いのちの停車場

いのちの停車場』とは

 

本書『いのちの停車場』は2020年5月に刊行され、2021年4月出版の文庫本は東えりか氏の解説まで入れて390頁になる長編の医療小説です。

現役の医師ならではの説得力のある筆致で在宅医療の抱える問題点が描き出されている感動的な、しかし哀しみに満ちた作品でした。

 

いのちの停車場』の簡単なあらすじ

 

東京の救命救急センターで働いていた、六十二歳の医師・咲和子は、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」で訪問診療医になる。命を送る現場は戸惑う事ばかりだが、老老介護、四肢麻痺のIT社長、小児癌の少女…様々な涙や喜びを通して在宅医療を学んでいく。一方、家庭では、脳卒中後疼痛に苦しむ父親から積極的安楽死を強く望まれ…。(「BOOK」データベースより)

 

いのちの停車場』の感想

 

本書『いのちの停車場』は、プロローグ、エピローグと全六章という構成になっていて、章ごとに在宅医療に突きつけられた問題点をテーマに、非常に重く辛い現実が描かれています。

そもそも在宅診療とは、本書の文言を借りると「病院や診療所に通うことが難しい患者に対して医師が自宅や施設を訪問し、継続的な治療を行う医療の形」であり、訪問診療を軸に往診を組み合わせて行われ、「外来・通院、入院、に次いで第三の医療と呼ばれている」そうです。

そして第一章は老老介護、第二章は再生医療、第三章はセルフネグレクト、第四章はレスパイト・ケア、第五章は小児癌、第六賞は安楽死をテーマとしています。

 

第一章は、食事もとれなく胃ろうをつけている妻と金のかかる処置はいらんという夫という、在宅での老老介護の問題です。

第二章の再生医療とは、脊髄損傷という怪我を負い下半身不随となった患者に対する在宅での最先端医療、正確には肝細胞移植技術を考えます。

第三章で取り上げられている「セルフネグレクト」とは「自らの心・体のケアを放棄してしまう」ことを言い( tenki.jp : 参照 )、ゴミ屋敷で暮らす母と離れて暮らす娘夫婦の物語です。

第四章は夫の介護に疲れ果ててしまう妻の話であり、「レスパイト・ケア」とは「介護者をケアするためのサービスのこと」をいいます( 介護ワーカー : 参照 )。

第五章は、若干六歳で癌に冒されてしまった萌という女の子と、その事実をなかなか受け入れることのできない両親の話です。

そして第六章は安楽死の問題が描かれており、脳梗塞後にいわゆる「脳卒中後疼痛」と呼ばれる感覚障害の痛みにさいなまれる父親から積極的安楽死を頼まれる主人公の咲和子の苦悩が描かれています。

 

本書『いのちの停車場』の登場人物は、主人公である白石咲和子、彼女が帰郷し勤めることになる在宅専門の「まほろば診療所」の所長の仙川徹、そこの事務をしている玉置亮子、看護師の星野麻世、それに咲和子を追って金沢までやってきた野呂聖二がいます。

六十二歳になる咲和子は東京の城北医科大学救命救急センターの副センター長でしたが、ある事情により引責辞任を余儀なくされ、故郷の金沢へと帰ってきたものです。

父親はかつては加賀大学医学部付属病院の神経内科医であり、母親は五年前に亡くなっています。

野呂聖二は医師国家試験に落ち浪人中の身だったのですが、救急センターでアルバイト中の自分の失態により咲和子が故郷に戻ったことに責任を感じ、咲和子を追いかけて来たものです。

 

本書『いのちの停車場』では、咲和子が在宅医療の現場で、救急医療の現場とは全く異なる観点で行われる医療に直面し、悩み、苦しむ姿があります。

第一章では医者として数えきれないほどの人の死を見てきた咲和子が、「在宅医療では、看取りの経験のない家族に、死を見守らせるのだという、シンプルだが重い事実」に愕然とする様が描かれます。

その後、先に述べた「セルフ・ネグレクト」や「レスパイト・ケア」などの事実がテーマとなります。

そして、必死で患者のために尽くそうとする咲和子は、治療が余計だと言われ、患者にとって今の治療のどの段階から余計な治療になっていたのかと煩悶することにもなります。

こうした事実、表現こそは現場を知るものでなければ書くことのできない文章なのだと思わされます。

 

本書『いのちの停車場』は最終的に、安楽死という答えのない問題に対し「この痛みに終わりがあると決めることによって、死はむしろ生きる希望にすらなりうる」という言葉が紡がれることで終わります。

作者の南杏子は、医療小説の多くが医療現場の悩み、苦しみをユーモアなどでくるみ、読者にはよりソフトな形で提供しようとするところをより直接的に突きつけているようです。

さらには、現実に起きた医療裁判をモチーフとしているのかもしれません。

例えば、この作者の『ヴァイタル・サイン』では、現実にあった看護師による殺人事件をテーマに、医療現場における看護師の状況を伝えようとしたようです。

それは本書でも同様で、東えりか氏の解説によれば1998年に川崎市で起きた自然死を迎えるための延命行為を差し控える措置で有罪判決を受けた女性医師の事件に由来するのだろうということです。

 

ちなみに本書『いのちの停車場』は、主人公咲和子を吉永小百合が演じ、脇を西田敏行や松坂桃李、広瀬すずといった人たちが固めて映画化されています。

 

ヴァイタル・サイン

ヴァイタル・サイン』とは

 

『ヴァイタル・サイン』は、看護師を主人公とした、新刊書で362頁の長編の医療小説です。

看護師の過酷な業務の実態をリアルに描き出した作品なのでしょうが、だからこそなのか、私の好みとは異なる作品でした。

 

ヴァイタル・サイン』の簡単なあらすじ

 

二子玉川グレース病院で看護師として働く31歳の堤素野子は、患者に感謝されるより罵られることの方が多い職場で、休日も気が休まらない過酷なシフトをこなしていた。あるとき素野子は休憩室のPCで、看護師と思われる「天使ダカラ」さんのツイッターアカウントを見つける。そこにはプロとして決して口にしてはならないはずの、看護師たちの本音が赤裸々に投稿されていて…。終末期の患者が入院する病棟。死と隣り合わせの酷烈な職場で、懸命に働く30代女性看護師の日々をリアルに描いた感動の医療小説!(「BOOK」データベースより)

 

主人公の堤素野子が勤務する東京都の第二次救急医療機関に指定されている二子玉川グレース病院は、その立地からして療養に当てられているベッドが多く、高齢の患者が多い。

素野子の働く東療養病棟も療養用の病棟であり、死亡退院の比率が約七割と高い病棟だった。

珍しく元気を取り戻し退院していった患者を見送った素野子は、高い空を見上げ太陽をいっぱいに浴びていた。

「白衣の天使」なんて言葉は、好きではない。

医療と看護の現状や、勤務の実態にもそぐわないと思う。

けれど、やりがいは感じていた。

 

ヴァイタル・サイン』の感想

 

本書『ヴァイタル・サイン』は、医療の、それも看護師業務の現実をリアルに描き出している作品です。

医療小説で看護師を主人公とした作品を私は知りません。そこで、本書の存在を知りすぐに借り出した次第です。

作者の南杏子は、横浜市の病院で看護師が入院患者を殺害した2018年に起きた事件で被疑者が言ったとされる、「自分の担当時間中に、患者さんに亡くなってほしくはなかった」という言葉をきっかけに本書を書こうとしたのだそうです。

また、「看護師として働く際の厳しい状況を描き出すためには、まず日常業務をできる限りリアルに描こうと努めました。」ということも書いてありました。

さらに、先の事件の「犯人は、自分と地続きの人間である――そんなことを読者の皆さんに感じていただければ幸いです。」ともありました( 小説丸 : 参照 )。

その言葉のとおり、看護現場の過酷な現実がこれでもかと書かれています。本書『ヴァイタル・サイン』はそうした問題提起として書かれたということでしょう。

 

2020年来のコロナ禍の中での医療従事者の方々の業務についての報道がなされ、医師だけではなく看護業務の過酷さは一般にも知られるところです。

ただ、それはあくまで対岸の火事としてであり、現場の苦労そのものは一般の私たちは情報として知るだけです。

本書『ヴァイタル・サイン』は、そうした看護業務の現場の現実との乖離を確かに埋めてくれているようです。

認知症などで手間のかかる患者が多く、一人の患者への食事介助やトイレの補助、入浴などに時間がとられ、ともすれば他の患者への対応が遅れがちだという現実があります。

そこにクレーマークラスの入院患者やその家族などがいたりすると途端に業務が滞ります。

ましてや深夜勤務の時は看護師二人とその補助の三人だけで世話をしなければならず、十分な看護業務ができない場面も出てくるのです。

そのような本書に描かれている看護師たちの業務の実態は思った以上に過酷であり、事実、先般(2010年10月)も続報があった横浜市の病院での事件も見方が変りました。

 

でも、本書『ヴァイタル・サイン』を小説として評価するときに、そうした過酷な看護業務の現実を直視しているにしても、どうにも暗いのです。

たしかに、看護師の、それも認知症が入っていたたり、終末期の患者がいたりと本書の主人公が勤務する病棟の患者は問題を抱える人が多いのかもしれません。

患者は看護師を自分の鬱屈のはけ口としていたり、医者も些末な用事を自分ですれば済むことを看護師に言いつけたりしています。

こうした看護師の過酷な実態をそのままリアルに読者に伝えることがこの作者の意図なのでしょうし、その意図はそれなりに達成されていると思います。

 

しかし、本書『ヴァイタル・サイン』は読んでいて決して楽しくも、明るくもありません。というよりも、何とも救いがなく、読んでいて息苦しささえ感じてしまいました。

本書が良い本だということと私の好みとは別物であり、私個人の主観的な感想としては本書は私の好む作品ではないということに尽きます。

 

医療小説と言えば私の中ではまずは夏川草介の作品が挙げられます。中でも『神様のカルテシリーズ』は一番好きな作品です。

この夏川草介という人も本書を書いた南杏子と同じように現役のお医者さんです。

ただ、夏川草介介という人は、同じく命をテーマにした小説であってもまずは読者が楽しく思える作品を、ということで書かれているそうです。

そうしてみると『神様のカルテシリーズ』では重く憂鬱になりそうな場面も重いままでは終わらずに爽やかさであったり、小さなユーモアを忍ばせたりしてあります。

物語のそもそものトーンがユーモアをベースに、信州の美しい自然を挟みながら書いてあるので決して読み進めることが負担になりません。

 

 

作品を比較すること自体があまり感心することではないのかもしれませんが、どうしても比べてしまい、本書はあまりに重く、暗く、喜びに欠けています。

それがいいという人もいるのでしょうが、私は本を読んでいる時間が楽しく、幸せに思える作品を好みます。

ですから、作者の看護業務の過酷さを知ってもらう前提として看護師の日常業務を描くという意図はそれなりに果たせていると思いますが、しかし、小説としては私の好みではないというしかないのです。

この作者の他の作品もあと一冊くらいは読んでみようかと思います。