正欲

正欲』とは

 

本書『正欲』は2021年3月にハードカバーで刊行され、2023年5月に新潮文庫から528頁で文庫本が出版された、第34回柴田錬三郎賞を受賞し、第19回本屋大賞にノミネートされた長編小説です。

描かれている事柄以上に読者に覚悟を強いてくる作品であり、もしかしたらこれまで読んだ種々の小説の中で一番衝撃的な物語の一つだったかもしれません。

 

正欲』の簡単なあらすじ

 

生き延びるために、手を組みませんか。
柴田錬三郎賞受賞の衝撃作、ついに文庫化。

自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよなーー。
息子が不登校になった検事・啓喜。
初めての恋に気づく女子大生・八重子。
ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。
ある事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり始める。
だがその繫がりは、”多様性を尊重する時代’にとって、ひどく不都合なものだった。
読む前の自分には戻れない、気迫の長編小説。(出版社より)

 

本書は、ストーリーを追い、その流れの中で物語の登場人物の行動を追体験して楽しむという通常の作品とは異なる物語であって「あらすじ」を書くことは難しく、またあまり意味がないように思える作品でした。

 

正欲』の感想

 

私は大体エンタメ作品しか読まず、直木賞や本屋大賞といった特別な賞の候補作になった作品だけは、自分の好みとは違う作品であっても読もうと決めています。

これらの賞の候補作ともなれば面白い作品に違いない、と思ったからです。

しかし、そうした候補作の中には例えば村田沙耶香の『コンビニ人間』や又吉直樹の『火花』のように芥川賞を受賞するような作品も当然ながら含まれているのであって、そうでなくてもエンターテイメント作品ではない文学性の高い作品が含まれています。

本書『正欲』もそうした中の一冊であって、自分からは手に取らないけれども読んでよかったと心から思える作品でした。

 

 

本書の冒頭に、何を言いたいのかあまりはっきりとはしない一文が紹介されています。

何を言いたいのかよく分からない文章であり、そして読み進める中でいつの間にか忘れていた文章です。

しかし読了後に、作者の意図が凝縮されていると思われるこの一文の重要性、隠れている意味が少しだけわかったような気になりました。

この文章の後に小児性愛者たちの“パーティー”が摘発された新聞記事が紹介されていて、そして物語が始まります。

 

本書『正欲』は数人の登場人物のそれぞれの一人称視点で語られる物語からなっていて、まずは寺井啓喜という名の検事の視点での話から始まります。

そして、桐生夏月神戸八重子という女性たちの紹介を兼ねた一人称の話が続きます。桐生夏月は他人と外れている自分を認識しており、神戸八重子は引きこもりの兄に代表される男という存在を忌避しています。

そうするなか、桐生夏月の高校時代の同級生の佐々木佳道や、神戸八重子の大学の学祭の関係で知った諸橋大也らの名前が現れ、そして彼らの視点での物語も始まります。

 

本書『正欲』を読了後の今思えば、最初に検事の視点で始まることは意味があることなのかもしれません。

人間にはそこにおさまるべき通常のルートのようなものがあることを確信しているこの検事の視点は、「通常のルート」という社会正義の存在を確信しそれに従う社会の大多数の人々の代弁者でしょうか。

 

その後の話の展開の過程で語られるのは、佐々木佳道、諸橋大也、桐生夏月といった人物たちの性癖です。「多様性」が語られる現代においての特殊な性癖のことです。

彼らはその性癖の故に世の中とのつながりを保てず、他者を遮断して一人の世界で生きていますが、その彼らが冒頭で登場した検事の寺井啓喜の小学生の息子の運営するYouTubeを通じてつながりを持ち始めるのです。

孤立する彼らが、わずかな仲間との連帯を求め、その上で社会とつながりを持ち社会の中で生きていこうとする努力(と言っていいものか疑問は残ります)が、結果として冒頭の悲劇へと結びついていきます。

 

本書『正欲』の冒頭の一文は、マイノリティーと呼ばれる人たちに対して、自分は理解している、「多様性」を認めていると語りかける個々人に対して、「おめでたさ」を感じると言い切っています。

単純に、話者の理解の範疇で「多様性」を語ることへの嫌悪感を示しています。理解の範疇を越えたところにいる人達を認識していない人の言葉だと、ばっさりと斬り捨てているようです。

 

ただ、作者の朝井リョウは、「生き延びるために 本当に大切なものとは 何なのだろう」という問いかけに対する答えとして本書『正欲』を書いたと書かれています。

この「生き延びるために 本当に大切なもの」という問いかけ答えとして本書が書かれた、という言葉は、私にはその意味がよく分かりませんでした。

現代で様々な場所で「多様性」という言葉が語られ、その言葉を発する当人の立ち位置に対しての疑問を提示する、ということならわかります。

でも、本書が「生き延びるために 本当に大切なもの」という問いかけになるとは思えなかったのです。

 

本書の中心的な登場人物たちは、自分たちがこの社会では生きていきにくい存在だということを認識しています。

ですから、その生きにくい社会の中でひっそりと生きていくために「普通」を装うための手段として「繋がり」を持つことで社会の中で生きていこうとするのでしょう。

とするのならば、社会の異端である彼らの「性癖」こそが二人の繋がりであり、「多様性」という言葉への告発ということになるのでしょうか。

そういう意味であるのならば分かるのですが、どうも何となくそういう告発ということではないような気もします。

 

いずれにせよ、多視点で書かれる本書は、個々人の考えが他者にはなかなか及びにくいということも含めて、人の思考の限界を指摘するものでもあるでしょう。

さらには、いままで思っていた他者への同意、理解などの自分の思いが、全く薄く中身を持たない考えだと思い知らされたようでもあります。

一方、今までの自分の考え自体が間違ったものだとは思えないという感情もあり、なんとも心を思いっきり揺さぶられた、衝撃的な作品でした。

 

ちなみに、本書『正欲』を原作として、稲垣吾郎や新垣結衣の出演で映画化されるそうです。詳しくは、下記サイトを参照してください。

 

 

何者

就職活動を目前に控えた拓人は、同居人・光太郎の引退ライブに足を運んだ。光太郎と別れた瑞月も来ると知っていたから―。瑞月の留学仲間・理香が拓人たちと同じアパートに住んでいるとわかり、理香と同棲中の隆良を交えた5人は就活対策として集まるようになる。だが、SNSや面接で発する言葉の奥に見え隠れする、本音や自意識が、彼らの関係を次第に変えて…。直木賞受賞作。

現代の就職活動事情に光を当てた小説であり、現代の若者の青春小説で、平成24年度上半期の直木賞受賞作です。

端的に言えば、還暦を過ぎた歳になった私だからなのか、少々理解がしにくい物語でした。物語の筋立てが、ではなくて、登場人物たちの生活そのものについての話です。

一番の驚きは若者たちの生活そのものです。私たちの世代の多くの学生は風呂なし、共同トイレの四畳半の部屋というアパートに住んでいました。そんな学生生活を送った人間には本書の若者たちの生活はスマートに過ぎます。でもそれは時代の差であり、広げる話でもないのでしょう。

やはり一番はインターネット社会下での若者事情です。本書で展開されるインターネットを駆使した社会生活、その一環としてある就職活動の態様の変化についての違和感は無視できないものがあります。

個人的に理解できないのはツイッターという通信手段です。仲間内に限られたツイート(つぶやき)ならばまだ分かるのですが、一般個人が、意図しない第三者に読まれることを見越したツイートを前提とした情報交換は理解できません。

このような状況下でのツイートなど、情報の信憑性を欠いた空虚な言葉としか思えないのです。そうした中身のない言葉を通して得られる人間のつながりにどれほどの意味があるのでしょう。

とは言え、本書で描かれている若者たちの生活が普遍化できるかどうかは別にしても、現実の生活の一側面であることに間違いはないのでしょう。ツイッターを使うかどうかとは関係なく、若者同士の心の交流や正面からの対立があり、もう一歩踏み込むとそこには陰口を叩く仲間や、表面だけの言葉の交換があって、そこに気付いた時に傷つく人がいて、というドラマは時代や世代を越えた人間のありようそのものです。

本書はその点をリアルに描き出しているからこそ直木賞の受賞作ともなりえたのだと思います。

普通の若者の普通の日常を描き出した作品と言えば、何といっても庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』があります。第61回芥川賞を受賞したこの作品は、一見誰にでも書けそうな文章で、大学受験を間近に控えた、庄司薫という作者と同じ名前の高校三年生の冬の一日を描き出した秀作です。東大紛争のために1969年の東京大学入試が中止となるという時代を背景にした作品です。

日本各地の高校にまでも学生運動の波は押し寄せており、我が熊本の高校も例外ではなかったのです。そうしたこともあってか、私にとってはかなりインパクトの強い作品でした。

インパクトという意味では、その少し後、私が学生になってから読んだ小説で柴田翔の『されど我らが日々』という作品もあります。1960年代の大学生の苦悩を描いた作品で、この作品を読んだ当初はかなりの衝撃をうけた小説です。第51回芥川賞を受賞しています。

この時代の若者を描いた作品で私が傾倒した作品としてもう一冊。巨匠石川達三の『青春の蹉跌』という作品もありました。司法試験を目指す若者の物語で、萩原健一主演で映画化もされました。

これらの作品と、本書『何者』とはかなり内容が異なります。勿論時代背景も異なり、それは当たり前のことではあるのですが、上記の三冊が強い政治性、社会性を持っていることを考えると、時の変化を痛切に思い知らされ、若干の寂しさを感じないではありません。