『恋とか愛とかやさしさなら』とは
本書『恋とか愛とかやさしさなら』は、2024年10月に小学館から240頁のハードカバーで刊行された、二編の中編からなる恋愛小説です。
2025年本屋大賞の七位になった作品であり、それなりに惹き込まれはしましたが、好みの作品ではないし、個人的な嗜好を別にしても私には作者の意図がわかりにくい作品でした。
『恋とか愛とかやさしさなら』の簡単なあらすじ
プロポーズされた翌日、恋人が盗撮で捕まった。直木賞受賞第一作。全国の書店から過去最大級の反響が殺到中の、著者新境地となる恋愛小説。(「BOOK」データベースより)
『恋とか愛とかやさしさなら』について
本書『恋とか愛とかやさしさなら』は2025年本屋大賞の七位になった作品ですが、私にとっては作者の意図がわかりにくい作品でした。
この物語は、主人公の女性のもとにプロポーズされた日の翌朝に、婚約者が盗撮で逮捕されたという連絡が入るところから始まります。
そして、婚約者が盗撮で捕まった時、そのことを知らされた相手方はどう思い、またどんな態度をとるのか、が問われるのです。
本書『恋とか愛とかやさしさなら』は前半と後半では主人公が異なります。
前半は、プロポーズを受けたとたんにその恋人が盗撮で逮捕された関口新夏(にいか)という女性の視点で描かれています。
その知らせを受けてからの、婚約者が盗撮という行動に出た理由を突き詰めようとする新夏の行動と内面とが描かれています。
私は男性であり、このような場合の女性の対応はわかりませんが、ほとんどの場合、別れという選択をとるのではないでしょうか。
婚約したその日に盗撮行為を行った理由を知りたいという新夏の思いは、彼女なりの啓久への愛情の現れだったのかもしれません。
しかし、読者にも盗撮行為を行った婚約者の理由がわからないのはもちろんですが、さらに本書に書かれたようなことまでする新夏の態度にはついていけないものを感じたのも事実です。
もちろん、このような場合の二人それぞれの行動は、当事者である二人の互いへの思いや関係性にもよるのでしょう。
でも、新夏の友人である薫が言うように、盗撮行為など大したことはないと割り切って付き合える女性はそうはいないような気がします。
新夏はそんな私の想像をも超えた行動に出るのですが、反面、背信行為を行った男は本書のような行動に出る場合が多いのではないかと考えます。
そして、後半は前半の主役である関口新夏の婚約者である神尾啓久(ひらく)という男性の視点になっています。
ただ、啓久の視点ではありますが、啓久と盗撮の被害者である小山内莉子という女性の関係を主軸として描かれています。
この点では、啓久の盗撮行為とその行為に対する新夏の行動という前半の関係を、啓久の視点から再構成したものになるのだろうという思いは裏切られました。
男性視点である後半ですが、本書の作者は女性ではあるものの、男性の心理をよくとらえられているとは思います。
また、視点を恋人同士で入れ替えることで、互いの相手方の言動の真意が明らかにされるという効果はうまく果たされているとも思います。
しかし、この物語の展開が全く予想外のものであり、この違和感をどう考えていいものか、悩むところでした。
私の場合、この物語はちょっと状況が飛びすぎているのではないか、と思ってしまいました。作者がこの状況をどういう意図で書いたのか、よく読めなくなってしまったのです。
それでも、あなたならこうしたときどのような対応をとるか、という作者の問いは明白なものでした。
この後半部分に関しては、どうにも例えば原田マハの『カフーを待ちわびて』や雫井脩介の『クローズド・ノート』のように最終的にはほっこりする物語のようには思えず、義務的な読書になるのは嫌だ、という印象から入った作品でした。
結局、こうした特殊な状況を受けとめる個々の読者によりかなり受け止め方が異なると思われ、私には作者の思いがわかりにくいと感じたものです。
作者は、「信じるということだけに求められる純度や潔癖さ」をテーマとした恋愛小説を書きたかったと書いておられます( 小説丸 作者インタビュー : 参照 )。
作品の中で様々な価値観が提示され、主役の二人はそのたびに揺れ動いています。
それは当然でしょうし、結局は社会的な生き物である人間は他者との関係性の中で結論を導き出していくものでしょうが、「信じるという行為の純度」はそのたびに下がっていくものなのでしょう。
でも、それこそが人間であり、作者はその先に何を求めているのか、先ほどのインタビュー記事の中で「共感」というキーワードが示されていますが若干わかりにくいものでもありました。
結局、本書『恋とか愛とかやさしさなら』のような事案で読者はどう思うか、という問いの先が今ひとつわかりませんでした。