『あるヤクザの生涯』とは
本書『あるヤクザの生涯』は、新刊書で著者自身の長いあとがきまで入れても177頁の長編の実録小説です。
期待される描写の対象と、石原慎太郎というある意味注目される作家の作品にしては、思ったものとは異なる作品でした。
『あるヤクザの生涯』の簡単なあらすじ
最大の武器は知力と色気、そして暴力!
特攻隊員、愚連隊、安藤組組長、映画俳優……
昭和の一時代、修羅に生きた男の激動の生涯をモノローグで描ききる圧巻のノンフィクションノベル!あんた『雪後の松』という詩を知っているかい。昔、ある坊主から教わったんだ。『雪後に始めて知る松柏の操、事難くしてまさに見る丈夫の心』とな。男というものは普段の見かけがどうだろうと、いざと言う時に真価がわかるものだ。松の木は花も咲かず暑い真夏にはどうと言って見所のない木だが、雪の積もる真冬には枝を折るほどの雪が積もっても、それに耐え、青い葉を保っている。それが本物の男の姿だというのだ。/俺はこの詩が好きなんだ。(「長い後書き」より)(内容紹介(出版社より))
『あるヤクザの生涯』の感想
東映のヤクザ映画や、映画関係の書物、それ以外にの様々なメディアを通じて見聞きする中でかなりのインパクトを残していたのが安藤昇という人物でした。
本書『あるヤクザの生涯』は、ある意味カリスマ的な存在である安藤昇という人を、これまた特異な位置にいる石原慎太郎という作家が描き出すというのですから、かなり期待した作品でした。
しかし、端的に言えば期待とはかなり異なる作品だったという他ないものでした。
期待外れの第一点は、その177頁という分量の短さです。
さらには、一般的な文芸書、小説などの場合の1頁あたり40字×14行で、最大文字数は560文字程度だそうです。
それに比して本書『あるヤクザの生涯』の場合、1頁当たり1行33文字で12行しかないので最大文字数は396文字となります( 手軽出版ドットコム : 参照 )。
それほどに少ない文字数であり、その上改行を多用してあるので一頁当たり350文字もないと思われる短さですから、早い人であれば一時間程度で読み終えてしまうのではないでしょうか。
ただ、この点は私の勝手な思い込みであり、期待外れというのは言いがかりだとも言えそうです。
第二点は、その構成であり、本書『あるヤクザの生涯』は安藤昇本人の語り、という形をとってあることでした。
できれば、一人称、三人称などの表現方法は別として、安藤昇本人を中心としたストーリー小説を期待していたのです。
本人の語りの形態をとったノンフィクションノベルも悪くはないのですが、それではどうしても本人の一方的な主張だけになってしまい、客観性がない印象を受けます。
そして、結局は先と同じになると思うのですが、本書『あるヤクザの生涯』のような本人の語りという形態をとるにしても、もう少し詳しく、そして長い語りとしてほしかったと思います。
全体として、確かに安藤昇本人と会い、聞いたことなどをもとに資料を当たられて構成し直してあるとしても、もう少し詳しく安藤昇の具体的な行動、動きを知りたい気持ちは残りました。
それでも、アウトローである安藤昇という人物像はそれなりに描いてあったと思います。
ナイフを所持し、命を捨てたその行動は他の人間を寄せ付けないものではあったようで、その度胸は私のような一般的な気の弱い人間には想像もつかない存在だと理解できます。
また、随所に見せられるエピソード、例えば著者石原慎太郎と安藤組の大幹部である花形敬との出会いのエピソードなどは出来すぎとも思えるほどのものでした。
『塀の中の懲りない面々』を書いた安部譲二という人も昔は安藤組の組員だったと聞いたことがあります。
とにかく、この人物を語る人は皆、男としての魅力満載の人物ではあったと言います。
それはヤクザではない映画関係や普通の経済人などの一般人が言うことですから、あながち外れた評価でもないのでしょう。
結局はヤクザだから、と昔は思っていたのですが、ただ一点、自分には決してできない生き方を貫いた人だという点では認めるしかないようです。
私の思っていた石原慎太郎の作品は『青年の樹』や『おゝい雲』のような勢いのある小説です。
何よりも「青嵐会」なる若手議員集団を率いて暴れていた石原慎太郎という人物の、元気のある筆で安藤昇を描き出しているものだと思い込んでいました。
しかし、石原慎太郎は既に89歳であり、それも87歳で膵臓がんを患い奇跡の復帰をされた後での執筆活動ですから、そのことを考えると逆に見事な仕事というべきでしょう。
それでもなお、一読者としては作家に期待するのはより良い作品です。作者の事情はその次であり、つまりは、自分の期待していた作品とは異なると言わざるを得ないのです。
本書『あるヤクザの生涯』には、作者石原慎太郎の「長いあとがき」と銘打たれたあとがきが付属しています。
その中で「慶応高校の副番長をしていた弟」という文言が出てきました。あの映画スターの石原裕次郎が高校時代は副番長だったというのですから驚きです。
ある意味、石原裕次郎のこのエピソードが本書内で一番驚いたことかもしれません。
それにしても、残念な一冊でした。