本書『沖田総司』は、幕末に生きた新選組の沖田総司を描き出した長編の時代小説です。
あくまで沖田総司に焦点を当てた作品であり、新選組はその背景でしかないという意味で独自であり、かなりの面白さを持った作品でした。
本作では一般の新選組の物語で語られる著名な出来事の半分ほどは描かれていません。
当たり前のことではありますが、あくまで沖田総司の物語であり、総司がいない場所で起きた出来事は総司が絡んでいない以上物語の背景でしかないのです。
また、新選組が新選組として成立して以降の沖田総司に注目していて、京で新選組が成立するまでを最初の「京へ」という十三頁しかない短い章で描いてあります。
その後、「壬生浪人」「池田屋」と大きな事件が起きますが、ここまでで全体の四分の一程です。
「山南敬助」という章で山南敬助の脱走事件を、「処刑者」「逆流」などの章で藤堂平助との関わり、そして油小路事件から鳥羽・伏見の戦いへと時代は移っていきます。
ただ、ここでの油小路事件や鳥羽・伏見の戦いについての描写はさらりと触れる程度です。
これらの間に「いのち」という章では自らの病と闘いながらも総司の抱く恋心が描かれたりと、青年沖田総司が感傷過多になることもなく描かれています。
また、殺人者集団と呼ばれる新選組の中でも一、二を争う剣の達人でありながら、周りをも明るくする好青年である沖田総司。
子供たちからも慕われ無邪気に戯れる青年である総司という人物像は、殆どこの本の影響があると思われています。
本書と同様に青春小説としての一面を持つ新選組を描写した作品に、木内昇の『新選組 幕末の青嵐』があります。
しかし、『新選組 幕末の青嵐』は章ごとに主体が変わる多視点で描かれた青春群像劇であり、明治維新という時代そのものをもダイナミックに描き出しているのに対し、沖田総司一人に焦点が当てられ、沖田総司という個人を描いている本書とは若干その性質が異なると思われます。
また、本書で描かれている新選組での出来事は、今の時代で知られている事実とは若干の異なる点があります。
しかし、そうした齟齬は本書が描かれた四十年前は不明であった事実であり、その点は無視して読むしかありません。またそうした読み方をしても本書の面白さには変わりはありません。
新選組の物語といえば東屋梢風さんのサイト「新選組の本を読む ~誠の栞~」が詳しく、私のブログも含め他のサイトは読む必要はないほどです。勿論、本書に関しても同様です。