ガダラの豚

ネット上で大変面白いエンターテインメント小説だとの評判を得て読んでみた小説です。様々な意味で不思議な小説でした。日本推理作家協会賞を受賞しています。

民族学学者である大生部多一郎は、八年前のケニアでのフィールドワーク時に一人娘の志織を失っていた。そのため妻の逸美は新興宗教にのめり込むが、助手の道満らの力を借りて何とか助けだす。その後、テレビ局の支援を受けた大生部は再度ケニアへ乗り込むが、クミナタトゥという呪術師の村に落ち着いた一行を迎えたのは、村人から恐れられているバキリという呪術師だった。一行は多くの犠牲を出しながらもこのバキリと戦い、何とか舞台を東京へと移すことになるのだった。

ネット上で、これまで読んだ作品の中でベストの作品、との紹介文があり、かなりハードルを高くして読んだこともあったかと思われますが、確かに面白い小説ではあるものの、期待してたものとは違ったというのが正直な印象です。

三部構成である本書は、第一部は普通の主婦が新興宗教に取り込まれていく様を描き、その実態を暴くことで終わります。この第一部は、この部分だけ独立した物語としても成立しそうです。実際、この物語からするとその後の第二部以降のフリでしかありません。

そして、第二部がケニアで呪術師と対立する本書の本題の部分です。この第二部は非常に面白く読みました。ケニアでの呪術は日常生活と不可分なものであり、言霊の持つ力は否定できない説得力を持っているというのです。この点の描写が独特であり惹きこまれました。そして、物語は邪悪な力を持つ呪術師のバキリとの対決に至ります。

第三部では、物語の舞台を日本のテレビ局に移し、一気に荒唐無稽な展開になり、アクション面が強調されます。そして、多くの死者を出して終わるのです。第三部は若干展開が飛び過ぎて、ついていけないところもありました。

酒や薬物に浸ったという作者らしく、その表現は尋常のものではありません。主人公のアルコール中毒の描写は体験したものでなければ書けない臨場感にあふれています。こうした独特な描写や、奇術や民俗学についての記述はトリビア的な興味もあってとても面白く読みました。

ただ、この物語は、単行本で598頁、文庫本では三分冊(全940頁)にもなる大長編小説なのですが、これだけの長さが必要だったのかという思いがあります。

また、この著者の他の作品を読むかというと、多分読まないと思います。「面白い」と思う基準は人それぞれなのだと思わされる一冊でした。

この物語に似た作品はそうはないでしょう。強いて言えば、その荒唐無稽さにおいては先日読んだ 樋口毅宏の『さらば雑司ケ谷』が雰囲気が似ているでしょうか。また、人間の内面、心裡への接近という点では、無理はあるかもしれませんが、 花村萬月の『ゲルマニウムの夜』が思い浮かびました。

蛇足ながら、タイトルの「ガダラの豚」というタイトルは、マタイによる福音書にある逸話のことで、悪魔つきの話のようです。ただ、この逸話の意味するところはよく分かりませんでした。