同姓同名

本書『同姓同名』は、テレビ番組の「王様のブランチ」で紹介されていた作品で、新刊のソフトカバー本で372頁になる長編の推理小説です。

登場人物が大山正紀という同姓同名の人物ばかりであり、作者の仕掛けが満載の、どんでん返しにつぐどんでん返しが続く、とても面白いエンターテイメント小説です。

 

大山正紀はプロサッカー選手を目指す高校生。いつかスタジアムに自分の名が轟くのを夢見て練習に励んでいた。そんな中、日本中が悲しみと怒りに駆られた女児惨殺事件の犯人が捕まった。週刊誌が暴露した名は「大山正紀」。報道後、サッカー推薦の枠から外れた高校生の大山正紀を始め、不幸にも殺人犯と同姓同名となってしまった“名もなき”大山正紀たちの人生に影が落ちる。そして7年後、刑期を終え大山正紀が世に放たれた。過熱する犯人批判、暴走する正義、炎上するSNS。犯人に名前を奪われ人生を穢された大山正紀たちは、『“大山正紀”同姓同名被害者の会』に集い、犯人を探し出そうとするが―。大山正紀たちには、それぞれの秘密があった。どんでん返しどころじゃない!前代未聞のノンストップミステリ。(「BOOK」データベースより)

 

本書『同姓同名』は、とにかくよく考えられ、練り上げられたミステリーです。

本書冒頭に掲げられた新聞記事からして大山正紀が大山正紀を殺したという記事であり、最後の最後まで仕掛けが張り巡らされています。

また、上記の本書の内容紹介文からも分かるように、現代社会のSNSというツール上でのものも含めた他者への批判、などを取り上げた、社会性を絡めた推理小説だと言えます。

 

本書『同姓同名』の登場人物である大山正紀たちは、ただ女児惨殺事件の犯人と同じ名前というだけで、人生が大きく狂い始めます。

あるいは有名大学へのサッカー推薦が断られ、あるいは就職の内定ももらえず、また恋人にも別れを告げられるなどの被害をこうむるのです。

犯人大山正紀の釈放後、彼らは『“大山正紀”同姓同名被害者の会』を立ち上げ、狂い始めた人たちの人生を何とかしようとします。

その後、犯人を探し出して顔写真を公開し、犯人と自分たちは違う人間なのだと知らしめることが一番だという結論にたどり着きます。

そこで、彼らはネットを駆使し、事件ゆかりの人たちに会って犯人を特定しようと走り回るのです。

 

いくら何でも、犯人と同姓同名というだけで、本書に書いてあるような理不尽な扱いは受けないだろうという思いが一方ではありました。

しかしながら、現実社会でも似たような事柄はありました。すぐに思い出すのは、本書にも書いてあった、あおり運転の末追突事故に遭い、夫婦がなくなった事件です。

事件の容疑者と同じ職種の会社名が容疑者の苗字と同じだったため、同姓の社長が父親だとのデマがネット上で拡散し、自宅の住所も電話番号もさらされ、一日百件の嫌がらせの電話が相次いだということでした。

たしかに、近年のコロナ下での同調圧力や個人的な正義感の押し付けなど、客観的に見ればなんとも理不尽としか見えない事例も頻発しています。

とすれば、本書『同姓同名』で描かれているような理不尽な仕打ちも虚構に過ぎないと言い切ることもできなさそうです。

 

つい先日読んだ呉勝浩の『スワン』でも、中身は勿論全く異なる本格派ミステリーというべき作品でしたが、ネット上のいわれなき中傷、という点では似たような事柄を扱った作品でした。

 

 

本書『スワン』でも、読者のミスリードを誘いながら意外な着地点へと読者を導くという手法は似ています。

しかし、本書『同姓同名』は、登場人物の区別そのものをあいまいにしている点で、本書自体が仕掛けの上に成立している点が異なります。また本書の場合、どんでん返しの繰り返しという点でも驚くべきものがあるのです。

また、本書の方がよりネット社会というものを意識しているようです。

 

私自身はツイッターなどのSNSをしません。ですから、本書での大山正紀が自分のツイッターアカウントを削除するときに、自分が社会から追い出されたと感じている感覚は分かりません。

いくら、匿名で参加しているツイッターだけでしか自分の本心をさらせないとしても、社会から断絶されたと考える感覚が分かりません。

社会との繋がりはネットだけではないだろうと思ってしまうのです。

日々ツイッターだけで人と繋がっていると考える人にとってはそれだけ大事なものなのだろうと推測するだけです。

 

本書『同姓同名』での大山正紀氏たちは結局犯人の顔をネットにさらすことによって自分たちの普通の生活を取り戻そうとします。

そこに、ネット上などで自分が信じる正義のために他者を攻撃している人たちと同じ行為を為そうとしていることに気が付きません。

自分たちは犯人によって犯された自分たちの普通の生活を取り戻そうとするだけであり、犯人はその顔をさらされて当然なのだとしか考えないのです。

その先は本書を読んでもらうとして、彼ら大山正紀たちの目論見は意外な結末を迎えることになります。

 

本書『同姓同名』の欠点といえば、登場人物が皆、大山正紀という名前であるために、その段落での視点の主が若干分かりにくいということが挙げられます。

しかしながら、それこそが作者の意図しているところでしょうから、その点に文句を言うことは本書の成立自体を否定することでしょう。

 

再度書きますが、本書はよく練られたミステリーだと思います。

それだからこそ、本書『同姓同名』の設定は受け入れられない人もいるのではないかと思います。

しかし、その点を置いてもミステリーとして読みがいはあると思える作品でした。

生還者

ヒマラヤ山脈東部のカンチェンジュンガで大規模な雪崩が発生、4年前に登山をやめたはずの兄が34歳の若さで命を落とした。同じ山岳部出身の増田直志は、兄の遺品のザイルが何者かによって切断されていたことに気付く。兄は事故死ではなく何者かによって殺されたのか―?相次いで二人の男が奇跡の生還を果たすが、全く逆の証言をする。どちらの生還者が真実を語っているのか?兄の死の真相を突き止めるため、増田は高峰に隠された謎に挑む!新乱歩賞作家、3作目の山岳ミステリー!(「BOOK」データベースより)

本書の主人公である増田直志は兄謙一をヒマラヤ山脈東部のカンチェンジュンガで発生した雪崩によって失ないますが、兄の残したザイルには人為的な切り込みがあったのです。ところが、兄を奪った雪崩からの生き残りが二人も生還します。そして、生き残りの一人は兄たちの登山隊に見捨てられたと言い、他の一人はそうではないと言います。

何故兄は死なねばならなかったのか、直志は女性記者の八木澤恵利奈と共に事の真相を探り始めます。若干の混乱を感じながらも、ミステリアスに進む物語に惹きこまれ、最後まで緊張感を持って読み終えることができました。

本書を書かれた下村敦史氏は、『闇に香る嘘』によって乱歩賞を受賞された作家さんで、乱歩賞作家の手による山岳小説との謳い文句に魅かれて本書を読んだのです。

その思いは裏切られることはなかったと言えると思います。若干、状況や人間関係が錯綜していて分かりにくくなりかけた思いもありますが、貼られた伏線は丁寧に回収されていて、作者の筆力もあってか途中で感じたほどには読みにくさはありませんでした。

ただ、本書には兄謙一の恋人である清水美月、今の直志の恋人である風間葉子、そして探偵役である八木澤恵利奈という三人の女性たちが登場しますが、主人公の増田直志がそのそれぞれに心惹かれていくのです。この恋模様はなくてもよかった気はしました。

本書の舞台となるカンチェンジュンガは、世界第3位の標高を持ち、チベット語で「偉大な雪の5つの宝庫」の意味を持つ山だそうで、壮大さは比類がないとありました。(ウィキペディア : 参照 )

実際は本書での山の描写の比重はそれほどには重くはないのですが、それでも冬の白馬やカンチェンジュンガの描写は迫力があります。著者は本格的な山は素人だと言うことなので、かなりの資料を読みこみ、想像力で補われたのでしょう。

山を舞台にしたミステリーと言えば、笹本稜平が思い浮かびます。エベレストの山頂近くで人工衛星の落下の場面に遭遇した主人公のヒマラヤ山中での死闘をえがいた『天空への回廊』などを始めとして、ミステリーというよりは人間ドラマを描いた作品が多いとは思いますが、山の描写では他の追随を許さないと思われます。

そしてもう一人、山と言えば新田次郎を外すわけにはいきません。実在の登山家である加藤文太郎をモデルに書かれたフィクションである『孤高の人』や、石原勇次郎主演で映画化もされた富士山測候所に台風観測のための巨大レーダー建設するを描いた『富士山頂』など数多くの作品があります。
こちらもミステリーではなく人間ドラマを描いた作品ばかりですが、是非一読の価値ありの作品ばかりです。