珈琲屋の人々 宝物を探しに

珈琲屋の人々 宝物を探しに』とは

 

本書『珈琲屋の人々 宝物を探しに』は『珈琲屋の人々シリーズ』の第三集であり、文庫本で368頁の七編の連作の短編からなる小説集です。

とある珈琲屋のマスターのもとに集う人々の人間ドラマを描いた作品で、微妙に違和感の残る作品でした。

 

珈琲屋の人々 宝物を探しに』の簡単なあらすじ

 

避けがたい理由で人を殺してしまった喫茶店「珈琲屋」の主人・行介と、かつて行介の恋人だった冬子。不器用な生き方しかできないふたりに、幸せは訪れるのか。小さな商店街に暮らす人々の、苦しみや喜びを描いて人気を集めるシリーズの第三弾。まさに“人間ドラマ”と呼べる7つの物語が次々とつながっていく連作短編集。(「BOOK」データベースより)

 

 

珈琲屋の人々 宝物を探しに』の感想

 

借りる時に間違えて、第一集のつもりで借りたところ読み終えて確認したら第三集だったという馬鹿なオチのついた読書でした。

だからなのでしょうか、特定の店に集う人々を描くという定番の物語にしては物語が淡々と流れていってしまいました。

というのも、舞台となる「珈琲屋」の主人がその存在をあまり主張しておらず、加えて各話の中での中心人物の生き方を受け身と感じることが多かったことが一番の理由ではないかと思えます。

 

本書『珈琲屋の人々 宝物を探しに』の主人公は過って人を殺してしまい刑務所で罪を償ってきた過去を持つ宗田行介という名の男です。

この男が経営している、父親が唯一残してくれた喫茶店「珈琲屋」に訪れる人々の物語が紡がれていきます。

この行介には冬子という心に思う人はいるのですが、人殺しの自分には結婚などという人並な幸福は望んではいけないという思いがあります。

そしてもう一人、いつも「珈琲屋」にコーヒーを飲みに来ている、行介、冬子の小学校時代からの幼馴染である島木という男がいます。

 

本書『宝物を探しに』の第一話は、その冬子に思いを寄せる笹森という医者が現れ、行介の心を騒がせる様子が描かれ、本書『珈琲屋の人々 宝物を探しに』全体を貫く物語となっています。

この笹森は、二月ほど前に冬子が大けがを負った際に手術を執刀した医師であり、冬子の実家でもある「蕎麦処・辻井」に日参しているという噂が立っていたのです。

 

行介と冬子との関係のような男女の問題を取り上げた話として第三話、第六話、第七話があります。

第三話は「コガ・マート」を経営する輝久と咲恵の物語です。

輝久が毎日売れ残りの弁当をあげているホームレスが、咲恵の過去の暗い思い出につながる男かもしれないという話です。

第六話は、妻がいるにもかかわらず人妻を愛してしまった、行介の刑務所入所時の刑務官だった初名先生の話です。

第七話は、先に述べた幼馴染の島木の浮気がどうも半分本気のようだというのでした。

 

もしかしたら、第五話も夫婦の話であり、男女の問題と言ってもいいかもしれません。

ただ、古書店「芦川書房」を営む草平の夢をかなえた、重厚な構えの西洋風書斎のような店をめぐる夫婦の物語で、夫の夢の話です。

そのほかの話としては、第二話はこの商店街のはずれにある「未来塾・ゆるゆる」をめぐる物語で、第四話は、冬子の母親典子の、娘の冬子と行介との先行きを案じる話です。

 

こうしたそれぞれの話の主人公たちの生き方に行介と「珈琲屋」がかかわってくるのですが、どうにも今一つ琴線に触れない印象だったので本稿の冒頭のような言葉になったものです。

しかし、『珈琲屋の人々 宝物を探しに』はシリーズの第三巻であり、シリーズを冒頭から見直してみようと思わせるほどの魅力はあります。

ということで、第一巻から読んでみて再度本書の印象を振り返ってみようと思います。

珈琲屋の人々シリーズ

珈琲屋の人々シリーズ』とは

 

あることから人を殺したことのある宗田行介の営む、東京のとある商店街にある喫茶店「珈琲屋」を舞台にした人情物語集です。

 

珈琲屋の人々シリーズ』の作品

 

珈琲屋の人々シリーズ(2021年12月12日現在)

  1. 珈琲屋の人々
  2. ちっぽけな恋
  1. 宝物を探しに
  2. どん底の女神

 

珈琲屋の人々シリーズ』について

 

珈琲屋の人々シリーズ』は、シリーズの主人公としては東京のとある商店街にある喫茶店の「珈琲屋」を営む宗田行介ということになるのでしょう。

しかし、各巻で語られる七編ほどの短編それぞれの主人公は、この「珈琲屋」に訪れる様々な客ということになります。

各話は、その客の視点でそれぞれの人生で巻き起こる物語を「珈琲屋」に来て行介にある人は相談し、ある人は単に話し相手になってもらいます。

そのことにより、各話の中でそれなりの結論が導かれ、各人の人生がまた展開していきます。

 

この「珈琲屋」の主人である宗田行介の他の常連の登場人物として、同じ商店街にある「蕎麦処・辻井」の娘の辻井冬子、それに洋品店の「アルル」の息子である島木がいます。

冬子は一度は嫁いだものの二年後に離婚をし、この町に戻ってきていました。

行介、冬子、島木の三人は小学生の頃からの幼馴染であり、昔から行介と冬子が互いに好きでいることを知っていた島木は二人の仲を何とか取り持とうとしています。

この行介と冬子の中の進展を縦軸に、この三人を中心として「珈琲屋」を舞台に様々な人生模様が繰り広げられるのです。

 

本『珈琲屋の人々シリーズ』を読みながら、主人公の営む店に訪れる客それぞれの人生を描く手法の作品として思い出していたのは、コミック作品で、映画化もされた『深夜食堂』でした。

ユニークな画ですが、その画が軽いユーモアともの悲しさを醸し出していて、読み終えると心がほっこりとする漫画でした。

 

 

また、2021年本屋大賞の候補作となった青山美智子の『お探し物は図書室まで』もこのパターンの一種と言えるのではないでしょうか。

本『珈琲屋の人々シリーズ』の行介にあたる人物として、司書の小町さゆりがいます。彼女が渡す「羊毛フェルト」がかるい伏線ともなっているのです。

そして、本を借りていった人達が自ら悩みを解決し、自らが進む道を探し出し、未来に向かって歩きはじめるのです。

 

 

本『珈琲屋の人々シリーズ』でもまた行介の言葉や行動をきっかけに客のそれぞれが自らの人生をかえりみ、そして歩み始めます。

ですが、本シリーズでは先に紹介した『深夜食堂』や『お探し物は図書室まで』のような心が温かくなる感じがありません。

本書の読後感も悪くはなく、嫌な印象ももちろんないのですが、何故かそれ以上のものを感じなかったのです。

ただ、私が本シリーズを借りる時に間違え、最初に第三巻から読み始めたためにシリーズものの積み重ねの情報を知らずに読み進めたということがあります。

そうした点を指し引いてもう一度第一巻から読んでみるつもりです。

 

ちなみに、私は見ていませんが本『珈琲屋の人々シリーズ』は高橋克典主演でNHKでドラマ化されています。

少なくともAmazonを見る限りはDVD化はされていないようです。

ただ、「NHKオンデマンド」では見ることができるようです。