推し、燃ゆ

本書『推し、燃ゆ』は、自分が推すアイドルに自らの全てを捧げる一人の女子高生の姿を描く、新刊書で125頁の長編の青春小説です。

第164回芥川賞を受賞し、2021年本屋大賞の候補作となっている文学的な香りは高い作品ですが、私の好みとは異なる作品でした。

 

推し、燃ゆ』の簡単なあらすじ

 

推しが炎上した。ままならない人生を引きずり、祈るように推しを推す。そんなある日、推しがファンを殴った。(「BOOK」データベースより)

 

主人公の十六歳の女子高生であるあかりの推す「まざま座」という五人グループの一人である真幸(まさき)がファンの子を殴るという事件が起きた。

あかりの推しである真幸の起こした事件はあかりの生き方にも大きな影響を与えるのだった。

 

推し、燃ゆ』の感想

 

本書の主人公あかりは、<まざま座>というグループの真幸という二十四歳の男子アイドルを推す十六歳の女子高校生です。

タイトルにもなっている「推し」とは、自分が応援するアイドルのことを言うそうです。

作者の宇佐美りんはインタビューに応えて、スターや芸能人を応援する側の言葉である「ファン」という言葉に対して、「推し」という言葉は、潜在的に「私の」という所有格が付着した強い言葉だと言っています( 「現代ビジネス」 : 参照 )。

 

個人的には、本書『推し、燃ゆ』のような作品は私の苦手とするところです。

確かに、本書の文章はレトリックが多用され、格調高く仕上がっていて、主人公の内心が感性に満ちた作者の言葉で非常に緻密に、それでいて125頁という分量もあって、わりと読みやすく綴られています。

とはいえ、比喩表現のうまさは時には私の理解の範疇を越えます。

例えば、本書『推し、燃ゆ』の冒頭近くで「肉体の重さについた名前はあたしを一度は楽にしたけど、・・・」という文章は一読しただけでは意味が取れませんでした。

文脈からすると、身体の不調に対して病名がついたことで一度は気持ちが楽になった、ということなのでしょうが、一旦立ち止まると読書のリズムが狂ってしまいます。

それは、読みやすいエンターテイメント小説ばかりを読んでいた私の読解力の低下によるものに間違いないのでしょうが、あらためて自分にとって読みにくい作品を積極的に読もうという気にはなりません。

このような高尚な文章ゆえに読書のリズムが取れない場面が多々あり、文章の見事さに比して読書が楽しくありません。

 

もともと、登場人物の内心を深く掘り下げて緻密に描き出す作品は苦手とするところです。

例えば、西加奈子の『i(アイ)』のように、紙数を費やして緻密に人物の内心を描写している作品は、いい作品ではあっても苦手とするのです。

それが、本書のように一段と文学的に表現されているとそれだけで圧倒されてしまう部分もあります。文章表現の美しさというよりは、心象表現の見事さに圧倒されるのです。

 

 

本書『推し、燃ゆ』は、殆ど主人公のあかりという女生徒だけしか登場しない物語です。

もちろん、友達の成美であったり、家族であったり第三者が全く登場しないわけではありません。

しかしながら、極端を言えばそうした人物は物語の背景であって、具体的な肉体を持った人物としてはあかりだけだと言っても過言ではありません。

そのあかりの人格をひたすらに追いかけてある物語であり、その追いかけ方の表現、単なる状況を描くだけでそれは状況を越えたあかりという人格をも描写しているのです。

その見事さは否定しようと思っても否定できるものではありません。

 

今回は単純に私の好みだけの文章になってしまいました。

こころから圧倒されたという他ありません。

ただ、好みではないのです。