カフェーの帰り道

カフェーの帰り道』とは

本書『カフェーの帰り道』は、2025年11月に東京創元社から224頁のソフトカバーで刊行された短編小説集です。

上野の街の裏通りにあるカフェーで働く女給の姿を通して各時代の世相を描き出している、第174回直木賞を受賞した作品です。

カフェーの帰り道』の簡単なあらすじ

東京・上野の片隅にある、あまり流行っていない「カフェー西行」。食堂や喫茶も兼ねた近隣住民の憩いの場には、客をもてなす個性豊かな女給がいた。竹下夢二風の化粧で注目を集めるタイ子、小説修業が上手くいかず焦るセイ、嘘つきだが面倒見のいい美登里を、大胆な嘘で驚かせる年上の新米・園子。彼女たちは「西行」で朗らかに働き、それぞれの道を見つけて去って行ったが…。大正から昭和にかけ、女給として働いた“百年前のわたしたちの物語”。(「BOOK」データベースより)

目次

カフェーの帰り道』の感想

本書『カフェーの帰り道』は、上野の繁華街からは外れた裏町にあるカフェで働く女給を描いた第174回直木賞を受賞した連作の短編作品集です。

その「カフェー西行」という名のカフェーで働く「女給」たちの、時代を違えた五つの物語からなっている作品集です。

 

カフェー」とは、本来は「当初はコーヒーと菓子だけの店だった」らしいのですが、本書でいうカフェーは「女給のサービスを売り物」にする形態のものを指しているようです( ウィキペディア : 参照 )。

先に述べたように、上野の街ではあっても繁華街ではない「世俗から忘れ去られたかのような」一角の、「建っているというよりはしゃがみ込んでいる風情の家並み」の、「商店街というには歯の欠けすぎた通りの真ん中」にある「カフェー西行」が舞台となっています。

この店の本当の名前は「アウグイステヌス」というのだけれど、店の入り口の脇にある西行法師らしき老人の焼き物が目印となっており、いつの間にか「カフェー西行」と呼ばれるようになったものです。

 

この店の店主が菊田という人のいい男です。

「カフェー西行」の「十九歳であること」という女給の求人条件も単に記載してあるだけだと言い、第二話でのどう見ても中年の女性である妹小路園子の女給への応募も即決してしまいます。

このカフェーを舞台に、夢二の描く美人画にも似た美人のタイ子、己の賢さを鼻にかける高等女学校出身のセイ、細かなどうでもいいところで嘘をつく美登里という三人の女給を中心に物語は進みます。

 

第一話「稲子のカフェー」は、関東大震災から二年以上が経」った時代の話です。

そこに、夫のタイ子との浮気を疑う稲子が現れるところから物語は始まります。

ただ、単に稲子の疑いの心が中心の話かと思えばそうではなく、当時はやっていた「竹久夢二の絵みたいな、いやに色っぽい柳腰の美人」と表現されているタイ子の話でもあります。

というより、本書全体の構成からするとタイ子の話という方が正しいのでしょう。

 

次の第二話「嘘つき美登里」は昭和四年四月に開店した銀座の松坂屋に配置された「昇降機ガール」の話から入ります。

そして、前話では二十三歳だった美登里は二十六歳になっているのです。

そんなカフェー西行ではセイがやめ、新しく妹小路園子という女性が勤め始めていました。

ただ、この園子はどう見ても小太りの中年女性であるのに、自分の歳は十九歳で家は男爵だというのでした。

 

第三話「出戻りセイ」では、一度は店をやめたセイが三十五歳という年齢になって再び戻ってきています。

セイは第二話では二十五歳でしたからちょうど十年が経っています。

店では大年増のセイですが、髭面の男から髪型や着物などについて言われた通りにやってみるとこれが大いに人気になるのでした。

 

第四話「タイ子の昔」は昭和十七年の物語です。

二十歳になったタイ子の息子の豪一も招集され、タイ子と戦地にいる豪一との文のやり取りが中心になっています。

当然のことですが、隣家の妻との会話などに戦時中の世の中の様子が自然に描かれていて、それと意識しないままに時代背景として流れているのです。

 

第五話「幾子のお土産」では「終戦から五年が経ち」とありますから、昭和二十五年の話ということになります。

十七歳の幾子の眼を通してみた物語で、美登里らまでも登場してきます。

戦争で兄を失った幾子の家族との生活を、やっと普通の暮らしができ始めた市民の生活や、幾子の「カフェー西行」での日常とを合わせ紹介してあります。

 

作者の嶋津輝は、2023年に発表した『襷がけの二人』という作品も第170回直木賞候補にノミネートされています

「裕福な家に嫁いだ千代と、その家の女中頭の初衣。」という大正から昭和、そして戦後を生き抜いた二人の女性を描いた大河小説です。

その作品の項では、この作家の文章を「優しく品のある文章」と記しているのですが、そのことは本書でも同様です。

実に平易で読みやすく、登場してくる女性たちの行いが丁寧に描き出されています。それでいて、それぞれの個性豊かな、しかし何も特別ではない女性たちの生きざまは、そのまま現在でも通用すると思います。

自分の容姿に自身のあるタイ子、頭の良さを自覚し小説家になることを夢見るセイ、嘘つきの美登里、世間知らずの園子、そして戦争で兄を亡くした幾子たちの物語は、その時々の世相を反映しながら彼女らの生き方が示されていくのです。

 

そういえば前述した『襷がけの二人』も同様で、二人の女性の生き方を追いつつ、その時の時代背景を浮かび上がらせています。

また、『襷がけの二人』で全編を覆っていたと覚えているユーモアは、本書でも生きています。

特に、第二話の「嘘つき美登里」での妹小路園子の話など自然に笑みが浮かんできます。

 

繰り返しますが、本書はとても読みやすいのです。それでいて、登場人物の姿が明確に書き分けられ、それぞれの個性がはっきりと浮かび上がってきています。

襷がけの二人』は直木賞を受賞することこそかないませんでしたが、非常に評価が高かったそうです。

そんな作者の次の作品である本書は当然のごとく直木賞を受賞しましたが、納得の受賞だと言えると思います。

襷がけの二人

襷がけの二人』とは

 

本書『襷がけの二人』は、2023年9月に368頁のハードカバーで文藝春秋から刊行された長編小説です。

二人の女性の、大正から昭和そして戦後の時代にわたる交流を描いた第170回直木賞候補となった作品で、読みごたえを感じた作品でした。

 

襷がけの二人』の簡単なあらすじ

 

裕福な家に嫁いだ千代と、その家の女中頭の初衣。
「家」から、そして「普通」から逸れてもそれぞれの道を行く。

「千代。お前、山田の茂一郎君のとこへ行くんでいいね」
親が定めた縁談で、製缶工場を営む山田家に嫁ぐことになった十九歳の千代。
実家よりも裕福な山田家には女中が二人おり、若奥様という立場に。
夫とはいまひとつ上手く関係を築けない千代だったが、
元芸者の女中頭、初衣との間には、仲間のような師弟のような絆が芽生える。

やがて戦火によって離れ離れになった二人だったが、
不思議な縁で、ふたたび巡りあうことに……

幸田文、有吉佐和子の流れを汲む、女の生き方を描いた感動作! 
第170回直木賞候補にノミネート。
再会 昭和二十四年(一九四九年)
嫁入 大正十五年(一九二六年)
噂話 昭和四年(一九二九年)
秘密 昭和七年(一九三二年)
身体 昭和八年(一九三三年)
戦禍 昭和十六年(一九四一年)
自立 昭和二十四年(一九四九年)
明日 昭和二十五年(一九五〇年)(内容紹介(出版社より))

 

襷がけの二人』の感想

 

本書『襷がけの二人』は、大正から昭和、そして戦後を生き抜いた二人の女性を描いた大河小説で、第170回直木賞の候補となった作品です。

上記の出版社の「内容紹介」を読むと「幸田文、有吉佐和子の流れを汲む、女の生き方を描いた」作品だとの説明があります。

幸田文も有吉佐和子も読んだことがない身には、その「流れ」と言われてもよく分からないのですが、「幸田文」に関しては本書の著者嶋津輝が自分と「幸田文」との関係について記した一文がありました( 本の話 : 参照 )。

『おとうと』などの作品で有名な「幸田文」は、父親である明治の文豪幸田露伴に家事をきびしく躾けられたそうで、柳橋の芸者置屋に住み込み女中として働いた際には近所で噂になるほどの有能さだったと言います。

 

 

一方、「有吉佐和子」については『華岡青洲の妻』や社会派と言われる『複合汚染』などの作品を残された方というほどの認識はありました。

ただ作家としてではなく、タモリの「笑っていいとも」というお昼のバラエティ番組の冒頭のコーナーに出た有吉佐和子が、「最後まで全部のコーナーをぶち壊して、1人でしゃべって帰っていった。」事件は衝撃的でよく覚えています。

 

 

結局のところ、文章が上手くてストーリーテラーとしての才能があった有吉佐和子と、「格調高くて目が離せない味わいがある」幸田文ということができるのかもしれません。

 

本書の時代背景が大正時代であることや、主人公が女中さんであることから思い出したのでしょうか、思い出したのが中島京子の『小さいおうち』という作品です。

この『小さいおうち』という作品もまた、まだ大正時代の香りを残していた時代を背景としていて、本書と同じく一人の女中さんの視点で語られる物語だったのす。

 

 

本書『襷がけの二人』を読んだ当初の印象としては、優しく品のある文章だということ、そして「粋」ということでした。

「粋」という印象は、主人公の女性が奉公することになった相手が三味線のお師匠さんであるところから来たのでしょう。

しかしながら、本書冒頭の「再会」の章で感じた本書に対する「粋」という印象は、次の「嫁入り」の章から修正されていきます。

本書で描かれているのは、「粋」とはかけ離れた「家」を第一義と考える当時の価値観のもとでの夫こそ絶対であり、嫁はその下で奉公人と共に家に尽くす存在であった嫁の姿です。

その上で、主人公の悩み、夫婦の障害が予想外のものだった、ところから印象が変化していったものと思われます。

 

私の印象はさておき本書では、大正時代から昭和へと時代は変わるなか、千代の嫁ぎ先である山田家での千代と女中頭のお初こと初衣、それに女中のお芳との楽し気な暮らしが描かれます。

このあたりの描き方は楽しげであり、読んでいてもほほ笑ましく感じたものです。

新郎の茂一郎は寡黙で何を考えているか分からない夫であり、何もわからない千代はただ、新しい環境になじむことだけを考えていたこともあり、初衣とお芳との暮しはそれは楽しいとも言えるものだったのです。

一方、茂一郎は初衣を嫌い抜いており、千代はそのことが不思議でならなかったのですが、その理由はゆっくりと明らかにされていきます。

また、茂一郎と初枝の生活は、夫婦の営みがうまくいかないこともあって次第に破綻に向かい、茂一郎は家に帰ることもなくなり、まさに千代、初枝、お芳らとの暮らしがあったのです。

 

その後主人公の千代と初衣との暮らしは開戦により一変し、戦時下で三人は離ればなれになっていくのです。

千代はそんな変化にもめげずにたくましく生きていくのですが、こうした女性の強さ、たくましさをあまり重くならないタッチで描き出しているところが幸田文や有吉佐和子の姿が見られるのでしょうか。

そうした影響の点はともかく、本書の千代の姿は読んでいてほほ笑ましい箇所もあり、また強さを見せつけられる面もあって、惹き込まれていきました。

昭和初期から戦後にかけて女性が一人で生きていくことがどれほど大変だったことか、男の私でもその一端は窺い知ることができます。

同時に、中心となる女性二人それぞれについて、性的な事柄をあっさりと語らせながらも物語展開の重要な出来事としているのには驚き、そんな性的な事柄を重要なポイントとする必要があったのかと疑問に思ったのも事実です。

しかし、そうした点は読後に色々な文章で高く評価してあり、疑問に思うことが逆におかしい気にもさせられました。

 

作者の文章自体に感じたのが優しさ、品のある美しさです。女性がたくましく生きていく姿が、格調ある文章で綴られている本書はそれだけでも読む価値があります。

残念ながら直木賞を受賞することはできませんでしたが、候補となるに十分な理由がある作品だと思いました。