よむよむかたる

よむよむかたる』とは

本書『よむよむかたる』は、2024年9月に文藝春秋から320頁のハードカバーで刊行された、第172回直木賞候補作となった長編小説です。

物語にイベントが発生することが少なく、読んでいて平板という初期の印象が次第に突き崩されていくのには驚かされました。

よむよむかたる』の簡単なあらすじ

小樽の古民家カフェ「喫茶シトロン」には今日も老人たちが集まる。月に一度の読書会“坂の途中で本を読む会”のためだ。この会は最年長92歳、最年少78歳の超高齢読書サークル。それぞれに人の話を聞かないから予定は決まらないし、連絡が一度だけで伝わることもない。この会は発足20年を迎え、記念誌を作ろうとするが、すんなりと事が進むはずもなく…。(「BOOK」データベースより)

よむよむかたる』について

本書『よむよむかたる』は、平均年齢85歳の超高齢者が集まり運営されている読書サークルの物語です。

読書の初めに感じた“平板”で起伏に欠けるという印象が次第に変化し、いつか物語に引き込まれていました。

 

本書の舞台となるのは、「坂の途中で本を読む会」という読書会です。

この会の活動内容は、1冊の課題書を決めて順番に声を出して読み、各自がそれぞれの解釈、すなわち読みを語るというものです。

その課題書が今回の「読む本当番」のまちゃえさんの提案により、佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』という作品です。

この作品はアイヌ語で「フキの下の人」という意味のコロポックルという小人が出てくるファンタジー作品で、タイトルだけは知っていましたが私は未だ読んだことはありません。

よむよむかたる』の登場人物

登場人物といえば、まず本書の語り手としての安田松生、そして安田の叔母で「喫茶シトロン」のオーナー兼前店長の美智留さん。

そして、「読む会」の仲間が八十八歳の元アナウンサーで「会長」こと大槻克巳さん、次にこの会の最高齢者九十二歳の「まちゃえさん」こと増田正枝さんとその夫で一番若い七十八歳の「シンちゃん」こと増田晋平さんと続きます。

そして八十二歳の会計担当「マンマ」こと加藤竜子さん、ともに八十六歳の中学校教師仲間だった「シルバニア」こと三田桃子さんと「蝶ネクタイ」こと佐竹均さんたちがいます。

ほかに途中から登場してくる文学館の事務員の井上さんや「喫茶シトロン」のスーパーサブで隣家に住むサッちゃんなどがおり、名前だけの登場であはありますが増田晋平と正枝夫婦の息子の増田明典さん、などの人たちがいます。

よむよむかたる』の感想

本書『よむよむかたる』の語り手は安田松生という売れない小説家です。主人公は、というと「読む会」の仲間ということになるのでしょうか。

安田は、四年前に新人賞を受賞し、三年前に一冊の本を出したものの、一読者からの安田の書いた小説のアイディアに対する疑問の手紙が届いてから、小説を書けなくなっていました。

そんな時に、再婚し函館へ転居するという安田の叔母の美智留が小樽で営んでいる古民家カフェの「喫茶シトロン」という店を引き継がないかという話が起こり、すぐに小樽へとやってきたものです。

 

本書『よむよむかたる』は、どうにも冒頭近くから内容があまり頭に入ってきません。

「2 いつかの手紙」で読書会が開かれ「読み」に対する各人の感想が語られていますが、まずその感想が不自然だと思ってしまい語っている内容が入ってきませんでした。

会長さんの「読み」に対するまちゃえさんの感想が、あまりにきちんとした受け答えであり、どう考えてもそんな筋の通ったことは言わないだろうと思ってしまったのです。(会長の読み方に対する賛辞であることはいいのですが、)

確かに、途中から話は明後日のほうへと飛び、肝心の読みに対する感想はどこかへ行ったりするのですが、その後の、しんちゃん、蝶ネクタイと続く感想も同様で感想自体は実に筋の通った意見であり、老人たちの感想会にしてはできすぎているのです。

 

こうして、本書は超高齢者たちによる「読書会」を舞台とする物語だからか、物語の起承転結も実に平板で、読み進めるのに少々努力が必要だと思うに至ったのです。

ところが、この作者の状況を説明する文章は、決して短くはないのだけれど読みやすいのです。

なぜなのだろうと考えていたところ、読後に読んだ書評家杉江松恋氏の文章に「朝倉の魅力は、豊かな喩えの表現である。」という一文に出会い、納得しました。

この作者の文章はとても独特で的確な例えで満たされており、物語の場面が感覚的につかみやすいのです。

 

そうした読みやすさを感じていたところ、「坂の途中で本を読む会」のメンバーの思いもかけない会話の展開はそうした違和感をも乗り越えて迫ってくるようになりました。

中盤あたりから、冒頭に感じていた違和感などどこかへ行ってしまい、物語の展開にどんどんと引き込まれるようになってきたのです。

そうすると、読み初めに出来すぎと感じていた老人たちの感想の表出も、別にそれほどではないのではないかと変わってきます。

 

そして、クライマックスへと至り、本書に対する冒頭のマイナス評価はどこへやら、さすがの直木賞候補作だと思うようになっていました。

最終的には、意味ありげに書かれていた伏線がまとめて回収されていくのに驚き、そして読む会の構成員の高齢者たちの元気さに驚いている自分がいました。

また、本書『よむよむかたる』の登場人物たち、若い安田ではない年寄りたちとあまり変わらない私自身の年齢に驚きながら、改めて元気を出さねばと思う作品でした。

平場の月

朝霞、新座、志木―。家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとりである。須藤とは、病院の売店で再会した。中学時代にコクって振られた、芯の太い元女子だ。50年生きてきた男と女には、老いた家族や過去もあり、危うくて静かな世界が縷々と流れる―。心のすき間を埋めるような感情のうねりを、求めあう熱情を、生きる哀しみを、圧倒的な筆致で描く、大人の恋愛小説。(「BOOK」データベースより)

 

本書の帯にいう「もう若くはない男と女の、静かに滾るリアルな恋」を描き出し、第161回直木賞の候補作となった長編の恋愛小説です。

 

やはり恋愛小説は苦手だと、あらためて思わされた作品でした。本書ではそれに加えて「癌による死」という私が禁じ手と思っている手法をとっていたため、さらに読み続けることが困難でした。

たかだか240頁の決して大部とは言えない本ですが、読み終えるのにかなりの時間がかかってしまうほどだったのです。

 

しかしながら本書は読者から絶大な支持を受けています。それを証明するように、本書は山本周五郎賞を受賞し、その上の直木賞の候補作にも選ばれてもいます。

確かに、本書の文章、また言葉の選び方には、非凡としか思えない感性のひらめきを随所に見て取ることができます。

多用されている比喩も、心のひだを浮き上がらせるようであり、まるで詩人が私たち素人の思いもつかない言葉を選んで一編の詩を紡ぎ出すような、そんな印象さえ持ってしまうものがあるのです。

 

五十歳になる主人公の青砥健将は、妻子と別れ母親の世話のために地元の印刷会社に就職しています。そして検査のために行った病院の売店で、中学時代の同級生である須藤葉子に再会するのです。

かつてどこか“太い”と感じていた印象そのままの須藤でしたが、青砥と同様に身体の不調を感じて検査を受けることになりました。

 

実に平凡な、普通の「平場」に暮らす人間の普通の生活のなかで、これまたありふれた中学時代の同級生同士の再会から変じた五十歳の大人同士の恋愛。

ここでタイトルにもなっている「平場」とは「ひらたい地面でもぞもぞ動くザッツ庶民。空すら見たり見なかったりの。」と著者は言っています。

 

二人の普通の暮らしもまた実に緻密に描写してあります。

彼らが飲む酒も発泡酒であり、さらに飲む場所も互いの部屋飲みです。

彼らの周りにいる青ブレもまたありふれた話し好きなおばさんであり、落ちぶれた雰囲気感満載の同僚たちです。

どこをとってもおしゃれでもスマートでもない、ありふれたおっさんとおばさんのありふれた恋。

そんなありふれた日常から紡ぎ出される物語は、悲しみに満ちています。その原因は病であり、互いを思いやる心です。

そこには特別な関係性がありました。

 

本書のように私が苦手と思った恋愛小説としては凪良ゆうの『流浪の月』や島本理生の『ナラタージュ』という作品があります。

流浪の月』という作品は、本書と同じく2020年本屋大賞にノミネートされていて、誘拐犯とされた小児性愛者の男とその被害者の女の独特なありようを通して人間同士や社会との関係性のあり方を描きだした作品です。

 

 

次の『ナラタージュ』の著者島本理生は2018年に『ファーストラヴ』で直木賞を受賞した作家さんです。

この人の『ファーストラヴ』という作品はミステリー仕立てであったこともあってかなり引き込まれて読みました。

それもあって読んだ『ナラタージュ』は、主人公である工藤泉の高校時代の恩師である葉山先生への思慕を描いた作品と言え、本書同様に読み続けることに拒否感を感じた作品でもありました。

 

 

本書のような物語は何のために読むのだろうと、常に思ってしまいます。

本は、その本を読むひとときが幸せだと、楽しいと思えることがいいのだと、私は思ってきました。

ところが本書のような作品は、読書のひとときがつらく、重く、哀しみにあふれてしまうのです。

本書が直木賞の候補となっていなければ決して読まなかった本でしょう。

 

人間をその内面へと深く追求することで人間の本質を描こうとする作品は私の読書の対象範囲外であり、だからこそ私は芥川賞関連の作品はほとんど読んでいないのです。

読書は楽しくありたい。そしてその楽しさは予想外の驚き、意外性からくる感動などに心を動かされるところにあるのであり、だからこそSF作品やミステリーに惹かれます。

良い本と好みの作品とは異なるという何度も書いてきた言葉がここでも当てはまりました。