わたしたちに翼はいらない

わたしたちに翼はいらない』とは

 

本書『わたしたちに翼はいらない』は、2023年8月に240頁のハードカバーで新潮社から刊行された長編の現代小説です。

地方都市に暮らす三人の男女を描いて大藪春彦賞候補作となった暗く、重い作品であって、私の好みとは異なる作品でした。

 

わたしたちに翼はいらない』の簡単なあらすじ

 

同じ地方都市に生まれ育ち現在もそこに暮らしている三人。
4歳の娘を育てるシングルマザーーー朱音。
朱音と同じ保育園に娘を預ける専業主婦ーー莉子。
マンション管理会社勤務の独身ーー園田。
いじめ、モラハラ夫、母親の支配。心の傷は、恨みとなり、やがて……。
2023年本屋大賞ノミネート、最旬の注目度No.1作家最新長篇。(内容紹介(出版社より))

 

わたしたちに翼はいらない』の感想

 

本書『わたしたちに翼はいらない』は、同じ地方都市に住む、それぞれにいじめや夫や家族からの心無い言葉によって傷ついている、同年代の三人の生活を描き出してあります。

著者の寺地はるなは『川のほとりに立つ者は』で2023年本屋大賞第九位となっており、本書は第26回大藪春彦賞の候補となっています。

 

 

この両作品は物語の構造は全く異なりますが、登場人物の描き方は似ているとも言えそうです。

川のほとりに立つ者は』でも登場人物は自分の言動に対し何の疑いも持っていません。自分の言動には何の間違いも無く、なにか変なことがあるとそれは自分の周りがおかしいからだとしか考えることができないのです。

川のほとりに立つ者は』の主人公はそんな自分の言動の間違いに気づいていく過程を描いてある作品でした。

その意味では、本書もまた自分の言動のおかしさに気付いていく成長過程を描いてあるとも言えそうなのです。

別にだから何だというつもりはなく、作者の心象描写のうまさを言いたいのです。『川のほとりに立つ者は』でも主人公の心の変化の描写はかなりリアリティをもって描いてあったと思います。

その点は本書も同様で、三人の心象の変化が微妙な心の揺れまでも捕らえ、少しずつ移り変わる様子がリアルに描いてありました。

 

登場人物としては、中心となる三人がまずは佐々木朱音であり、その関係者としては娘が鈴音で、別れた夫が宏明です。

二人目が中原莉子であって、その関係者としては娘の芽愛と、莉子の夫が大樹がいます。芽愛は鈴音と同じ保育園に通っています。

三人目が中学時代は室井という名字であった園田律であり、中原莉子夫婦とは中学生時代の同級生であって、莉子の夫の大樹にいじめられていました。

莉子はクラスのイケメンであった大樹に選ばれたことがに価値を見出している女であり、大樹から理不尽な扱いを受けても「私は死ぬまで王様の女でいたい」と思っています。

園田は中学時代から中原大樹や莉子らからキモイと言われていた存在であって、大人になってから大樹と再会し、これを殺害しようという思いにまで至ります。

朱音は、宏明と別れシングルマザーとなって鈴音を一人育てていますが、現在も鈴音に会いたがる宏明や宏明の母親に困っています。

 

本書『わたしたちに翼はいらない』について一言でいうと、いい本であることは間違いないでしょうが私の好みとは異なる作品でした。

どうにも暗いのです。高校生の頃のいじめや母親たちの中身のない会話など、読んでいるだけで気が滅入ってくるような感じです。

ただ、惹句にあった『「生きる」ために必要な、救済と再生をもたらす』という言葉だけを信じて読み進めるだけです。

 

本書は朱音と莉子、そして園田という三人の視点が入れ替わるという多視点で進行していきます。

その中で少し気になったことが、朱音と莉子とのパートが、語り口も似ておりどちらが視点の主かが分かりにくいということでした。

もちろん、ちょっと読めばすぐに視点の主は判明しますが、その切り替わりのちょっとした合い間が若干気になったのです。

 

そもそも、本書『わたしたちに翼はいらない』は登場人物の内心を丁寧に描写してあるその点が高く評価してあるのだと思います。そうした三人の心の動きの表現のうまさは否定しようもありません。

ただ『星を掬う』『汝、星のごとく』でも同様に感じたように、自己主張ができずに内にこもる人物をそのまま描くことに私は何とも言えない拒否感を持ってしまいます。

自己主張できない人の苦しみを描くことで、間接的にでも彼らに何らかの救いをもたらすというのであれば分かります。

でなければ、自己主張できない人をできないままに描くことにどれほどの意味があるか、と思ってしまうのです。

上記のような考えは、単純に私の読書の仕方が浅いことに起因するのでしょうがここでは踏み込みません。ただ、エンタメ作品ばかりを読んでいる私には難しい問題です。

 


 

先にも書いたように、本書『わたしたちに翼はいらない』の場合、『「生きる」ために必要な、救済と再生』というちょっとした救いが待っていたので、その点はほっとしました。

結局、いい本だけど、私の好みとは異なるといういつもの感想に終わってしまいました。

川のほとりに立つ者は

川のほとりに立つ者は』とは

 

本書『川のほとりに立つ者は』は、2022年10月に双葉社から224頁のハードカバーで刊行された長編の現代小説です。

2023年本屋大賞第九位となった作品でそれなりに惹き込まれたのですが、物語のための物語というかすかな印象を持った作品でもありました。

 

川のほとりに立つ者は』の簡単なあらすじ

 

新型ウイルスが広まった2020年の夏。カフェの店長を務める29歳の清瀬は、恋人の松木とすれ違いが続いていた。原因は彼の「隠し事」のせいだ。そんなある日、松木が怪我をして意識を失い、病院に運ばれたという連絡を受ける。意識の回復を待つ間、彼の部屋を訪れた清瀬は3冊のノートを見つけた。そこにあったのは、子供のような拙い文字と、無数の手紙の下書きたち。清瀬は、松木とのすれ違いの“本当の理由”を知ることになり…。正しさに消されゆく声を丁寧に紡ぎ、誰かと共に生きる痛みとその先の希望を描いた物語。(「BOOK」データベースより)

 

川のほとりに立つ者は』の感想

 

本書『川のほとりに立つ者は』は、喧嘩をしたままの恋人の怪我をきっかけに、彼の本当の心を知ることとなり、次第にその思いが変化していく女性を描いた作品です。

読み始めは、このような設定自体はありがちで新鮮味がないなどと思いながらの読書でしたが、読み終えたときには本屋大賞の候補となったのも分かる作品だと思うようになっていました。

というのも、主人公の女性の原田清瀬の心象の変化が、わりとリアリティをもった描き方だったためにそう思ったのでしょう。

 

誤解に基づいた喧嘩別れをしたものの、ふとしたきっかけから自分の誤解に気付き仲直りをするという話はありがちな設定でしょう。

ただ、本書の場合は、清瀬が喧嘩別れをした相手の松木圭太の本当の心を知る手段こそ新鮮味があるものではありませんでしたが、主人公の女性が思い違いをするに至るいくつかの出来事が結構インパクトのあるもので、最終的に友人の「識字障害」という病へと辿り着く点はインパクトとがあります。

また、本書のもう一人の主役でもある松木圭太の個人的な背景の描き方もまた惹かれるものでした。

松木とその親との関係性はもう少し書き込みが欲しいと思わないでもありませんでしたが、その後の物語の意外な展開からすると仕方がないのかなとの思いもありました。

 

本書『川のほとりに立つ者は』では、主人公の原田清瀬を始めとして、自分の思いの間違いの可能性など全く考えもせずに様々な言動をとっている人たちが登場します。

そうした人たちが、自分の行動の間違いに気づいていく過程もまた読みごたえがあるところです。

しかし、そうした過程はリアリティが欠ける表現にもなりかねず、難しいところなのでしょう。本書でもちょっと首をひねる箇所もありました。

 

本書では清瀬と圭太とが章ごとに入れ替わって視点の主となり、また時系列も異にしてそのときの視点の主の出来事について記されていきます。

圭太の視点が若干以前に戻ることで、清瀬が圭太に対して抱く疑問や不満についてその理由が明確になっていくのです。

そういう意味ではミステリータッチな展開ということもできるかもしれません。

ただ、このミステリータッチとはいえ、それぞれが物語の鍵ともなる人の名前の読み方の間違いという出来事が二回も出て来て、若干の違和感はあります。

そして、最終的に圭太と圭太の親友である岩井樹の身に起きた不幸な出来事の詳細が明らかになっていくのです。

 

本書の魅力を挙げるとすれば、単純に清瀬の成長する姿が描かれていることだけではなく、個人的には「識字障害」や「発達障害(ADHD)」という病を取りあげてあることにもあると思います。

それは単純に珍しい病気を取り上げてあるということではなく、その病気をスムーズにストーリーの中に取り込んであること、というよりもその病気が物語の核となっていることにあるようです。

ただこの「障害」を取り上げている点も、ある意味不自然とも言え、微妙でもあります。

 

さらに挙げると、架空の小説「夜の底の川」がガジェットとしてうまく使用されています。

この本に書いてあるとされる文章の取り込み方のうまさと、物語の中での警句としての引用など、ストーリーを引き締めるのにかなり役立っていました。

 

結局、読んでいく途中では上記で書いてきた微妙な点、首をひねる箇所や不自然と感じる箇所がありながらも、それなりの感慨をもって読み終えているのも作者の筆の力によるものでしょう。

けっして私の好みの作品ではないにも関わらず、本屋大賞の候補となったのも分かると感じたのも同じことでしょう。

何とも中途半端な印象記となりました。この作者の次の作品を読むかと問われれば、これまた微妙なところで、世間の評価を待つでしょう。