母の故郷の鳥取で店を開くも失敗、交通事故死した調理師の父。女手ひとつ、学食で働きながら一人っ子の僕を東京の大学に進ませてくれた母。――その母が急死した。柏木聖輔は二十歳の秋、たった一人になった。全財産は百五十万円、奨学金を返せる自信はなく、大学は中退。仕事を探さなければと思いつつ、動き出せない日々が続いた。そんなある日の午後、空腹に負けて吸い寄せられた商店街の総菜屋で、買おうとしていた最後に残った五十円コロッケを見知らぬお婆さんに譲った。それが運命を変えるとも知らずに……。
そんな君を見ている人が、きっといる――。(内容紹介より)
ある青年の日常を描く長編の青春小説で、2019年本屋大賞の候補作になった作品です。
柏木聖輔は両親を亡くし、たまたま立ち寄った総菜屋で働くことになります。
その店は田野倉督次、詩子夫妻が経営し、二十四歳の稲見映樹と二十七歳の未婚の母の芦沢一美という従業員がいるだけの小さな店でした。
しかし、田野倉夫妻も二人の従業員も聖輔を快く迎え入れてくれるし、この店に通ってくるお客もおなじ商店街の「おしゃれ専科出島」の出島滝子やリカーショップコボリの小堀裕作らといった気の置けない人たちばかりだったのです。
天涯孤独の身になった聖輔は、この「おかずの田野倉」で働きながら、調理師として生きていこうと心に決めるのでした。
本書は主人公の東京での生活をただ描いてあります。特別大きな出来事は起きません。そうした構造からか、私が若いころに読んだ庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』という芥川賞を受賞した作品を思い出していました。
この本は東大紛争のために東大入試が中止になったことから大学受験について悩む庄司薫という受験生の一日を描いた作品です。ただただ、薫君の軽いタッチの話し言葉で書かれた文章は、内容がないと批判もされたと記憶しています。
私も最初読んだときは誰にでも書ける軟派な本、くらいの印象しか持たなかったものです。しかし、どうも心に残ります。結局再読、三読することになったものです。
本書もその印象に似ています。とはいっても、『赤頭巾ちゃん気をつけて』ほどに軽いとは言いません。だた、物語が平板に進むという点で似ているというだけです。
そして、大きなイベントが起きない日常で、主人公が意識しないままに人との出会いがあり、新たな道に歩みだす姿が同様に心に残るのです。
また、本書の作者の何気ない文章に妙に心惹かれるものを感じてしまいます。
例えば、三十円というお金を辛抱するために最寄ではない駅まで歩く姿があって「僕はこれからもずっとそんなことを続けていくのだろう。」と独りごちる姿があります。
また、「ここは東京。どこにいても真っ暗にはならない。・・・地方にはある町の端っこみたいな部分がない。そこにある暗がりがない。」と、東京の華やかさを言うことで、自分の孤独感を表現してもいます。
こうした、何でもない、しかし細やかな文章は、かつて東京で一人で暮らしていた自分の学生時代を思い出させたりもするのだと思います。
かと思うと、青春小説にはつきものの井崎青葉という女の子も登場し、軽く会話を弾ませます。
また、篠宮剣という学生時代のバンド仲間が聖輔のアパートをホテル代わりにしていたり、同じバンド仲間の川岸清澄の家に招待され、裕福な家庭の豊かな生活を見せられたりと、友人関係も無いわけではありません。
基本的に善人ばかりが登場する作品でもあります。
ただ一人、母のいとこの船津基志という男だけが若干怪しい存在として登場するだけです。しかし、この男にしても彩り程度のワルであるにすぎないのです。
同様に普通の人間である主人公の普通の日常を描いて2017年本屋大賞候補にもなった作品として小川糸の『ツバキ文具店』という作品がありました。
「代書屋」を営む雨宮鳩子の、手紙をしたためたり、ご近所さんとの時間を楽しんだり、ゆっくりとした時の流れの中に生きる一人の女性を描いた心温まる作品でした。
本書『ひと』も似たような印象の作品です。
人間って捨てたものじゃあない、と、感じさせてくれる、とのレビュー記事がありました。そこまではっきりと感じたわけではありませんが、心惹かれる作品であったことは間違いありません。
私が気になったのは特に最後の一行でもあります。
でも本書の内容には無関係でもあり、以下は蛇足です。
それは、私が学生時代に新宿の映画館で見た「いちご白書をもう一度」という映画です。この映画のラストシーンが突然浮かび上がってきたのです。
この映画は、1960年も終わりころのアメリカの大学で起きた抗議運動(学生運動と言っていいかもしれません)の中にいる、一人の女子学生を描いた映画です。ジョン・レノンの「Give Peace a Chance(平和を我等に)」が効果的に使われていました。荒井由実の「いちご白書をもういちど」という楽曲でも歌われている映画でもあります。
この映画のラストがストップモーションになっていたのです。その時点で終わるのではなく、逆にそこからそれぞれの未来へと繋がるラストでしたが、本書もまさに同じだったのです。実際手に取って読んでみてください。