光のとこにいてね

光のとこにいてね』とは

 

本書『光のとこにいてね』は、2022年11月にソフトカバーで刊行された、長編の恋愛小説です。

第168回直木賞の候補作であり、また2023年本屋大賞のノミネート作品でもあるかなり評価の高い作品ですが、私の個人的な好みとは異なった作品でもありました。

 

光のとこにいてね』の簡単なあらすじ

 

第168回直木賞候補作&2023年本屋大賞ノミネート?

刊行以来、続々重版。大反響、感動、感涙の声、続々!
令和で最も美しい、愛と運命の物語

素晴らしい。久しぶりに、ただ純粋に物語にのめりこむ愉悦を味わった。
さんざん引きずり回された心臓が、本を閉じてなお疼き続ける──そのまばゆい痛みの尊さよ。(村山由佳)

まぶたの裏で互いの残像と抱き合っていた二人のひたむきさが、私の胸に焼き付いて離れない(年森 瑛)

ーーほんの数回会った彼女が、人生の全部だったーー

古びた団地の片隅で、彼女と出会った。彼女と私は、なにもかもが違った。着るものも食べるものも住む世界も。でもなぜか、彼女が笑うと、私も笑顔になれた。彼女が泣くと、私も悲しくなった。
彼女に惹かれたその日から、残酷な現実も平気だと思えた。ずっと一緒にはいられないと分かっていながら、一瞬の幸せが、永遠となることを祈った。
どうして彼女しかダメなんだろう。どうして彼女とじゃないと、私は幸せじゃないんだろう……。

ーー二人が出会った、たった一つの運命
  切なくも美しい、四半世紀の物語ーー( 内容紹介(出版社より))

 

光のとこにいてね』の感想

 

本書『光のとこにいてね』は、ある二人の女性の小学生、高校生、そしてそれぞれに結婚している二十九歳になた生活を通して二人の関係性を描きだす感動に満ちた作品です。

一応は恋愛小説と分類していますが、形を変えた恋愛小説もしくは家族小説と言った方がいいのかもしれません。

第168回直木賞の、そして2023年本屋大賞の候補作となっていて、ネット上でもかなり評価が高く、感動的したなどの文言が並んでいる作品です。

 

登場人物としては、小瀧結珠校倉果遠という二人の女性が主人公として登場します。

小瀧結珠は医者の家庭のお嬢様です。ただ、母親が精神的なネグレクトと言ってもよさそうな問題のある母親です。兄がいますが、自分のことしか考えず、友人の藤野素生を結珠の家庭教師として紹介します。

校倉果遠は極端なオーガニック信者であるシングルマザーの母親のもと、友達も作ることができずいつも一人でいる子です。ただ、隣の部屋に住む、いつも男を連れ込んでいるチサという女だけは果遠を受け入れてくれていたのでした。

小学生時代の突然の別れの後、高校生時代の再会と別れ、そして二十九歳になった二人が、結珠が夫と共に引っ越してきたとある町で二人は再度出会います。

その町でスナックを開いていたのが果遠であり、海坂水人という夫との間に一人娘の瀬々が生まれていました。この瀬々を通して結珠と果遠はかつてのような仲を取り戻していくのです。

 

評価の高い本書『光のとこにいてね』ですが、何度も書いてきたように作品の客観的な評価は高くても個人的な好みは別なものであって、私の好む作品とは言えませんでした。

確かに、主人公の二人の女性の描き方は素晴らしいものがあり、この二人の女性の今後などが気にならないと言えば嘘と言えます。

しかし私の好きな作品とは、作品自体のストーリー展開がはっきりとしたものであり、登場人物の内心を深く追求するものには惹かれないのです。

その点、本書は二人の女性の相手への想いをきめ細やかに表し、何とも表現しようのない関係性を醸し出していて、物語性というよりは、二人の関係性そのものが表現されているようです。

つまり、本書は小瀧結珠と校倉果遠という二人の女性の関係性を描いている物語だと言っても過言ではありません。

 

本書『光のとこにいてね』の構成を見ると、性格の異なる二人の主人公それぞれの視点での語りが交互に入れ替わるものであり、二人の生活をお互いの視点で描き出すユニークなものです。

ものの見方の一面性を排除したさすがに直木賞、本屋大賞両賞の候補となる作品だと感心したものです。

そして、この二人の成長が小学二年生のとき、高校生時代、そして二十九歳になった二人と、その時を経た感覚で描かれていきます。

とは言っても、そこには母娘や子育て、さらには家族としての在り方を考えざるを得ない要素が満載です。

そうした視点もまた読者の心を打つのだと思います。

 

ただ、二人の関係性を丁寧に描いてあるのはいいのですが、それ以外の二人のそれぞれの親や仲間などへの配慮があまり無いように感じられてしまったとも言えます。

また、クライマックスも決して納得できる運びだったとは言い難く、残念に感じたものです。

でも、それは個人的な好みが反映された実に主観的な印象なのでしょう。

好みとは別に、読むべき本の一冊だということは言えそうな作品でした。

 

ちなみに、本書初版だけの話ですが、スピンオフ掌編として「青い雛」という短編がついています。

果遠の隣の部屋に住むチサという女目線の物語で、果遠が結珠のいる高校に現れた事情が描いてありました。

また、「初めての出会いから8年後――。高校生になったある日、結珠と果遠に訪れた、ささやかだけれど、煌めくような一瞬」を描いた掌編もネット上に公開してありましたので、少しでも本書に興味がある方は読んでみた方がいいと思います。

スモールワールズ

スモールワールズ』とは

 

本書『スモールワールズ』は、新刊書で199頁の全部で六編の物語からなる第165回直木賞の候補となった短編集です。

物語ごとに全く異なるタッチの、哀しみが漂いながらも心に沁みる様々な家族の形が描かれていて、それでいてとても読みやすい物語ばかりの短編集です。

 

スモールワールズ』の簡単な内容

 

ままならない現実を抱えて生きる人たちの6つの物語。夫婦円満を装う主婦と、家庭に恵まれない少年。「秘密」を抱えて出戻ってきた姉とふたたび暮らす高校生の弟。初孫の誕生に喜ぶ祖母と娘家族。人知れず手紙を交わしつづける男と女。向き合うことができなかった父と子。大切なことを言えないまま別れてしまった先輩と後輩。誰かの悲しみに寄り添いながら、愛おしい喜怒哀楽を描き尽くす連作集。第74回日本推理作家協会賞短編部門候補作「ピクニック」収録。(「BOOK」データベースより)

 


 

スモールワールズ』の感想

 

本書『スモールワールズ』の第一話「ネオンテトラ」は自分の姪っ子の同級生で家族に問題を抱えた男の子と、夫との間に問題を抱えた女との話です。

決して明るくはない話であり、私の苦手とする女性の内心を追いかける分野の作品だと感じ、この短編のような物語が最後まで続くのであれば読み通せないかもしれない、などと思っていました。

 

ところが、二作目の「魔王の帰還」は全くタッチが異なる、ユーモアに満ちた作品だったのです。

この作品は、ユーモラスでありながら青春小説でもあり、なお愛に充ち溢れた物語でもありました。

その第二話を読み進めるうちに、その文章の美しさまで気付けるようになっていました。

この作品は嵐山のりの絵でコミカライズされています。

 

 

そして、第三話「ピクニック」はまたタッチが異なっていました。それは、第三人称で語られる悲劇の物語であり、また上質のミステリーでもありました。

とある愛にあふれた家族の幸せな日々が一瞬の出来事で壊れてしまう様子は、恐怖すら感じましたが、最後は意外な結末に終わる物語です。

 

第四話の「花うた」は、いわゆる「書簡体小説」と呼ばれる全編手紙文で成り立っている作品です。

何となく先が読めるような気もしていましたが、最終的には物語に惹き込まれていたものです。

ただ、作中では犯罪被害者の会の様子なども記してありますが、よくこういう批判的な文章をかけたという印象でした。

書いたことを批判しているのではなく、批判的なことを書く力に対し、素直に驚いただけのことです。

この作品に関しては、本書『スモールワールズ』の巻末に「プリズン・サークル」という映画を見て想像して書いた作品だという説明がありました。

 

第五話「愛を適量」は五十男の一人称小説で、LGBTがテーマの悲哀に満ちた、しかし愛情についても考えさせられる作品になっています。

LGBT関連の話はいくつか読んできましたが、この物語のような観点からの問題提起というか、物語の運びはユニークなもので、意外性に満ちた展開には驚かされました。

 

第六話「式日」は、登場人物は先輩と後輩だけの、名前も示されない物語です。思いもかけない出会いから親しくなった二人の、他人には推し量ることもできなさそうなとある一日を追いかけた話です。

何となく、マイナーなアメリカ映画で描かれていそうな片田舎の出来事を記している、と思ったのですが、何故アメリカ映画なのか、自分でもよく分かりません。

 

それにしてもよくもまあタッチの異なる話を次から次に紡ぐことができるものだと感心するばかりです。

それも、第三話「ピクニック」は第74回日本推理作家協会賞短編部門の候補作にもあげられるほどの作品であり、どの物語もその完成度はかなりの高さにあると思えます。

そうした作品集だからこそ直木賞の候補にもなったのでしょう。

 

読了後、作者の言葉を読んでいると、プロットはまったく立てずに書き始めるとありました。それでいて『スモールワールズ』のように簡単な普通の言葉で人物の内心に迫り、意外な展開の作品を書けるのですから見事なものです( 直木賞候補・一穂ミチが語る、『スモールワールズ』に込めた想い : 参照 )。

また、「世界は残酷だということと、世界が美しいと思うことは矛盾なく成り立つ。そういうことを書きたい」という作者の言葉はインパクトがありました( 世界は残酷で美しい : 参照 )。

この点は若い頃にはまって読んだ五木寛之の確か短編集の中の一編に、ナチスの将校が一方で残虐な行為を行いつつ、他方でピアノで美しいメロディーを奏でることが矛盾せずに成立することについて書いた作品がありましたが、その場面を思い出してしまいました。

もしかしたら『蒼ざめた馬を見よ』ではなかったかと思うのですが、定かではありません。

 

 

いずれにせよ、この作家の作品はさらに読んでみたいとも思いますが、BL小説はやはり受け付けませんし、悩ましいところです。