ふたご

本書『ふたご』は、「SEKAI NO OWARI」という人気バンドのメンバー藤崎彩織が書いた初の小説であり、第158回直木賞の候補作となった小説です。

個人的な好みからは少々外れたところにある小説でした。

 

彼は、わたしの人生の破壊者であり、創造者だった。異彩の少年に導かれた孤独な少女。その苦悩の先に見つけた確かな光。SEKAI NO OWARI Saori、初小説! (「BOOK」データベースより)

 

本書は、全編が西山夏子という主人公の一人称で語られています。そして、第一部は夏子と一つ年上の月島という男との物語であり、第二部はその月島を中心としたバンドの物語になっています。

本書の主人公の西山夏子は、このSEKAI NO OWARI のピアノ担当であるSaoriこと藤崎彩織が自分自身をモデルに描いた小説だろうし、私小説と言ってもいいのかもしれません。

SEKAI NO OWARI のファンからすると、現実のメンバーとの作者の恋愛事情を吐露した小説だとして、駄作であり、気持ちが悪いなどという、作品も現実も混同した論評(?)の声も聞かれるようです。

 

漫才師でありながら芥川賞を受賞した又吉直樹の『火花』という例を出すまでもなく、一芸に秀でている人が他の分野で才能を発揮する、ということはありがちではあります。

しかし、音楽と文章という全く異なる分野で、それも最高峰と位置付けられる賞の候補になるということは、それだけで才能そのものはお墨付きをもらったと言えるのではないでしょうか。

第一部では、中学校二年生まで仲間との付き合い方が分からずにいじめの対象になっていた夏子と、「夏子の居場所は俺がつくる」と言い切る月島の二人の姿が描かれています。

しかし、月島が高校生になり、夏子の知らない高校生の生活の中で好きな子がいるという月島の言葉に振り回されたりもするのです。

夏子にとっては月島だけが自分のことをわかってくれる相手です。他には誰もいません。しかし、二人の間で交わされる会話は夏子が、そして月島も後に言うように、「言葉の遊び」でしかなく、強烈な違和感を感じてしまいます。

こうした、月島に振り回される日々が、夏子の一人称で語られます。全編が夏子の心象を表現していると言っても間違いとは言えなさそうなまでに夏子の内面へと向かいます。そこには月島しかいなくて、それでいて、夏子自身の事柄についてはそれほど語られてはいません。

そこにあるのは、夏子の内心を通して表現される月島の行いであり、その行為に振り回される夏子自身の姿です。

 

実に読みづらい小説でした。主人公の少女の内面を吐露するこの物語は、前に読んだ 西加奈子i(アイ)のときに感じたのと同じ感情を持ってしまうのです。

こうした個人の内面をこれでもかと描写する作風は、どうしても敬遠してしまいがちになります。勿論、これは個人的な好みの問題なのですから作者には失礼だとは思いますが、どうしようもありません。

ただ、藤崎彩織という作者の文章を紡ぎ出す感性には脱帽するしかない、と思いつつの読書でもありました。夏子の心象表現のうまさは、素人読者である私にも感じ取れます。

切ないまでに月島という存在を想う夏子の心のうちがひたすら語られ、多感な時代の、冷めたようでいて相手への想いであふれた少女繊細さを描いた文章になっているのです。

 

そして第二部では、病から復帰した月島が、現実のバンドメンバーを彷彿とさせる仲間と共にバンド活動を始め、夏子もその中に引き込みます。皆で金を出し合い、ビルの一室を借り、防音装置を施し、スタジオとして完成させ、自前のスタジオを持つバンドとして活動を始めるのです。

この第二部になると第一部ほどの不快感はあまりありませんでした。それは、第二部がバンド仲間という登場人物が増え、バンド活動という明確な目的ができ、極端に言えば月島と夏子との内心の葛藤だけであった第一部と異なり、物語としての筋が出来ていたからだと思います。

ただ読後に読んだ本書についてのネット上でのレビューでは、第一部のほうが評価が高いようです。夏子と月島の感性のぶつかり合いが評価されたのでしょうか。

端的に言えば、私の好みとは異なる物語でした。