冬季閉鎖中のリゾートホテルの管理人一家を、ホテルに巣食う悪霊たちが襲う。その恐怖と惨劇をおそるべき筆力で描ききった20世紀史に残るホラーの金字塔『シャイニング』。あれから36年、巨匠キングは「その後の物語」を書く。超能力“かがやき”を持つ少年ダニーは、どんな人生を歩んだのか?そして大人になった彼を、宿命は新たなる惨劇へと導くのだ。迫る邪悪と、彼と似た能力を持つ少女の誕生―誰も予想しなかった名作の続編が幕を開ける!(上巻「BOOK」データベースより)
忌まわしい地に巣食う、忌まわしい者たち。彼らをとめるのが、わたしたちの使命―“かがやき”を武器に、わたしたちは立ち上がる。世界一の物語作家によるエンタテインメント巨編。(下巻「BOOK」データベースより)
S・キングの初期の名作『シャイニング』の続編の長編ホラー小説です。
ロッキー山上にあるオーバールックホテルから脱出したダニー少年は、悪霊の影から逃げるために酒に走り、アルコール中毒となったことから定職にもつけずにいて、あちこちを放浪していました。
そして、じきに三十の大台に乗ろうかとする頃、フレイジャーという町へと流れついたのです。そのとき前作からの心の友であるトニーが「ここがその場所だよ」とダニーの心に語りかけてきたのでした。
その町にいたのがビリー・フリーマンであり、彼の紹介で町のサービス係のキングズリーに雇われることになります。ダニーは老人ホームの職員として働きながら、彼の“かがやき”の力を使い、天に召される患者の心安らかな人生の終わりを手助けしていました。
その後しばらくして、この町の近くで生まれたアブラという名の女の子との心の交流が始まります。お互いに顔も見知らぬままでの心の交流は続き、そしてアブラは成長して、ダニーらと共に真の敵である真結族と対決するその時が近づいてくるのでした。
さすがにS・キングの小説であり、それも『シャイニング』の続編ですから力が入っていて、それなりに面白く読んだ小説でした。
しかし、初期のS・キングの作品群で感じていたようなときめきは薄れているように感じます。
そのそもキングの初期の名作である『シャイニング』は、冬の山荘に閉じ込められたひと組の親子と、その山荘に潜む悪霊との、言わば絶対的な抽象的存在としての「悪」と、“かがやき”という力を持つ能力者との対決としての闘いが描かれていました。
キングの初期の作品にはこうした抽象的な悪が存在していたように思います。それは例えば『IT』(文春文庫 全四巻)でのピエロの存在のように、それなりに具象化された相手として設定されていたとしても、それは抽象的な超自然的存在としての悪の象徴にすぎなかったように思えるのです。
『ザ・スタンド』(文春文庫 全五巻)や、2018年に映画が公開された『ダークタワー』(新潮文庫 全十六巻)のような大河小説にしても、具体的な悪の存在は設定してあっても、『指輪物語』における冥王サウロンのイメージのような、超越的存在としての根源的な悪が背景に想定できるのです。
しかし、この頃のキングは、本書のように具体的な存在としての「悪」が設定されていて、それに尽きる感じがします。本書の敵役は真結族であり、更にはその指導者で、シルクハットをかぶっているローズという名の女こそがダニーの、そしてアブラの前に立ちはだかるのです。
この「真結族」という存在は、ダニーやアブラたちが有する“かがやき”という力を、自分たちの生命の源である「命気」として吸い上げることを目指しています。それは、特にアメリカのホラー映画で見られるクリーチャーのような存在であり、具体的存在です。
まさに、欧米のホラー映画に登場するクリーチャーが恐怖の対象であるように、真結族という存在こそが「悪」であり、それで完結しているように思えます。
こうした感じ方はもしかしたら間違っているのかもしれません。本書においても真結族の背後により巨大な「悪」が存在していたのかもしれません。しかし、少なくとも私はその存在を読みとることはできませんでした。
S・キングの往年の迫力ある物語をまた読みたいものです。
ただ、まだ『11/22/63』(文春文庫 全三巻)という作品も読んでいないし、キング初のミステリーと言われる『ミスター・メルセデス』(文藝春秋 上下二巻)も読んでいません。更には『IT』も再映画化されて2017年に公開されたし、再びキングを読んでみようかという気になています。