本という国の素晴らしさを思うだけです。