「コロッケ」「キャベツ炒め」「豆ごはん」「鯵フライ」「白菜とリンゴとチーズと胡桃のサラダ」「ひじき煮」「茸の混ぜごはん」・・・・・・東京の私鉄沿線のささやかな商店街にある「ここ家」のお惣菜は、とびっきり美味しい。にぎやかなオーナーの江子にむっつりの麻津子と内省的な郁子、大人の事情をたっぷり抱えた3人で切り盛りしている。彼女たちの愛しい人生を、幸福な記憶を、切ない想いを、季節の食べ物とともに描いた話題作、遂に文庫化。( Amazon 「内容紹介」 より )
長編と言ってもよさそうな、全部で11篇の連作短編集です。
各短編は三人の女性それぞれの視点で、交互に語られていきます。
三人の女性、それは舞台となる「ここ家」という惣菜屋さんのオーナーである江子、その従業員である麻津子、そして「ここ家」には三か月前に入ったばかりの新入りの郁子の三人です。
三人共に60歳、もしくは60歳を超えたばかりのおばさんたちで、現在のところ三人ともにひとり身です。当然のことながら、それなりの過去を持っています。
この三人の前に現れたのが米屋の配達担当の新人の春日進です。江子は、江子、麻津子、郁子、そして進と揃い、来る、待つ、行く、進でロイヤルストレートフラッシュだとはしゃぎます。
店を終えると、江子と麻津子は行きつけのスナック「嵐」に行き、郁子は一人家に帰ります。そして、三十四年前に二歳で亡くなった息子草(そう)と半年前にこの世を去った夫俊介の写真を前に一人ビールを飲むのです。こうして冒頭の第一話は終わります。
「ここ屋」のおいしそうな惣菜の香りを漂わせながら、小気味いいリズムを持った文章で登場人物の紹介を兼ねた形ですね。この時点で、さすがにうまいものだと感心しているうちに、物語の世界に惹きこまれているのです。
『切羽へ』で見せていた官能の香りは本編ではありません。代わりに、うまそうな惣菜の香りと、それにおばさん達の小気味いい会話、そして意外と若々しい一面を見せるおばさん達の女としての顔、があります。
ただ、『切羽へ』でも理解できなかった女性たちへ思いは本書でも同じです。私と同世代の彼女らの女としての側面は私の理解の外にありました。江子は別れたかつての旦那を思いきれず、今でも一、二カ月に一度、元旦那の家を訪ねているなど、何なのだ、と思ってしまいます。
本書のような設定の女性は作者の頭の中だけの話なのか、現実の女性たち一般としてありうる話なのか、友人の女性に聞くと、こうした疑問を持つことがおかしいと、さも当たり前の話のように、「現実にある」と言い切りました。
各短編ごとに惣菜のレシピを紹介しながらも、おばさん三人のそれぞれの生活や心情を、軽いユーモアに包みながら、綴っていきます。平凡な日常の、平凡であるが故の幸せを、善人しか出てこないこうした物語で噛みしめてみるのもいいのではないか、と思わせてくれる、心温まる物語です。