逃亡作法

死刑制度が廃止された近未来の日本。“キャンプ”と呼ばれる刑務所では囚人の自由が拡大されるなど、刑務所の形態が大きく変わり加害者の人権が大幅に保護されていた。だが被害者の家族は納得がいかず、一部では復讐を誓う者同士が手を組み“キャンプ”の襲撃を計画。一方、標的となった囚人たちは“キャンプ”からの脱獄を企てていた。『このミステリーがすごい!』大賞銀賞・読者賞受賞作。(上)
連続少女暴行殺害犯・川原昇に娘を殺された飯島好孝ら遺族たちは、“キャンプ”襲撃計画を実行に移し、管理室を占拠した。だが、一瞬の隙を突き逆襲に出た囚人たちは、「アイホッパー」と呼ばれる、“キャンプ”から脱獄しようとすると眼球が飛び出すようプログラムされたチップの解除パスワードをまんまと入手。刑務所からの脱獄を開始した。第1回『このミス』大賞銀賞・読者賞受賞作。(下) (「BOOK」データベースより)

バイオレンス満載の物語でした。少々やり過ぎではないかというほどに暴力に溢れていて、猥雑という言葉がそのまま当てはまる小説です。

「猥雑」という言葉では、 中島らもの『ガダラの豚』や、 樋口毅宏の『さらば雑司ヶ谷』などがすぐに浮かびます。暴力を前面に押し出し、それでも人間の内心に深く飛び込んでいくような『ガダラの豚』は大作と言ってもいい長編小説ですが、作者の膨大な知識を彷彿とさせる、敬遠しながらも妙に心惹かれるような、微妙な小説でした。

また『さらば雑司ヶ谷』は、「猥雑」という言葉が全面に出ている、個人的には好みからは外れていた小説なのですが、パスティーシュに満ちたこの作品は、読み手のネタ元に対する知識次第では面白さ満載と言えるのかもしれません。

本書に関しては、「このミステリーがすごい!」大賞銀賞を受賞しているそうですが、こうした作品もミステリーと言えるのか、ミステリー性をあまり感じなかった私としては微妙な気持ちです。まあ、「このミステリーがすごい!」大賞自体がミステリー性は重視していないという意見も多々見られるので、それはそれで良いのでしょう。

1975年、偉大なる総統の死の直後、愛すべき祖父は何者かに殺された。17歳。無軌道に生きるわたしには、まだその意味はわからなかった。大陸から台湾、そして日本へ。歴史に刻まれた、一家の流浪と決断の軌跡。台湾生まれ、日本育ち。超弩級の才能が、はじめて己の血を解き放つ!友情と初恋。流浪と決断。圧倒的物語。(「BOOK」データベースより)

第153回直木賞で、選考委員9氏全員が一番に押し受賞が決まったといういわくつきの長編小説です。

主人公は葉秋生(イエ チョウシェン)という台北の高等学校に通う十七歳の高校生です。彼は著者の東山彰良の父親がモデルだそうで、本来は著者の祖父のことを書こうと思っていたところ、調べていく過程で父親の物語へとシフトしていったのだそうです。

日中戦争後、蒋介石率いる国民党は中国共産党との戦いに敗れ、台湾に逃れて一国を作り上げます。主人公秋生の祖父尊麟はこの時代にかなり中国本土でも暴れまわったらしいのですが、国民党と共に台湾に逃れてきてからは家族や一族を大切にして暮らしていました。その祖父が、蒋介石総統の死の直後に殺されてしまいます。誰が何のために祖父を殺したのか。

話は主人公の無軌道な高校生活から始まります。それはまるでヤンキー小説の始まりのようでもありました。金属製の定規をナイフ代わりにしたエピソードなども出てきますが、それも父親の話をもとにしているそうです。

この物語を読み進むにつれ、ぐいぐいと惹きこまれる自分を意識していました。主人公の成長譚でもあるこの小説は、そのまま青春小説でありながら家族の物語でもあり、祖父の死の謎を追及しようとする主人公の姿はミステリー小説でもあったのです。この物語の持つパワーはすさまじく、次第に小説の深みを感じ始めるとともに、そうした諸々の要素に惹きつけられたのでしょう。

ほとんど苦労という苦労を知らずに育ってきた私などからすると考えられない世界であり、戦後の民族としての意識を改めて考えさせられる物語でもあります。その上で、惹きつけられるのですね。

後記の伊集院静と東山彰良との対談は強烈です。そこでも出てくるのですが、本書冒頭のエピソードなども著者の父親の話をもとにしていたりと、かなりの部分が祖父なり父親なりが経験した事実をもとに書かれているようです。

小説を書くということは、「真実」を見つける作業ではあるけれど、「事実」を書くことではない。こうあってほしい、こんな人間がいたら面白いだろうという物語を、作家が作り上げていくわけだ。

とは著者との対談での伊集院静の言葉ですが、その祖父なり父親なりの「真実」を見つける作業の末に本書が成立していることになります。そして、著者が作り上げた葉秋生という人物こそが、著者なりに自分の来歴を見つける作業の結果作り上げられた人格であるわけです。

著者本人が自らの家族の物語を書いている作品はいくつかありますが、曽祖父母をモデルに書いたという 北方謙三の『望郷の道』などは本書に似たようなエネルギーを持っていましたね。この本は舞台が筑豊の川筋の話から始まり、台湾に渡って一代で製菓会社を作り上げる物語であり、青春記とはかなり違いますがその熱量は相当なものでした。

また、自分の両親を姿を描いた火野葦平の『花と竜』は北九州の沖仲仕の姿を描いており、幾度も映画化もされている名作です。本書とは内容も方向性も全く異なりますが、これらの作品で感じた「侠客」の物語の持つエネルギーは、本書の持つエネルギーに近いものを感じたのです。

蛇足ですが、

魚が言いました・・わたしは水のなかで暮らしているのだから
  あなたにはわたしの涙が見えません。  王璇「魚問」より

  
効果的に使っているこの言葉も父親の言葉だということでした。このおやじさんがあっての著者なのだと、思わせられるエピソードでした。

路傍

俺、28歳。金もなけりゃ、女もいない。定職にも就いてない。同い年の喜彦とつるんでは行きつけのバーで酒を呑み、泥酔したサラリーマンから財布を奪ったりしてはソープランドへ直行する日々。輝いて見えるものなど何もなかった。人生はタクシーに乗っているようなもので、全然進まなくても金だけはかかってしまう。そんな俺たちに今日も金の臭いがするトラブルが転がり込む。第11回大藪春彦賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

何とも、ただ猥雑としか言いようのない本でした。

 

作者の東山彰良氏は『』という作品で2015年の直木賞を受賞しています。ただその事実だけで、他の作品を読んでみようと、どうせ読むならば第11回大藪春彦賞を受賞しているこの作品を読んでみよう、という思いだけで手に取った作品です。

千葉の船橋を舞台に、まったく普通の二人のチンピラの行動を、ただただ追いかけている、そんな物語です。あらすじめいたものが何もないこの物語は、しかしながら選者のひとりである馳星周氏の「どれだけ技巧を凝らしたミステリも、・・・・・・頭に浮かんだことをただ綴っていった物語に蹴散らされてしまった。」という絶賛の言葉がありました。

つまりは、「二人の行動を、ただただ追いかけている、そんな物語」だと言う私の印象そのものは外れてはいないのですが、その評価は全く違うのです。

 

大藪春彦賞の選考委員四人全員の満場一致で決まったらしく、プロの目で見ると「才能豊か」となるのですから、いかに私の読みこみが薄いものか、思い知らされました。実際、東山彰良というこの作者は、その数年後には『』で直木賞を取る作家となるのです。

馳星周氏に代表される(と言っていいかは不明ですが)ノワール小説という分野を、私はあまり知りません。だからなのかもしれませんが、本書『路傍』は、若干受け付けないところがあったのかもしれません。

でも馳星周氏が言うように「語り口の心地よさ」を感じていたからこそ、それほど苦でもなく最後まで読みとおしたのでしょう。そうだと思うことにしておきます。