空より高く

廃校が決まった東玉川高校、通称トンタマ。卒業を控えた最後の生徒たちの「終わり」に満ちた平凡な毎日は、熱血中年非常勤講師・ジン先生の赴任で一変した。暑苦しい「レッツ・ビギン!」のかけ声に乗せられて、大道芸に出会った省エネ高校生が少しずつ変わっていく―きっと何か始めたくなる、まっすぐな青春賛歌。(「BOOK」データベースより)

 

主人公は廃校の決まった東玉川高校三年生のネタローこと松田練太郎。どこかで聞いたような、若しくは読んだことのあるような、特別エンターテインメント性が強いわけでもない、長編の青春小説です。

本書の主人公ネタローは、学年の途中で中年非常勤講師として赴任してきた神村仁先生の言葉「レッツ・ビギン」に反応し、何かを始めようということでジャグリングを始めます。それも、違う意味で反応してしまった女の子と何時もの仲間を巻き込んでのイベントを始めるのです。

 

自分自身の高校生時代を思うとこんな生徒はいないだろうと思われ、反面、学生運動の余波が高校にまで吹き荒れていた自分たちの時代も結局は似たような生徒がいて、似たようなことをやっていたのではないか、とも思えます。

では自分自身はというと、大多数の生徒と同じで何事にも中途半端でいたのではなかったでしょうか。

 

私の時代の青春ものと言えまずはテレビドラマということになります。石原慎太郎原作の「青年の樹」に始まり、夏木陽介主演の学園ドラマ「青春とは何だ」が大ヒットし、間に「これが青春だ」等々があって、中村雅俊主演の「俺たちの旅」、勝野洋主演の「俺たちの朝」と続きました。

 

 

小説では1969年に芥川賞をとった庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」があります。この「赤ずきんちゃん気をつけて」は、実に平易な文章で高校生のある日の出来事を語った作品でした。

 

 

本作品も難しい言葉は無く、淡々と高校生の日常が語られていきます。ただ、本作は典型的というか作られた「セーシュン」を描いているようで、どうもあまり心に響かないのです。

しかしながら、読みながら気付いたのですが、今の年代になった私は主人公のネタローよりもジン先生の目線で本書を見ていたのです。

年齢を経てしまうと青春小説も読めなくなったのだろうかと少々焦ったのですが、でも、 三浦しをんの『風が強く吹いている』や 恩田陸の『夜のピクニック』などは青春小説として琴線に触れるものがあったのですから、歳をとっても青春小説を読めない筈はないのです。

 

 

ということはやはり本書が少々「セーシュン」を正面から取り上げすぎていて、反発したのかもしれません。その意味では歳をとったら読めないのかもしれません。

結局、何とも感想の述べにくい作品でした。

あすなろ三三七拍子

藤巻大介、四十五歳、総務課長。ワンマン社長直命の出向先は「あすなろ大学応援団」。団員ゼロで廃部寸前の『団』を救うため、大介は特注の襟高学ランに袖を通す決意をする。妻と娘は呆れるが、社長の涙とクビの脅しに、返事は「押忍!」しかありえない。団旗を掲げ太鼓を叩き、オヤジ団長・大介は団員集めに奔走する。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

地獄の合宿を終え、『団』として成長した団長・大介と三人の団員たち。しかし初陣直前、鼓手・健太の父が危篤に陥る。軋轢を抱えながら向き合う父子に、大介が伝えられることはあるのか。人生の岐路に立つ若い団員たち、重い荷を負うオトナたち、そして同じ時代を生きるすべてのひとに、届け、オヤジの応援歌!(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

四十五歳のおっさんが大学に入り、部員数が足らないために廃部の危機にある応援団を立て直す、というユーモア小説です。

 

あすなろ大学の応援団は部員の不足により廃部の瀬戸際にあった。そこで、前身である世田谷商科大学の応援団員であったワンマン社長の命令により、総務課長藤巻大介があすなろ大学に入学し、応援団を存続させることになった。

応援団OBである斎藤と山下というコンビの指導のもと、藤巻は応援団を存続させることはできるのだろうか。

 

かつて『嗚呼!花の応援団』という「どおくまん」という作者の漫画がありました。どちらかと言うと雑ともいえる絵で、内容も品の無いぶっ飛んだ漫画でした。しかし、その漫画がとても面白かったのです。

当時はテレビでもあちこちの応援団のドキュメンタリーがあったりと、「応援団」という存在にかなり焦点が当たっていたと思います。

 

 

でも現在はかつての面影は無いようです。当時でもかなりアナクロな存在だった応援団は一時期は全く消えたようにも思えました。

しかし、今ではチアリーダーも取り込んでいるようで、形を変えた存在としてまだ残っているようです。

 

その応援団にこともあろうに四十五歳のおっさんを入団させようというのですから、『嗚呼!花の応援団』にも似た世界かと思っていました。

しかし、設定が設定でもあり、ユーモア満載の物語で、『嗚呼!花の応援団』ほど下品でもありません。あくまで今の応援団なのです。

おっさんが学ラン姿で闊歩するのですから周りは引くばかりです。そうした中で主人公藤巻の娘の彼氏や、応援団OBの息子たちの力を借りながら、何とか頑張っていく姿が読者の共感を得て来るのですから不思議です。

当初は若干ついていけないかとも思った物語でしたが、読み進めるうちに少しずつ引き込まれてしまいました。中年サラリーマンの悲哀を中心に家族の問題をも絡めながら、ユーモア小説としてきちんとまとまっているのです。

現在の本物の応援団も、人間関係などのけじめは残っていると思われ、そうした点を茶化しつつ認めている本書は、それなりにあり得る物語なのでしょう。

 

ちなみに、本書を原作として柳葉敏郎の主演でテレビドラマ化されました。普段ドラマは見ない私ですが、このドラマは原作を読んでいたこともあり見たのですが、なかなかに面白くできていたと思います。

エイジ

本書『エイジ』は、東京近郊の桜ヶ丘ニュータウンに住む中学2年生の高橋栄司、通称エイジの日常をリアルに描いて、友達や女の子、そして家族への感情をもてあます少年の一時期を描いている長編の青春小説で、山本周五郎賞を受賞した作品です。

これまで読んだ作品の中では一番読みごたえのある物語でした。

ぼくの名はエイジ。東京郊外・桜ヶ丘ニュータウンにある中学の二年生。その夏、町には連続通り魔事件が発生して、犯行は次第にエスカレートし、ついに捕まった犯人は、同級生だった―。その日から、何かがわからなくなった。ぼくもいつか「キレて」しまうんだろうか?…家族や友だち、好きになった女子への思いに揺られながら成長する少年のリアルな日常。山本周五郎賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

この町で起きていた通り魔事件がエイジの生活に関連してきたり、ひざの故障から好きだったバスケットクラブも止めざるを得なくなり、そのやめた後のクラブではいじめがあったり、更には少なからず思っていた女の子から思いがけない言葉をかけられたりと、エイジの日常は様々な事件が巻き起こります。

そうした生活の中でエイジは家族に対してはどこかホームドラマを見ているように感じ、また通り魔と自分との差は何なのか、とひたすら突き詰めようとします。

中学二年生という年代の不安定さが丁寧に描いてあります。

 

本書『エイジ』が発表された数年前に「神戸連続児童殺傷事件」が起きました。俗に「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)事件」と呼ばれるこの事件は犯人が中学生であることに驚かされたものです。本書はこの事件を受けて書かれたものでしょう。

大人の視点とそれに対する少年たちの視点の「ずれ」。この年頃の少年の内心をリアルに描写することで、「キレる中学生」に対する作者なりの答えを示したものと思われます。

この主人公の行動が平均的な中学生の行動だとは決して思えませんが、リアルな中学生像として迫ってきます。それはこの作者の筆力によるところが大きいのでしょう。

一日一日はいやになるくらいだらだらしているのに、それが連なった毎日は、滑るように過ぎていった。」などという青春の一日の描写は、読みながら小さな感動すら覚えました。

こういう表現で中学生の心理を描いているのですから、読み手は引き込まれる筈です。

 

これまで読んだこの作者の二冊の作品は本書の後に書かれているのに、本書ほどの感銘はありませんでした。

『エイジ』というこの作品がこの作者の最高の作品なのでしょうか。山本周五郎賞を受賞している作品だけのことはあると思え、だとすれば、やはりプロの文筆家が認めた作品こそが面白いのでしょうか。

また、この物語の中でも語られている、主人公のエイジという名前は、age(世代)という言葉との語呂合わせも考慮されているようです。

 

青春小説には多くの名作と言われる作品がありますが、中でも直木賞を受賞した作品として、 金城 一紀が書いた『GO』という小説があります。

本書『エイジ』と異なり、『GO』の主人公は在日韓国人の高校生です。著者の自伝的な作品で、差別的な視線の中で苦悩する主人公の姿が描かれている名作でした。

 

 

自分を日常に結び付けている紐(ひも)を切ることが「キレ」ることなのか、と考えるエイジですが、物語も終わりに近くなり、小さくキレます。

その後のエイジの日常への回帰はまた自分の生活と重ね合わせて見てしまいます。

青春を見つめ、そして家族をも考えさせる本書は小さな感動を呼ぶ青春小説でした。