スモールワールズ

スモールワールズ』とは

 

本書『スモールワールズ』は、新刊書で199頁の全部で六編の物語からなる第165回直木賞の候補となった短編集です。

物語ごとに全く異なるタッチの、哀しみが漂いながらも心に沁みる様々な家族の形が描かれていて、それでいてとても読みやすい物語ばかりの短編集です。

 

スモールワールズ』の簡単な内容

 

ままならない現実を抱えて生きる人たちの6つの物語。夫婦円満を装う主婦と、家庭に恵まれない少年。「秘密」を抱えて出戻ってきた姉とふたたび暮らす高校生の弟。初孫の誕生に喜ぶ祖母と娘家族。人知れず手紙を交わしつづける男と女。向き合うことができなかった父と子。大切なことを言えないまま別れてしまった先輩と後輩。誰かの悲しみに寄り添いながら、愛おしい喜怒哀楽を描き尽くす連作集。第74回日本推理作家協会賞短編部門候補作「ピクニック」収録。(「BOOK」データベースより)

 


 

スモールワールズ』の感想

 

本書『スモールワールズ』の第一話「ネオンテトラ」は自分の姪っ子の同級生で家族に問題を抱えた男の子と、夫との間に問題を抱えた女との話です。

決して明るくはない話であり、私の苦手とする女性の内心を追いかける分野の作品だと感じ、この短編のような物語が最後まで続くのであれば読み通せないかもしれない、などと思っていました。

 

ところが、二作目の「魔王の帰還」は全くタッチが異なる、ユーモアに満ちた作品だったのです。

この作品は、ユーモラスでありながら青春小説でもあり、なお愛に充ち溢れた物語でもありました。

その第二話を読み進めるうちに、その文章の美しさまで気付けるようになっていました。

この作品は嵐山のりの絵でコミカライズされています。

 

 

そして、第三話「ピクニック」はまたタッチが異なっていました。それは、第三人称で語られる悲劇の物語であり、また上質のミステリーでもありました。

とある愛にあふれた家族の幸せな日々が一瞬の出来事で壊れてしまう様子は、恐怖すら感じましたが、最後は意外な結末に終わる物語です。

 

第四話の「花うた」は、いわゆる「書簡体小説」と呼ばれる全編手紙文で成り立っている作品です。

何となく先が読めるような気もしていましたが、最終的には物語に惹き込まれていたものです。

ただ、作中では犯罪被害者の会の様子なども記してありますが、よくこういう批判的な文章をかけたという印象でした。

書いたことを批判しているのではなく、批判的なことを書く力に対し、素直に驚いただけのことです。

この作品に関しては、本書『スモールワールズ』の巻末に「プリズン・サークル」という映画を見て想像して書いた作品だという説明がありました。

 

第五話「愛を適量」は五十男の一人称小説で、LGBTがテーマの悲哀に満ちた、しかし愛情についても考えさせられる作品になっています。

LGBT関連の話はいくつか読んできましたが、この物語のような観点からの問題提起というか、物語の運びはユニークなもので、意外性に満ちた展開には驚かされました。

 

第六話「式日」は、登場人物は先輩と後輩だけの、名前も示されない物語です。思いもかけない出会いから親しくなった二人の、他人には推し量ることもできなさそうなとある一日を追いかけた話です。

何となく、マイナーなアメリカ映画で描かれていそうな片田舎の出来事を記している、と思ったのですが、何故アメリカ映画なのか、自分でもよく分かりません。

 

それにしてもよくもまあタッチの異なる話を次から次に紡ぐことができるものだと感心するばかりです。

それも、第三話「ピクニック」は第74回日本推理作家協会賞短編部門の候補作にもあげられるほどの作品であり、どの物語もその完成度はかなりの高さにあると思えます。

そうした作品集だからこそ直木賞の候補にもなったのでしょう。

 

読了後、作者の言葉を読んでいると、プロットはまったく立てずに書き始めるとありました。それでいて『スモールワールズ』のように簡単な普通の言葉で人物の内心に迫り、意外な展開の作品を書けるのですから見事なものです( 直木賞候補・一穂ミチが語る、『スモールワールズ』に込めた想い : 参照 )。

また、「世界は残酷だということと、世界が美しいと思うことは矛盾なく成り立つ。そういうことを書きたい」という作者の言葉はインパクトがありました( 世界は残酷で美しい : 参照 )。

この点は若い頃にはまって読んだ五木寛之の確か短編集の中の一編に、ナチスの将校が一方で残虐な行為を行いつつ、他方でピアノで美しいメロディーを奏でることが矛盾せずに成立することについて書いた作品がありましたが、その場面を思い出してしまいました。

もしかしたら『蒼ざめた馬を見よ』ではなかったかと思うのですが、定かではありません。

 

 

いずれにせよ、この作家の作品はさらに読んでみたいとも思いますが、BL小説はやはり受け付けませんし、悩ましいところです。