イン・ザ・プール

「いらっしゃーい」。伊良部総合病院地下にある神経科を訪ねた患者たちは、甲高い声に迎えられる。色白で太ったその精神科医の名は伊良部一郎。そしてそこで待ち受ける前代未聞の体験。プール依存症、陰茎強直症、妄想癖…訪れる人々も変だが、治療する医者のほうがもっと変。こいつは利口か、馬鹿か?名医か、ヤブ医者か。(「BOOK」データベースより)

「精神科医伊良部シリーズ」の第1作で、第127回直木賞の候補になった作品です。全5編の短編からなり、伊良部総合病院地下にある神経科の医者伊良部一郎と、ここを訪ねた患者との物語です。

「イン・ザ・プール」
原因不明の呼吸困難や下痢に見舞われ、まともに日常生活も送れない大森和雄は、伊良部総合病院に行くと地下の神経科に回されます。そこで待っていたのは中年の医師伊良部一郎と、マユミと呼ばれる妙に色気のある看護師でした。その伊良部医師に運動をするようにといわれ水泳を始めるのですが、今度はその水泳にはまってしまいます。ついには伊良部一郎まで一緒になり深夜のプールで泳ぐ羽目に陥るのですが。
「勃ちっ放し」
淫夢を見て勃起していた股間を強打し、鎮まることの無くなった田口哲也は、伊良部総合病院で陰茎強直症と診断され、地下の神経科へと回されます。しかしそこにいた伊良部一郎には逆にうらやましいと言われる始末。そこで自分の感情に問題があるのではと思い始めるのです。
「コンパニオン」
美人だと自覚するコンパニオンの安川広美は、常にだれかに見られていると思い悩みます。しかし、誰も広美のストーカーを見たものはいません。そこで訪れた伊良部総合病院の伊良部医師は、タダでボディーガードをやってあげても良いという始末です。そうこうするうちに、広美への視線は増えるばかりでした。
「フレンズ」
高校2年生の津田雄太は常に携帯を確認していないと気が収まりません。友人との繋がりを携帯電話で確認していないと不安で、一日のメール回数は200回を越えてしまうほどでした。両親に言われて伊良部総合病院の神経科にやってきた雄太でしたが、伊良部一郎の方が影響を受けて携帯電話を持ち始めるのでした。
「いてもたっても」
ルポライターの岩村義雄はタバコの火の後始末などが気になり始め、あまりにひどいので伊良部総合病院の神経科を訪れます。ところがカウンセリングも無駄だと言い切る伊良部一郎は、逆にライバル病院の悪口を記事にして欲しいなどと言い始めます。そのうちに岩村の症状は悪化するばかりでした。

こうしてこの短編集では、伊良部一郎のもとを訪れた患者に対し、通常のカウンセリングなどは無意味だと拒否し、やりたい放題の行いをする伊良部一郎の姿が描かれます。

忘れてはならないのは、伊良部一郎のもとにはマユミという妙に色気のある看護師がいて、胸と太ももをあらわにしながら注射を打つ、というシーンがお定まりであることです。謎の存在でいて、たまに伊良部一郎や患者に対し、的確な意見(?)を発します。

つまりは、本書に登場する病院側の人間としては伊良部一郎とマユミちゃんと呼ばれる看護師しかいないのですが、この伊良部一郎が強烈に過ぎて、読み手としてはこの物語はなんなのだ、とあっけにとられているうちに終わってしまうのです。

この本のような作品はあまり読んだことがなく、何とも言いようもないのですが、現代のストレス社会への警鐘として、深読みしようとすればどこまでも出来そうな作品です。しかし、そうしたことと無関係に、妙な医者に振り回される患者たちの珍妙な様子を単純に楽しめばいいのではないでしょうか。



この手の物語で言うと、やはり筒井康隆が一番に浮かびます。筒井康隆の作品に登場する人物は、まさに本書で登場する伊良部医師であり、その人物が破天荒な行動の末にスラプスティックな結果を巻き起こす、ハチャメチャとしか言いようのない物語が多いのです。それでいて、その破天荒な物語のあとにはちょっとしたおかしみや哀しみがあって、そして人間存在そのものを考えさせられたりもします。『日本列島七曲り』を始めとする初期の作品集などは、荒唐無稽と言ってもいい物語を収めた短編集ですが、本書に通じるものを感じます。

文章そのもののタッチは全くと言っていいほどに違いますが、どたばたコメディのあとに来る哀しみなどの意味では浅田次郎の『プリズンホテル』なども同様です。浅田次郎作品は、荒唐無稽なおかしみのあとに必ずと言っていいほどに涙を誘う舞台のような設定と、筋立てが待っています。読むたびに浅田次郎という作家の文章のうまさを感じさせられます。

蛇足ながら、本書は松尾スズキ主演で映画化もされています。