本書『少年と犬』は、岩手から九州までを旅した多門という名の犬と旅の途中で出会った人々との交流を描いた連作の短編小説集です。
2020年下期の直木賞を受賞した本書『少年と犬』ですが、読了後に「動物ものはずるい」という言葉の本当の意味が分かった感動の動物小説でした。
家族のために犯罪に手を染めた男。拾った犬は男の守り神になった―男と犬。仲間割れを起こした窃盗団の男は、守り神の犬を連れて故国を目指す―泥棒と犬。壊れかけた夫婦は、その犬をそれぞれ別の名前で呼んでいた―夫婦と犬。体を売って男に貢ぐ女。どん底の人生で女に温もりを与えたのは犬だった―娼婦と犬。老猟師の死期を知っていたかのように、その犬はやってきた―老人と犬。震災のショックで心を閉ざした少年は、その犬を見て微笑んだ―少年と犬。犬を愛する人に贈る感涙作。(「BOOK」データベースより)
西村寿行の小説で『黄金の犬』という作品がありました。飼い主とはぐれた猟犬が故郷を目指す、という設定だったと思うのですが、本書『少年と犬』と異なり、西村寿行お得意のアクション満載のサスペンス小説ではなかったかと思います。
この作品も西村寿行の犬好きの目線があふれた作品としてベストセラーになり、映画化、ドラマ化もされました。当時西村寿行にはまっていた私ものめり込んで読んだ記憶があります。
西村寿行にはほかにも『犬笛』など、犬を主役にした作品もありました。
本書『少年と犬』は、そうした西村寿行の作品群とは異なります。アクションの要素が全くないとは言いませんが、あくまで主体は多門という犬です。ノワール小説を書いてきた馳星周の作品としては珍しい作品だと思っていました。
ところが、ノワール小説しか書かないと決めていた馳星周ですが、2013年に『ソウルメイト』、2018年には『雨降る森の犬』などの作品を出版されており、単に私が知らないだけだったようです。
犬好きとして知られた馳星周が、「いろんなことをやってみたほうが楽しいだろうな
」と書き始めたのが身近にいた犬の物語だったそうです。
その結果、デビュー作の『不夜城』が既に直木賞の候補作として選ばれていた馳星周が、今回の『少年と犬』で七回目の直木賞候補作となり、やっと受賞されたことになります。
本書『少年と犬』では、ノワール小説を書いてきた馳星周の作品らしく、認知症の母親とその世話をする姉を持つ男の第一話、そして外国人窃盗団の第二話には裏社会の人間が出てくるものの、単に登場人物がたまたま裏社会の人間だったというにとどまります。
ほかに、心が離れかけている夫婦(第三話)、死に至る病に冒された猟師(第四話)、身体を売って暮らす女(第五話)ショックで心を閉ざした少年(第六話)という全六話のそれぞれに異なる環境の登場人物が登場します。
基本的に、各話で登場する人間は孤独であり、何らかの鬱屈を抱えて生きています。その登場人物の前に現れるのがシェパードの入ったミックスらしい「多門」という名の犬でした。
多門はそうした人間をかぎ分け、彼らの前に救い主として現れるようですらあります。みんなこの犬の登場で心が癒され、生きることに光を見出し、そして別れを迎えます。
本書の帯に引用してあるように、犬という存在は「神が遣わした贈り物」だという作者の犬に対する愛情が行間にあふれている物語だとも言えます。
これまでのノワール小説の書き手からは想像もできませんでした。そういえば、西村寿行もハードバイオレンスの書き手でした。
犬は人間のダークな側面を描き続けてきた作者の心の糧であったのかもしれません。
また、ネタバレにもなりかねないので迷いましたが、熊本県に住む人間として一言。
本書『少年と犬』は東日本大震災を物語の起点とし、熊本地震を終点としています。大自然の前に為すすべもない愚かな人間に「無償の愛」をささげる犬の物語として是非読んでもらいたい一冊でもありました。
馳星周という作家の意外な一面を見せてくれた、感動的な作品でした。