集団左遷

社内で無能の烙印を押された五十人がひとつの部署に集められた。三有不動産首都圏特販部。その本部長を命じられたのが、篠田洋だった。不動産不況の中、売り捌けるはずのない物件と到底不可能な販売目標を押しつけられ、解雇の瀬戸際にまで追い込まれた五十人を守れるか。篠田の絶望的な闘いが始まった!(「BOOK」データベースより)

 

江波戸哲夫著の『集団左遷』は、リストラの対象となりかけているサラリーマンたちの生き残りをかけて戦う様子を描く長編小説です。

 

池井戸潤の『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケットシリーズ』などの小説をドラマ化した枠としてTBSテレビの日曜劇場がありますが、この枠で放映されることになったのが『集団左遷』というドラマです。

 

 

主演が福山雅治で香川照之も出演するという宣伝を見て、このドラマは見る価値があるかもしれず、その前に原作を読んでみようと思い立ったのが本書『集団左遷』です。

このドラマの原作としては実はもう一冊が挙げられていて、それが江波戸哲夫の『銀行支店長』という作品です。この二つの作品のエピソードを組み合わせ、一編のドラマとして作り上げてあります。

 

 

ただ、ドラマ版の『集団左遷』での舞台は銀行ですが、原作である江波戸哲夫の『集団左遷』という小説は不動産業界を舞台とした作品です。

でも、そこはエピソードをうまく脚色し、銀行業界の物語として構成してあります。

 

「集団左遷」というインパクトのある言葉そのままに、無能と評価された人材を特定の部署に送り込み、一定の業績をあげなければ解雇の対象となるという何とも無茶な設定です。

その上、その無能の集団が何ら名の業績をあげようとすると、本部の役員らは顧客の横取りなどの妨害工作を仕掛けてきます。そうした困難を乗り越えて何とか生き残ろうとする主人公たちの話です。

 

本書で描かれている妨害工作は、現在であればコンプライアンス違反として徹底した糾弾の対象となるであろう事案ばかりです。

所詮フィクションであり、主人公らが乗り越えるべき壁は困難なほうが乗り越えた際の喜びも大きい、というのは分かりますが、描かれている妨害工作はもはや犯罪行為です。

本書を読んでいる最中は、そうしたことを考えながらの読書でした。

しかし、本書が出版されたのは1993年です。当時はバブルがはじけ、各企業がバブル期の清算に必死になって取り組み、生き残りを図っていた時期です。

そうした時代背景を考えるとき、本書で描かれている事柄も無茶な設定とばかりも言ってはおられず、十分にあり得たのかもしれないと思うに至りました。

 

ただ、どうしても『半沢直樹シリーズ』と比較をしてしまいます。

小説としての面白さは、申し訳ないですが『半沢直樹シリーズ』に軍配が上がります。

しかし、本書『集団左遷』はそもそも痛快小説ではありません。先に述べた時代背景からしても、中小企業の実情を描いた人間ドラマというべきであり、痛快小説だろうとも思いこみで読み始めた私が悪いのです。

そして、決して痛快小説とは言えない結末へと向かいます。個人的にこうした小説は好みではなかったというしかありません。

 

そしてまた小説の印象に影響を与えているのが本書を原作とするドラマの出来栄えです。

私はテレビドラマ版の『半沢直樹』を見ていないので具体的な比較はできませんが、少なくとも『集団左遷』というドラマだけを見た場合、決して良い出来とは言えませんでした。

 

 

過剰な演技演出、何よりも主人公の銀行マンのわきの甘さは支店長としては銀行マン失格としか言えないものであり、致命的です。また、銀行に融資を願う顧客が、より利率が高い主人公の支店に再借入を願うなどの設定は、それなりの理由付けが必要でしょう。

他にもドラマとしては突っ込みどころ満載であり、原作を読む気も失せたものです。

今のところ『集団左遷』しか読んではいませんが、『銀行支店長』まで読む必要を感じずにいます。それほどにドラマ版の出来が良くないと思うのです。

 

また本書『集団左遷』は、1994年には柴田恭兵の主演で映画化もされています。