「わたしは腕に犬を飼っている―」ちょっとした気まぐれから、謎の中国人彫師に彫ってもらった犬の刺青。「ポッキー」と名づけたその刺青がある日突然、動き出し…。肌に棲む犬と少女の不思議な共同生活を描く表題作ほか、その目を見た者を、石に変えてしまうという魔物の伝承を巡る怪異譚「石ノ目」など、天才・乙一のファンタジー・ホラー四編を収録する傑作短編集。(「BOOK」データベースより)
ギリシャ神話のメドューサの話を思わせる「石ノ目」、小学四年生の自分と親友の木園の二人の間だけで実在する少女を描いた「はじめ」、人のいないところで動き出す人形たちの物語である「BLUE」、そして上腕に入れた青い犬のタトゥーが皮膚の上を動き回る姿を描いた「平面いぬ。」の四編が収められている短編集です。
どの作品もダークファンタジーという言葉がピタリと当てはまる物語で、ホラーという呼び方は馴染まない気がします。恐怖という言葉では補えない印象があるのです。
それは、乙一という作家を語るときに必ず冠せられる言葉として「切なさ」という単語があることと関係してくるのでしょう。
本書で言うと特に「はじめ」などはその代表とでも言うべき作品でしょうか。主人公を小学生に設定していることもあって、子供の世界でだけ見ることのできる存在、それも主人公の少年とその親友にだけ存在する少女の話は切なさに満ちています。子供の世界を描いているだけあってある種の郷愁をも感じさせている話になっています。
郷愁をさそうホラーと言えば朱川湊人がいますが、『かたみ歌』のように、優しさに溢れた温かみを感じさせる作品とはまた異なり、黒乙一の場合はダークファンタジーという言葉に結びつくような世界観であり、「闇」を背負っているようです。
更に言えば、本書のそれぞれの物語は寓意的であり、文章そのものは優しさに溢れていながら、実は人間の心の奥底に潜む闇を暴き出すような力強さを持っています。
同じような印象を持った作家に夢枕獏という人がいます。例えば夢枕獏の初期の作品である『歓喜月の孔雀舞』という物語は、本書同様に人間の心裡に潜む闇を覗きこむような物語です。ただ、夢枕獏の作品は寓意的という言葉は当たらずに、より直截的ではないでしょうか。
また、夢枕獏のエロスとバイオレンスの物語である『サイコダイバーシリーズ』のような本書とは全く異なる分野の作品であってさえも、心に潜む闇に近づくという点では同じ気もします。