アルプス席の母

アルプス席の母』について

本書『アルプス席の母』は、2024年3月に小学館から354頁のソフトカバーで刊行された長編の高校野球小説です。

高校部活のあるあるネタ的なところもありますが、それでも青春小説の王道もおさえてあり、2025年本屋大賞の候補となった作品だけのことはありました。

アルプス席の母』の簡単なあらすじ

まったく新しい高校野球小説が、開幕する。

秋山菜々子は、神奈川で看護師をしながら一人息子の航太郎を育てていた。湘南のシニアリーグで活躍する航太郎には関東一円からスカウトが来ていたが、選び取ったのはとある大阪の新興校だった。声のかからなかった甲子園常連校を倒すことを夢見て。息子とともに、菜々子もまた大阪に拠点を移すことを決意する。不慣れな土地での暮らし、厳しい父母会の掟、激痩せしていく息子。果たしてふたりの夢は叶うのか!?
補欠球児の青春を描いたデビュー作『ひゃくはち』から15年。主人公は選手から母親に変わっても、描かれるのは生きることの屈託と大いなる人生賛歌! かつて誰も読んだことのない著者渾身の高校野球小説が開幕する。(内容紹介(出版社より))

本書『アルプス席の母』の主人公は高校球児の母である秋山菜々子というシングルマザーです。息子の航太郎は、希望学園高等学校という大阪の新興私立高の野球部に所属しています。

秋山菜々子は、それまで暮らしていた神奈川県の住まいを処分し、息子のいる高校の近くへと住まいを移すことを選択し、職場も見つけて移住することを決意します。

息子航太郎の高校生活が始まりますが、菜々子も野球部の父母会の理不尽としか言いようのない慣行に振り回される暮らしが始まります。

ただ、同じ野球部員の母親である間宮香澄と知りあい、何とか乗り越えていくのでした。

アルプス席の母』とは

本書『アルプス席の母』は、2025年本屋大賞の候補となった長編の高校野球小説です。

高校野球部に所属する息子のために様々な理不尽な仕打ちにも耐えしのぶ母親の姿が描かれていると同時に、息子の航太郎の成長を描く青春小説という側面をも持っています。

アルプス席の母』の登場人物

本書の主人公は高校球児の母である秋山菜々子というシングルマザーです。

隠れた主人公とでもいえる菜々子の息子の航太郎は希望学園高等学校という大阪の新興私立高の野球部に所属していて、父親の健夫は航太郎が九歳の時に事故で亡くなっています。

航太郎が高校生の時の野球部の監督が希望学園中学校・高等学校の体育科教諭である佐伯豪介であり、ライバル校の山藤学園監督が内田監督です。

同じチームの仲間で中学の時のリトルリーグ時に戦ったことのあるのが西岡蓮であり、その母親が西岡宏美です。そして、父母会の三年生の会長夫婦が前田裕吾の父親とその妻の亜希子です。

なれない大阪での暮らしを助けてくれたのが、菜々子が勤務することになった「本城クリニック」の本城和紀先生であり、看護師長の富永裕子でした。

この富永裕子から同じ境遇にいる人として紹介されたのが、航太郎の仲間の間宮陽人の母親であり、のちに菜々子の一番の親友となる間宮香澄でした。

また、ライバルとして山藤学園の原凌介などがいます。

アルプス席の母』の感想

本書『アルプス席の母』に紹介してある高等学校の部活に関するエピソードのいくつかは、私自身が実際に噂で聞いたことがある事柄でもありました。

それは、全国ニュースで取りあげられていた事柄もあれば、個人的に聞こえてきた高校部活の部員の親たちが負担を強いられているという噂話でもあります。

高校のクラブ活動は素晴らしいものとは思いますが、その陰にあって、部員の父兄たちの負担がかなり大きいものになっているというのです。

本書は、そうした青春の代名詞たる高校野球、それも甲子園を目指す生徒たちの姿を描きながらも、本体は高校球児の母親こそが主人公の物語です。

 

私も五十数年前の高校時代にスポーツクラブに属してはいましたが、そのころは父兄の負担として道具代金を出してもらうことはあっても、父兄会などの存在などありませんでした。

ところが、三十年ほど前でしたか、部員の親たちが対外的な試合の時など応援や若干の費用負担、また場所によっては車の提供などの負担を強いられていたということを聞いたことがありました。

今、PTAの在り方もかなり問題になっていますが、本書で描かれているような部活動の父兄会の在り方も同時に考えるべきなのでしょう。

 

そうした問題提起も含め、本書は青春小説の王道もきちんと押さえてあって、息子の航太郎の野球の試合の様子や、人間としての成長の様子も丁寧におさえてあります。

ただ、描かれている出来事のそれぞれの展開が割とあっさりと描かれていると感じられ、人によってはその点が物足りなくなるのではないでしょうか。

また、クライマックスの場面は出来すぎと思う場面でもありますが、それでも青春小説としての見せ場も用意してあるのです。

久しぶりにのめりこんだスポーツ小説を読んだ印象でした。

 

スポーツ小説は少なくない数の作品が出版されてはいるものの、親の視点で描かれているものは寡聞にして知りません。

本書『アルプス席の母』同様にスポーツをする高校生の成長を描いた、それも陸上の世界をテーマにした作品として佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』(講談社文庫 全三巻) があります。

また、青春をテーマにしたスポーツ小説として同じ陸上の箱根駅伝を題材にした長編の青春小説の、三浦しをんの『風が強く吹いている』を思い出しました。

ほかに、警察小説でも人気を博している堂場瞬一には陸上やラグビーをテーマにした作品群もまたかなり完成度の高いスポーツ小説があります。




スポーツは自分で行うのはもちろんのこと、物語を読んでも感情移入しやすい分野の一つだと思います。

特に、力のある作家の描き出すスポーツに関する作品は、自分ではプレイできないスポーツであっても追体験でき、物語世界に没入できる分野でしょう。

本書は、特に全く新しい視点からのスポーツ小説であり、とても面白く読むことができた作品でした。

店長がバカすぎて

本書『店長がバカすぎて』は、書店員を主人公としたお仕事小説であり、書店を舞台にしたコメディ小説であって、2020年本屋大賞の候補となった作品でもあります。

読み始めはかなりの関心を持って読み進めた作品だったのですが、途中から失速気味だと感じてしまった、微妙な小説でした。

 

谷原京子(契約社員、時給998円)「マジ、辞めてやる!」でも、でも…本を愛する私たちの物語。(「BOOK」データベースより)

 


 

本書『店長がバカすぎて』の読み始めの印象は非常によく、滅多に出会うことのない私の好みに合致する作品に出逢えたと、非常に喜んでいた作品でした。

例えると、対象は命であり全く内容は異なる作品ですが、まるで夏川草介の『神様のカルテシリーズ』を読んだ時の印象に通じるものがありました。

主人公である谷原京子のユーモアに満ちた言葉や態度のもたらす気楽さ、軽く書いてはあるのだけれどその内容の重さなど、似た印象を持ったものです。

 

 

しかし、本書の中ほどにも至る前から、違和感を感じ始めました。その原因は、戯画化されすぎた人物像ではないかと思われます。

主人公の言動は確かに面白いのですが、あまりにデフォルメされすぎていて、それまで抱いていた本に対する愛情への共感すらも途中からは薄れてきました。

そしてクライマックスに至っては、心はすっかりと離れてしまいます。伏線の回収を見事にされているつもりなのかもしれませんが、どうにも独りよがりの印象が強く感情移入できませんでした。

 

また、店長ひとりをとってみると、「第二章 小説家がバカすぎて」において、バカなはずの店長が武蔵野書店の店員をひたすらに擁護する場面があります。

そこにおいての店長の発言は意外なものであり、バカなはずの店長がとてもたくましく、普段はその能力を隠しているのではないかと思えるほどに魅力的に見えるのです。

しかし、そのときの印象はどこへやら、またいつもの店長に戻るのですが、結局この店長の正体はよく分かりません。

店長の性格付けがよく分からないままにクライマックスへとなだれ込み、よく分からない店長のままに終わります。

なぜ店長のそばにあの人が、という疑問を抱いたのは私の読み込み不足でしょうか。

似たようなことは店長に関することに限らないこともあり、感情移入できなくなった一因かとも思われます。

 

とはいえ、本書『店長がバカすぎて』に書かれている事柄は現場で働く人からも「描写がリアル」だと評価が高かったそうです。

確かに、私の個人的な書店勤めの友人から聞いていた事実とも合致し、クレーマーとしか言えない客や、年末に売り出される主婦雑誌の新年号について従業員が負わねばならないノルマ制度などは驚きでした。

クレーマーの話はどこでもありますが、それでも本書に登場するような客が実際にいるという現実、また、従業員に課されるノルマの裏には出版社と書店との間の報奨金というシステムがあることなどは知りませんでした。

主人公の京子の冬のボーナスは2万9900円で、割り当てられた雑誌の買取り額が2万8000円だというのは笑い話にもなりません。この数字は本書の中の数字かもしれませんが、現実に似た状況があるというのです。

極めつけは、この事実に対しとある営業マンが放った一言です。自分たちのボーナスを使って買い込んだことは、つまりは出版社の正社員のボーナスを払っていることになるというのです。これは契約社員の京子には厳しい指摘でしょう。

 

本書『店長がバカすぎて』のように書店を舞台にした作品と言えば、村山早紀の『桜風堂ものがたり』という作品があります。

この作品は人づきあいが下手な一人の青年が、ブログを通じて知り合った書店主のあとを継ぐことになる話で、2017年本屋大賞の候補作となった作品です。

この本も当然ですが本に対する愛情あふれた作品で、私は本書と同様に『神様のカルテシリーズ』を思い出したと書いています。

 

 

本書のタイトルは『店長がバカすぎて』でした。しかし、その章立てを見ると「小説家がバカすぎて」「弊社の社長がバカすぎて」と続きます。

つまりは書店に関係する人たち皆に対し京子が怒りをぶつけているのです。

最初は書店員としての怒りだったのですが、そのうちに個人的な事柄をも持ち込まれてきて、両者は混然一体となってきます。

三十路を前にした独身女の悲哀、とでもいうべき憤懣を吐き出しているのです。

 

本書『店長がバカすぎて』への感想は大枠以上のようなものですが、あらためて言うまでもないことですが、本書が面白くないということではありません。

個人的な好みとは異なるということをつらつらと書いてきただけのことです。

不満点ばかりを書きすぎたことでもあり、一言申し添えておきます。2020年本屋大賞の候補となった作品であるということはやはりそれなりのものはあるのです。