空より高く

僕らは廃校が決まった東玉川高校最後の生徒。平凡な高校生として、それなりに楽しくやっていたのに、赴任してきた熱血中年非常勤講師・ジン先生のせいで調子がくるった。通学路で出会ったピエロさんの大道芸に魅せられた僕は、ジン先生の持ち込んだ迷惑な「ウイルス」に感染して…。思わぬところから転がり込んだ「セーシュン」、そして明らかになる、ジン先生の―トンタマ一期生の、過去。(「BOOK」データベースより)

廃校の決まった東玉川高校の三年生松田練太郎、通称ネタローを主人公とする青春小説です。

学年の途中で中年非常勤講師として赴任してきた神村仁先生の言葉「レッツ・ビギン」に触発され、ネタローはジャグリングを始めようと決心するのです。

本書はユーモア青春小説とでも言って良いのでしょうか。ただ、この作家の「エイジ」と比べてしまうためか、どうしても主人公の内心の書き込みを薄く感じてしまいました。神村先生の存在も少々取ってつけたようで存在感を感じにくいのです。

軽く読めるのは間違いないのですが、物語として深みを感じないのでは心に残りません。どうしても存在感の感じられない作られた存在としての主人公、と感じてしまいました。

しかし、肩ひじ張らずに、気楽に読める本ではあります。

あすなろ三三七拍子

四十五歳のおっさんが大学に入り、部員数が足らないために廃部の危機にある応援団を立て直す、というユーモア小説です。

あすなろ大学の応援団は部員の不足により廃部の瀬戸際にあった。そこで、前身である世田谷商科大学の応援団員であったワンマン社長の命令により、総務課長藤巻大介があすなろ大学に入学し、応援団を存続させることになった。応援団OBである斎藤と山下というコンビの指導のもと、藤巻は応援団を存続させることはできるのだろうか。

かつて『嗚呼!花の応援団』という「どおくまん」という作者の漫画がありました。どちらかと言うと雑ともいえる絵で、内容も品の無いぶっ飛んだ漫画でした。しかし、その漫画がとても面白かったのです。当時はテレビでもあちこちの応援団のドキュメンタリーがあったりと、「応援団」という存在にかなり焦点が当たっていたと思います。

でも現在はかつての面影は無いようです。当時でもかなりアナクロな存在だった応援団は一時期は全く消えたようにも思えました。しかし、今ではチアリーダーも取り込んでいるようで、形を変えた存在としてまだ残っているようです。

その応援団にこともあろうに四十五歳のおっさんを入団させようというのですから、『嗚呼!花の応援団』にも似た世界かと思っていました。しかし、設定が設定でもあり、ユーモア満載の物語で、『嗚呼!花の応援団』ほど下品でもありません。あくまで今の応援団なのです。

おっさんが学ラン姿で闊歩するのですから周りは引くばかりです。そうした中で主人公藤巻の娘の彼氏や、応援団OBの息子たちの力を借りながら、何とか頑張っていく姿が読者の共感を得て来るのですから不思議です。

当初は若干ついていけないかとも思った物語でしたが、読み進めるうちに少しずつ引き込まれてしまいました。中年サラリーマンの悲哀を中心に家族の問題をも絡めながら、ユーモア小説としてきちんとまとまっているのです。

現在の本物の応援団も、人間関係などのけじめは残っていると思われ、そうした点を茶化しつつ認めている本書は、それなりにあり得る物語なのでしょう。

エイジ

ぼくの名はエイジ。東京郊外・桜ヶ丘ニュータウンにある中学の二年生。その夏、町には連続通り魔事件が発生して、犯行は次第にエスカレートし、ついに捕まった犯人は、同級生だった―。その日から、何かがわからなくなった。ぼくもいつか「キレて」しまうんだろうか?…家族や友だち、好きになった女子への思いに揺られながら成長する少年のリアルな日常。山本周五郎賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

東京近郊の桜ヶ丘ニュータウンに住む中学2年生の高橋栄司、通称エイジの日常をリアルに描いて、友達や女の子、そして家族への感情をもてあます少年の一時期を描いています。

この町で起きていた通り魔事件がエイジの生活に関連してきたり、ひざの故障から好きだったバスケットクラブも止めざるを得なくなり、そのやめた後のクラブではいじめがあったり、更には少なからず思っていた女の子から思いがけない言葉をかけられたりと、エイジの日常は様々な事件が巻き起こります。

そうした生活の中でエイジは家族に対してはどこかホームドラマを見ているように感じ、また通り魔と自分との差は何なのか、とひたすら突き詰めようとします。中学二年生という年代の不安定さが丁寧に描いてあります。

本書が発表された数年前に「神戸連続児童殺傷事件」が起きました。俗に「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)事件」と呼ばれるこの事件は犯人が中学生であることに驚かされたものです。本書はこの事件を受けて書かれたものなのでしょう。大人の視点とそれに対する少年たちの視点の「ずれ」。この年頃の少年の内心をリアルに描写することで、「キレる中学生」に対する作者なりの答えを示したものなのでしょう。

また、この物語の中でも語られている、主人公のエイジという名前とage(世代)との語呂合わせも考慮されているようです。

自分を日常に結び付けている紐(ひも)を切ることが「キレ」ることなのかと考えるエイジですが、物語も終わりに近くなり、小さくキレます。その後のエイジの日常への回帰はまた自分の生活と重ね合わせて見ててしまいます。

青春を見つめ、そして家族をも考えさせる本書は山本周五郎賞を受賞しています。