店長がバカすぎて

本書『店長がバカすぎて』は、書店員を主人公としたお仕事小説であり、書店を舞台にしたコメディ小説であって、2020年本屋大賞の候補となった作品でもあります。

読み始めはかなりの関心を持って読み進めた作品だったのですが、途中から失速気味だと感じてしまった、微妙な小説でした。

 

谷原京子(契約社員、時給998円)「マジ、辞めてやる!」でも、でも…本を愛する私たちの物語。(「BOOK」データベースより)

 


 

本書『店長がバカすぎて』の読み始めの印象は非常によく、滅多に出会うことのない私の好みに合致する作品に出逢えたと、非常に喜んでいた作品でした。

例えると、対象は命であり全く内容は異なる作品ですが、まるで夏川草介の『神様のカルテシリーズ』を読んだ時の印象に通じるものがありました。

主人公である谷原京子のユーモアに満ちた言葉や態度のもたらす気楽さ、軽く書いてはあるのだけれどその内容の重さなど、似た印象を持ったものです。

 

 

しかし、本書の中ほどにも至る前から、違和感を感じ始めました。その原因は、戯画化されすぎた人物像ではないかと思われます。

主人公の言動は確かに面白いのですが、あまりにデフォルメされすぎていて、それまで抱いていた本に対する愛情への共感すらも途中からは薄れてきました。

そしてクライマックスに至っては、心はすっかりと離れてしまいます。伏線の回収を見事にされているつもりなのかもしれませんが、どうにも独りよがりの印象が強く感情移入できませんでした。

 

また、店長ひとりをとってみると、「第二章 小説家がバカすぎて」において、バカなはずの店長が武蔵野書店の店員をひたすらに擁護する場面があります。

そこにおいての店長の発言は意外なものであり、バカなはずの店長がとてもたくましく、普段はその能力を隠しているのではないかと思えるほどに魅力的に見えるのです。

しかし、そのときの印象はどこへやら、またいつもの店長に戻るのですが、結局この店長の正体はよく分かりません。

店長の性格付けがよく分からないままにクライマックスへとなだれ込み、よく分からない店長のままに終わります。

なぜ店長のそばにあの人が、という疑問を抱いたのは私の読み込み不足でしょうか。

似たようなことは店長に関することに限らないこともあり、感情移入できなくなった一因かとも思われます。

 

とはいえ、本書『店長がバカすぎて』に書かれている事柄は現場で働く人からも「描写がリアル」だと評価が高かったそうです。

確かに、私の個人的な書店勤めの友人から聞いていた事実とも合致し、クレーマーとしか言えない客や、年末に売り出される主婦雑誌の新年号について従業員が負わねばならないノルマ制度などは驚きでした。

クレーマーの話はどこでもありますが、それでも本書に登場するような客が実際にいるという現実、また、従業員に課されるノルマの裏には出版社と書店との間の報奨金というシステムがあることなどは知りませんでした。

主人公の京子の冬のボーナスは2万9900円で、割り当てられた雑誌の買取り額が2万8000円だというのは笑い話にもなりません。この数字は本書の中の数字かもしれませんが、現実に似た状況があるというのです。

極めつけは、この事実に対しとある営業マンが放った一言です。自分たちのボーナスを使って買い込んだことは、つまりは出版社の正社員のボーナスを払っていることになるというのです。これは契約社員の京子には厳しい指摘でしょう。

 

本書『店長がバカすぎて』のように書店を舞台にした作品と言えば、村山早紀の『桜風堂ものがたり』という作品があります。

この作品は人づきあいが下手な一人の青年が、ブログを通じて知り合った書店主のあとを継ぐことになる話で、2017年本屋大賞の候補作となった作品です。

この本も当然ですが本に対する愛情あふれた作品で、私は本書と同様に『神様のカルテシリーズ』を思い出したと書いています。

 

 

本書のタイトルは『店長がバカすぎて』でした。しかし、その章立てを見ると「小説家がバカすぎて」「弊社の社長がバカすぎて」と続きます。

つまりは書店に関係する人たち皆に対し京子が怒りをぶつけているのです。

最初は書店員としての怒りだったのですが、そのうちに個人的な事柄をも持ち込まれてきて、両者は混然一体となってきます。

三十路を前にした独身女の悲哀、とでもいうべき憤懣を吐き出しているのです。

 

本書『店長がバカすぎて』への感想は大枠以上のようなものですが、あらためて言うまでもないことですが、本書が面白くないということではありません。

個人的な好みとは異なるということをつらつらと書いてきただけのことです。

不満点ばかりを書きすぎたことでもあり、一言申し添えておきます。2020年本屋大賞の候補となった作品であるということはやはりそれなりのものはあるのです。