月の満ち欠け

本来、私がそうであったように、何の前提知識もなくこの作品を読んだ方が本書の内容を十全に楽しめると思います。ですから、面白い作品を探している方は、この文章もこれ以上読まずに、直木賞受賞作だということのみを信じて読みす捨てることをお勧めします。

本書の感想を書く上で輪廻転生という言葉を避けは通れず、その言葉自体がすでにネタバレの要素を含むものであり、感想を書くと言うことは本書の構成にも触れることになり、それはやはりネタバレの要素を含むと思うからです。

でも、そういうほどに書いてはいないとは思いますが。

新たな代表作の誕生! 20年ぶりの書き下ろし
あたしは、月のように死んで、生まれ変わる──目の前にいる、この七歳の娘が、いまは亡き我が子だというのか? 三人の男と一人の少女の、三十余年におよぶ人生、その過ぎし日々が交錯し、幾重にも織り込まれてゆく。この数奇なる愛の軌跡よ! さまよえる魂の物語は、戦慄と落涙、衝撃のラストへ。 (内容紹介より)

本書は、輪廻転生をテーマとして、一人の女性の想いをめぐる三人の男性のドラマを描いた、第157回直木賞を受賞した長編小説です。

正木瑠璃という夫のある女性が、彼女に恋する一人の若者との語らいの中で「月の満ち欠けのように、生と死を繰り返」しあなたの目の前に現れる、と約束します。そこでのキーワードは「瑠璃も玻瑠も照らせば光る」。その後彼女は青年の目の前からいなくなります。

この彼女の存在がこの物語の中心なのですが、そうしたことは本書を読んでいく中で徐々に判明していくことです。

本書の書き出しは、ある母子の前に座る小山内堅(おさないつよし)という男が、初対面であるはずの目の前の女の子から、昔小山内が好きだったから「煎茶とドラ焼きのセットにすればいいのに」と言われ、返す言葉を失っている場面です。

会ったこともないのにこの女の子は何なのだ、と思いつつ読み進めていくと、娘が変だと話してくる妻についての小山内の回想に入り、次第に、本書は輪廻転生をテーマにした物語なのだと判明してくるのです。

その後、この親子との現時点での会話をたまに挟みつつ、この物語の出発点である正木瑠璃に恋い焦がれた男の三角哲彦(みすみあきひこ)や、正木瑠璃の夫である正木竜之介について語られていきます。

輪廻転生の物語と言えば、なにはともあれ三島由紀夫の『豊饒の海』全四巻をあげるべきでしょう。確かこの作品の第四巻「天人五衰」が三島由紀夫の遺作となったと記憶しています。第一巻「春の雪」から始まるこの物語は、本多繁邦という男を全編を貫く語り部とする、松枝侯爵家の一人息子である松枝清顕の輪廻転生の物語です。三島由紀夫の集大成文学とも言うべき本作品ですが、第一巻「春の雪」は妻夫木聡と竹内結子で映画化もされています。

三島由紀夫の市ヶ谷での自決後、非常な評判を呼んだ本書を私も読んだのですが、正直その良さを理解することはできませんでした。特に第一巻の「春の雪」は、明治末期から大正にかけての貴族社会を背景にした恋愛物語ということもあり、更には三島作品特有の美文調もあって、物語に入れなかったことを記憶しています。


近年の作品で輪廻転生をテーマにした作品と言うと、 梶尾真治の『エマノンシリーズ』を挙げることになるのでしょうか。この物語は、主人公のエマノンという女性が過去世の記憶をすべて持っており、その膨大な記憶ゆえの悩み、苦しみを抱えながら各時代を生き抜いていくというSF小説です。現時点(2017年8月)で、『たゆたいエマノン』が第七作として出版されているようです。

他には 山田風太郎の『魔界転生』もありましたが、この作品は輪廻転生をテーマにしていると言えるかは疑問があります。というのも、この作品では「魔界転生」という忍法によって蘇った柳生宗矩や宮本武蔵らといった剣豪たちが由比正雪の企みに利用されるという話で、同じく転生させられたものの敵対する側に回った柳生十兵衛と戦う、エンターテインメントに徹した小説です。深作欣二監督のもと、千葉真一や沢田研二らを起用して映画化もされ人気を博しました。

このように、輪廻転生をテーマにした小説や映画はかなりの数があると思うのですが、本書『月の満ち欠け』では、単に生まれ変わりそのものを描くのではなく、ある種ミステリー作品を読むかのように、あらかじめ張られた伏線を後に回収していく構成が見事です。

話が進むにつれ、冒頭の小山内堅(おさないつよし)と母娘との意味不明の会話が、少しずつはっきりとしてくる様子は、良質のミステリーと同様です。

そのうえ、本書を読み終えたときは物語の奥行きが一層広くなる更なる仕掛けがありました。実際読んで確かめてほしいものです。

蛇足ながら、本書を分類するとすれば何になるのだろうか、と悩んでいたところ、「何かしらのジャンルの棚に収めるのは、いつだってとても難しい。」( 西日本新聞書評 : 参照 )と言う文章がありました。私が判断がつかないのももっともだったのです。