虐殺器官 [ 新版 ]

9・11以降の、“テロとの戦い”は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう…彼の目的とはいったいなにか?大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは?現代の罪と罰を描破する、ゼロ年代最高のフィクション。(「BOOK」データベースより)

 

本書は、「テクニカルかつ繊細なタッチで未来の戦争と世界の現実を語る衝撃的な長編」として、2000年代のベストSF小説と言われる長編のSF小説です。

 

近時、日本のSF小説を語るときに伊藤計劃という作家の名前が登場しないことはありませんでした。しばらくSF小説から遠ざかっていた私にとっては全く聞き覚えの無い作家でもありました。

そうして、あまり知らない、しかしいつかは読まなければならない作家として心の隅にあったのですが、それが今回の入院を機にやっとこの作家のデビュー作である本書『虐殺器官』を読むことができました。

読み終えた直後の率直な感想は、本書の全体が思弁的に過ぎ、物語にそうしたことを求めない私にとっては少々冗長とも感じてしまう、というものでした。

 

二十一世紀のアメリカ軍で暗殺を請け負う唯一の部隊である情報軍の特殊検索群i分遣隊所属のクラヴィス・シェパードという男が主人公であり、この男の一人称で物語は進みます。

主人公は世界で頻発している大虐殺の裏にいるジョン・ポールという男を追いかけることをその任務としていますが、残虐性を帯びた任務のためか、内省的であり、ある意味繊細でもあります。

そのうちジョン・ポールに接触した主人公は、脳があらかじめ持っていた遺伝子に刻まれた、言語を生み出す器官である「虐殺器官」という言葉を聞かされるのです。

 

再度書きますと、本書は私のような人間にとってはひとことで言えば「難しい」小説でした。

戦闘員が乗り込むポッドの姿勢制御には筋肉素材が使われている、などの設定自体はSF小説では特別ではなく、そのこと自体は別に難しいことでも何でもありません。

私が難しいと感じるのは、例えば主人公がルツィア・シュクロウプという女性と交わす、語学・ことばについての会話などのことです。

「言語が人間の現実を形成する」、「ホッブス的な混沌」などと言われても、ピンとくるものではないのです。ここで交わされる会話の意味を掴もうとすると、一語一語の意味を正確にとらえていかないと理解できず、物語に置いていかれます。

 

更に言えば、本書はアフォリズムと言っていいものか、格言風に主人公の心象を表現してある文章が多用されている点でも感情移入を阻む作品でもありました。

例えば「見つめられることの安堵は、息苦しさの表側に過ぎない。」などという文章があると、その文章の意味を理解しようと頭が働き、感覚的に主人公の言葉に乗っていけません。

そうでなくても主人公の思考過程で、「ことばによって現実が規定されていて」などという文章が出てくるだけでその意味に惑わされてしまうのですから、物語に感情移入するどころの話ではないのです。

 

本書ではそういう箇所が多々あり、ひとつのクライマックスでもあるジョン・ポールとの会話の場面もまたそうでした。

そこは、この場面ではタイトルの「虐殺器官」の意味もまた明らかにされていく大事な場面であり、物語に置いていかれるわけにはいかず、理解するのに必死だったのです。

 

ちなみに、「ホッブス的な混沌」とは、ホッブスが人間の自然状態だと言った「決定的な能力差の無い個人同士が互いに自然権を行使し合った結果としての万人の万人に対する闘争」( ウィキペディア : 参照 )の状態だと解していいのでしょうか。

 

このような難解さは第24回日本SF大賞を受賞した冲方丁の『マルドゥック・スクランブル』というサイバーパンクの匂いが強いSF長編小説でも感じたものでした。

この作品は、ギャンブラーのシェルに殺されかけているところをネズミ型万能兵器のウフコックとドクター・イースターに助けられた少女娼婦ルーン=バロットが、逆に彼らの力を借りシェルを追いつめるという物語です。

本書『虐殺器官』同様に登場人物の会話が難しく感じた作品でもありました。しかし、本書よりもアクション性が強いものの、本書のような思弁的な構造は持っていなかったようにも思いますが、ちょっと自信はありません。

 

 

とはいえ、読み終えてからあらためて本書に書かれていることを思い返してみると、本書『虐殺器官』はどこかのレビューにあった、ハウダニット・ホワイダニットとしてのミステリーとしての面白さも確かに持っていました。

それは、明らかにされた「虐殺器官」という言葉の意味が、さらにジョン・ポールによってささやかれるときのその本質的な理由に連なるものです。

そうしたことを含めて、読後の感想は単に「難しい」ということを超えて、驚きと納得とないまぜになった面白さがあったと言わざるを得ません。

 

本書はまた、共に私は未見ですがコミック化、さらにアニメ化もされています。