時砂の王

本書『時砂の王』は、作者の小川一水が初めて時間ものに挑んだという長編のSF小説です。

時間を遡行して過去を改変しETを撃退しようと試みる人類の姿が描かれる、文庫本で276頁という短めの作品であるにもかかわらず読みがいのある作品でした。

 

耶馬台国の女王・卑弥呼を救った〝使いの王〟は驚くべき物語を語る。二千三百年後の未来、謎の戦闘機械群により地球は壊滅、人類の完全殲滅を狙う機械群を追って彼ら人工知性体たちは絶望的な時間遡行戦を開始した。そして三世紀の耶馬台国こそが、全人類史の存亡を懸けた最終防衛線であると。著者初の時間SF 020904(「Hayakawa Online」商品詳細より)

 

ある日突然に人類を襲ってきた増殖型戦闘機械(ET:エネミー・オブ・テラ他)により、地球は滅亡してしまいます。そこで人類は時間を遡行して過去を改変することでETを撃退しようと試みるのでした。

本書『時砂の王』の主人公は未来から邪馬台国の女王卑弥呼のもとへとやってきたオーヴィルという男です。

このオーヴィルは人間ではありません。メッセンジャーと呼ばれている人工の知性体です。

この知性体には生殖と成長の能力はありませんが、耐久性と運動性が極限にまで高められ、外部情報網との連絡機能も有しています。

いわば人造人間というべきメッセンジャーが、サヤカという人間の女性に対し恋愛感情を持ち、その感情を過去でも持ち続けています。

 

こうなってくると人間とは何か、という問いかけが為されていることに気付かないではいられません。

ここで、 上田早夕里の『華竜の宮』を始めとする『オーシャンクロニクル・シリーズ』に登場する人工知性体が思い出されます。

この作品は25世紀の未来の地殻変動に襲われ水没してしまった地球を舞台にした物語で、主人公はアシスタント頭脳としてのAIを保持しています。

ここでの知性体も場合によっては人間のような身体を持つこともできます。ただ、本書のように主体的に意思を有し活動する存在ではなく、あくまで人間の補助者に過ぎないと思われ、その点では異なるでしょう。

 

 

ともあれ、本書『時砂の王』における全ての知性体は、生まれて、即ち自我を確立してから出動までのしばらくの間、人間として暮らします。それは人間としての感性を育てるためでした。

それは、「人間とは何か、社会とは何か、自分は何者であるかを考え」ることであり、自分という存在を見つめ直し、人類を救う存在として自覚させる期間でした。

その知性体であるオーヴィルが人間のサヤカに恋心を抱き、その感情自体を持て余しながらも告白し、そして戦いの場へと旅立つのです。

この旅立ちの時が衝撃的で、旅立ちの直前、将校は「この時間枝における人類は、間もなく、滅亡する」と言います。「我々のもとに未来からの援軍が到着していないから」だというのです。

そして、オーヴィルらメッセンジャーは時間戦略知性体のカッティ・サークと共に過去へと旅立つのでした。

 

本書『時砂の王』では、このように過去でも敗北を続けたオーヴィルらはさらに時間を遡行し、最終的に、紀元248年のこの時代で卑弥呼らと共にETと闘う物語です。

このメインとなる卑弥呼の時代の物語の合間に、オーヴィルの西暦2119年、1943年と遷移した過去での模様が描かれます。

この過去の夫々の時代で、人類の独善的な考え、相互不信は強く、オーヴィルらはより昔へと遡行することになります。

 

この卑弥呼の時代でも人工知性体としての存在である自分を思い知ることになります。

この時代においても、独善的な存在としての人間の本質は変わらないようです。にもかかわらず、オーヴィルらは人すら人類のためにETを相手に戦い抜きます。

そしてクライマックスへとなだれ込んでいきます。

 

こうした壮大な歴史の流れを舞台にしたSF作品といえば、 小松左京の『果しなき流れの果に 』を避けては通れません。

十億年という時の流れの中で人類の存在そのものを考察していくというスケールの大きな作品であり、日本SF界の頂点に位置する作品だと思っています。

また、 光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』も日本SF史に残る名作と言われている長編のSF小説です。

プラトンや釈迦(シッタータ)、ナザレのイエスなどを登場させ、「神」への考察を壮大な時の流れを旅するプラトンの物語として描いた作品です。

これらの二作品は日本SF作品を語る上では必読とも言える作品だと思っています。

 

 

本書『時砂の王』の設定は、久しぶりに上記に作品に迫る壮大さを持った作品だと思える物語でした。

時間旅行に伴うパラドックス、その一つの解決策である多元宇宙論を前提にしたこの物語は、クライマックスこそ疑問が無いわけではありませんが、これはこれで一つの見事な解決法といえるでしょう。

あとは好みの問題だと思います。

「多元宇宙論」に関しては下記サイトを参照してください。