化け者心中

化け者心中』とは

 

本書『化け者心中』は『化け者シリーズ』の第一弾で、2020年10月にKADOKAWAからハードカバーで刊行され、2023年8月に角川文庫から352頁の文庫として出版された長編のミステリー小説です。

江戸時代の文政期の歌舞伎の世界を舞台に、人間を食い殺してその人間に成り代わった鬼を探し出すという大変にユニークな作品で、一気にとりこになりました。

 

化け者心中』の簡単なあらすじ

 

ときは文政、ところは江戸。ある夜、中村座の座元と狂言作者、6人の役者が次の芝居の前読みに集まった。その最中、車座になった輪の真ん中に生首が転がり落ちる。しかし役者の数は変わらず、鬼が誰かを喰い殺して成り代わっているのは間違いない。一体誰が鬼なのか。かつて一世を風靡した元女形の魚之助と鳥屋を商う藤九郎は、座元に請われて鬼探しに乗り出すーー。第27回中山義秀文学賞をはじめ文学賞三冠の特大デビュー作!(内容紹介(出版社より))

 

化け者心中』の感想

 

本書『化け者心中』は、「鬼」というファンタジックな生き物を登場させていながらも、歌舞伎界の華やかさと役者の世界の人間臭い雰囲気に満ちた世界観を見事に再現し、ミステリアスな物語を作り上げた作品です。

驚くべきはその文章の見事さと同時に、中山義秀文学賞、第11回小説野性時代新人賞、第10回日本歴史時代作家協会賞新人賞の三冠を受賞しているという事実であり、この作品がデビュー作だという作者の力量です。

 

本書『化け者心中』の魅力は、まずはその文章にあります。

本書冒頭には、狙いを定めた娘である“おみよ”の唇を奪う寸前、「ねうねう、にゃあう」と鳴く猫に邪魔をされて江戸弁で愚痴を言いながらもなお追いかける主人公の藤九郎の姿があります。

不思議なのは、その藤九郎に対しおみよが「信さん」と呼びかけていることです。この場面には藤九郎とおみよの他には誰もいそうもないのですが、おみよはしつこく「信さん」と呼んでいるのです。

こうして、小気味いい言葉に先を促されながら読み進めると、本書の本当の主人公である田村魚之介(たむらととのすけ)という元女形が登場し、藤九郎との関係と共に藤九郎が「信さん」と呼ばれている理由もすぐに判明します。

こうした導入部から物語の世界観の一端が示され、読者はこの作品世界に一気に引きずり込まれてしまうのです。

 

次に、本書『化け者心中』で展開される世界観の異様さもまた魅力的です。

歌舞伎役者たちの暮らす現世と、鬼という妖(あやかし)の棲む世とが共存している世界であり、物語としてはファンタジーともとれますが、本書をファンタジーとは呼ばないでしょう。

娘も含めた江戸っ子たちがこぞって真似をする、歌舞伎役者が身につけている簪や笄などの小物から帯や着物に至るまでの絢爛豪華な世界がある一方、鬼が食い尽くし中身が鬼と入れ替わった存在が共に暮らしている世界です。

こうした世界で鬼が成り代わっているのは誰か、魚之介と藤九郎との捜索が始まります。

 

そして、歌舞伎の世界で生きている役者たち、それも女形の役者たちの生きざまこそが本書の主眼です。

大坂と江戸との間の歌舞伎役者同士のつば競り合いもさることながら、役者個々人の存在感が圧倒な迫力をもって迫ってきます。

その中で、屋号を「白魚屋」といい、当代一の女形と謳われたものの、とある事件で両足の脛の半ばから下を失った田村魚之介と、「百千鳥」という鳥屋を営む藤九郎とが江戸随一の芝居小屋である中村座の座元の中村勘三郎に頼まれ探偵役となるのです。

 

つい先日、第169回直木三十五賞や第36回山本周五郎賞を受賞した永井紗耶子の作品『木挽町のあだ討ち』を読んだばかりです。

この作品も江戸の「悪所」と呼ばれている芝居町の「江戸三座」の一つである森田座を背景とした作品でした。

衆人環視の中で成し遂げられたある仇討ちについて、その裏側に隠された物語が次第にあぶり出されていくというミステリー仕立ての作品です。

 

 

その作品でも芝居の裏側について書かれていましたが、本書『化け者心中』はより役者、とくに、「女形」と呼ばれている人たちの生きかたについて描き出されています。

鬼という存在を取り上げてその存在を突き止めようとしていますが、その実、役者(とくに女形)という存在について掘り下げてあるのです。

 

本書『化け者心中』は、続編として『化け者手本』という作品があるそうです。

 

 

今のところ、この二作品だけのようですが、もしかするとそれ以上のシリーズ物として紡がれていくのかもしれません。

本書は「文学賞三冠の特大デビュー作」という謳い文句もすごいのですが、実際に接してみるとこの謳い文句以上の衝撃に襲われること必至です。

それほどに素晴らしい作品だと思います。