熱源

故郷を奪われ、生き方を変えられた。それでもアイヌがアイヌとして生きているうちに、やりとげなければならないことがある。北海道のさらに北に浮かぶ島、樺太(サハリン)。人を拒むような極寒の地で、時代に翻弄されながら、それでも生きていくための「熱」を追い求める人々がいた。明治維新後、樺太のアイヌに何が起こっていたのか。見たことのない感情に心を揺り動かされる、圧巻の歴史小説。(「BOOK」データベースより)

 

本書は、ヤヨマネクフという樺太アイヌとブロニスワフ・ピウスツキというポーランド人という実在した二人の人物を主人公とする、第162回直木賞を受賞した壮大な歴史小説です。

明治維新から第二次世界大戦終戦までの時の流れの中で、時代に翻弄されるアイヌの人々の生き方を中心として描き出された作品で、直木賞を受賞するのも当然と思える骨太の作品でした。

 

図書館から本書を借りた2020年1月15が直木賞発表の日でしたが、緑内障のために翌16日に入院し、17日には手術の予定でしたので、そのまま病院のベッド上で読むことになってしまいました。

ですから、読書中のメモを取っておらず、かなり散漫な文章になっているかと思います。

ともあれ、ベッドの上で一気に読み終えてしまいました。それほどに魅入られた小説だったと言えます。

 

読む前は「アイヌの闘いと冒険」を描いた作品だとの認識でいましたが、読み終えてみると単なる冒険譚を超えた、壮大な歴史小説だというしかありません。

また、樺太(サハリン)にもアイヌと呼ばれる人たちが暮らしていたことも知りませんでしたし、日本の南極探検である白瀬隊のことは知識としては知っていましたが、そこにアイヌの人が参加していたことも知りませんでした。

ほとんどの人は私と似たような知識しかないのではないでしょうか。

 

アイヌをテーマに描いた小説としては船戸与一の『蝦夷地別件』(小学館文庫 全三巻)を忘れることは出来ません。

この作品は、1789年に実際に起きたアイヌの反乱を題材に書かれた長編小説です。いかにも船戸与一らしい、骨太の読みごたえのある冒険小説で、第14回日本冒険小説協会大賞を受賞しています。

 

 

他にも矢野徹の書いた『カムイの剣』 (角川文庫 Kindle版)という作品を大昔に読んだ記憶があります。

ただ、この作品は主人公出自がアイヌに結びつくというだけで、本書のようなアイヌという存在そのものへの考察はなく、非常に面白い冒険小説という以上のものはなかったのではないでしょうか。

 

 

本書『熱源』では、主人公のヤヨマネクフこと日本名山辺安之助とポーランド人の民族学者ブロニスワフ・ピウスツキの二人の話が交互に語られながら進みます。

登場人物としては、上記の二人の他にまずはヤヨマネクフの妻で五弦琴(トンコリ)の名手のキサラスイがいて、ヤヨマネクフの幼馴染として日本名を花守信吉といったシシラトカと和人の父とアイヌの母を持つ千徳太郎治がいます。

ほかに、のちにヤヨマネクフと親交を結ぶ樺太・アイ村の頭領で実業家のバフンケ、その養女で五弦琴を弾くイペカラ、バフンケの姪のチュフサンマが名を挙げるべき人物といえるでしょうか。

 

ロシア側の人物としてはブロニスワフの大学の先輩であるアレクサンドル・ウリヤノフ、サハリンに住む民族学者のレフ・シュテルンベルグ、そしてブロニスワフの弟で、兄に連座してシベリアに流刑となり、後のポーランド共和国の初代元首となるユゼフ・ピウスツキらの実在の人物をあげることができます。

さらに、実在の人物としては言語学者であり民俗学者でもあるあの金田一京助、そして南極探検で高名な白瀬矗らが登場します。

 

当初は樺太、今のサハリンで暮らしていたヤヨマネクフらの樺太アイヌの一部が、1875年(明治8年)の樺太・千島交換条約で北海道の対雁(ついしかり)村へと移住します。

しかし、コレラと天然痘により多くの仲間を失い、ヤヨマネクフらは再び樺太へと戻ることになるのです。

一方、ポーランドという祖国を失っていたブロニスワフ・ピウスツキはアレクサンドル3世暗殺計画に連座して懲役15年の判決を受け、サハリン(樺太)へ流刑となっていました。

流刑人としてのブロニスワフはこの樺太の地でアイヌと出会い、その生活を記録することになります。そしてその調査の過程ではヤヨマネクフと出会います。

一方、ヤヨマネクフらはアイヌのための学校建設に尽力し、ひいてはアイヌの名を挙げるために南極大陸への探検隊に参加したりもするのです。

 

ここでピウスツキに関連して、ポーランドという国を舞台にした作品として、第156回直木賞の候補作となった須賀しのぶの『また、桜の国で』という作品が思い出されます。

この作品は第二次世界大戦前夜のポーランドの姿を、ワルシャワにある日本大使館に勤務する日本人外務書記生を主人公とした作品です。

ロシア人の父と日本人の母を両親に持つ主人公が、次第に自由が制限されていくなか、ナチスドイツの侵攻によるユダヤ人の迫害、ポーランド人の抵抗などの状況下で、大使館員としての自分が為すべき行動に思い悩む様子が描かれます。

 

 

再度書きますが、本書はヤヨマネクフらのアイヌの生活を中心に、アイヌの生活を守るために懸命に尽くした男と、祖国を失ったブロニスワフらの祖国を取り戻すために行動する男の生き方を見つめている作品です。

極寒の樺太で自然の中で、自然と共に生きるアイヌの民を野蛮人として見下す西欧文明があり、その西欧文明に追いつこうと維新後必死であった日本人がいます。

その日本人は西欧人と同じく、自然と共に生きるアイヌを自分たちよりも劣った未開な土人として見下しているのです。

明治維新期から第二次世界大戦終結に至るときの流れの中で、様々な迫害のなかで暮らすアイヌの歴史を、史実を交えて語られたこの物語は、読者を単なる歴史の傍観者から一歩踏み出した存在としてくれると思います。