黒き侍、ヤスケ 信長に忠義を尽くした元南蛮奴隷の数奇な半生

本書『黒き侍、ヤスケ』は、新刊書で325頁の長さを持った長編の歴史時代小説です。

歴史小説やドラマの中などでたまに触れられることもある黒人の存在を取り上げた作品ですが、決してお勧めだとは言えない作品でした。

 

黒き侍、ヤスケ』の簡単なあらすじ

 

CNNでも特集された、いま世界が注目する“ブラック・サムライ”その謎多き半生。(「BOOK」データベースより)

 

イエズス会宣教師のイタリア人アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、ポルトガル領インドのゴアの奴隷市場で一人のたくましい黒人奴隷を購入した。

ヴァリニャーノはイエズス会東インド巡察師という要職にあり、東インド世界での在ローマ・イエズス会総長の代理人であることを意味していたのだ。

ヴァリニャーノはゴアで買った奴隷のモーを連れて、途中海賊に襲われながらも1578年9月にマカオへと到着し、1579年7月には島原半島南端にある肥前国口之津へと辿り着いた。

北九州での布教に尽力していたヴァリニャーノは、かつて近畿地方での布教活動をしていたルイス・フロイスからの連絡で織田信長という実力者の存在を知り、天正9年(1581)2月に京へと上る。

そのヴァリニャーノ達と四条西洞院の本能寺で会った織田信長は、黒人のモーを見て自分にくれと言い出すのだった。

 

黒き侍、ヤスケ』の感想

 

本書『黒き侍、ヤスケ』の帯を見ると「“ブラック・サムライ”その謎多き半生」との惹句があり、そして「斬新な歴史解釈、迫力の活劇、現代的なテーマ -すべてが揃った傑作。」との文言がありました。

確かに、織田信長のそばに弥助と名付けられた黒人がいたことは歴史上の定説だそうです。

ただ、資料に出てくる弥助の情報は少なく、本能寺の変のあとの弥助について書かれたものはどこにも出てきていないと言います。

そうした歴史上の空白の時間を想像力で埋めていくことが歴史小説家の仕事でしょうが、本書『黒き侍、ヤスケ』が歴史小説として成功しているかというと、個人的には成功しているとは思えませんでした。

すなわち、惹句で言われているような「すべてが揃った傑作」とまでは言えないと感じたのです。

 

というのも、結局本書『黒き侍、ヤスケ』で弥助と名付けられた黒人の存在は分かっても、弥助の暮らしや生き方などの人物像が明確になったとは言い難いのです。

確かに、本書は内容の割には読みやすく、「サラゴサ条約」や「トルデシリャス条約」など私が知らない当時の世界情勢などについても取り上げて書いてありました。

 ※ 「サラゴサ条約」や「トルデシリャス条約」については下記サイトが分かり易くまとめてありました。
   サラゴサ条約
   トルデシリャス条約

 

それは日本の国内情勢についても同様で、九州のキリシタン大名などについては少ない情報ではあるものの、よく書いてあったと思います。

しかし、弥助本人に関しての描写に関しては納得のいくものではなかったのです。

 

先般『もっこすの城 熊本築城始末』という熊本城築城の経緯を描いたというふれこみの作品を読んだのですが、残念ながら加藤清正という存在に焦点が当てられ、熊本城はその成果の一つという扱いになっていたのです。

熊本城という存在を中心に、加藤清正という武将が、いかなる歴史的な経緯のもとに、いかなる意図をもって名城といわれる熊本城を築城したのかが描かれている作品だと思い読んだだけに、残念でした。

 

 

そして本書『黒き侍、ヤスケ』もまた同様な思いを抱かざるを得ない作品でした。

弥助が日本に来るまでの事情もさることながら、信長の関心を得た後の信長の庇護のもとでの暮らしや、戦への参加の仕方、日本への思いなどの描写を期待していたのです。

しかし、本書では弥助の戦い方に少しは触れてありましたが、どちらかというと信長の生き方に比重があるように思えました。

また、明智光秀と信長との関係に紙数が割かれています。それは、後々の弥助の生き方にもかかわることなのでそれはそれでいいとしても、やはり弥助の影が薄いのです。

 

特に本書『黒き侍、ヤスケ』のクライマックス、本能寺の変以降の処理の仕方は納得のいくものではありませんでした。

黒人である弥助が異国の日本の地であのように動けるものなのか、というよりもそもそもの設定自体が無理筋に感じました。

そしてラストシーンもまた首をひねるもので、仲間との絆を描くのはいいのですが、あの処理の仕方は全く感情移入できません。

 

また、本書『黒き侍、ヤスケ』の文章、文体も個人的な好みではありませんでした。

戦いの場面など、雰囲気が盛り上がってきたところで、「・・・する。」という現在形で終わるというのは、ためにであれば効果的でしょうが、それが常の表現となるとリズムがくずれ読みにくいのです。

つまり、私の好みではありませんでした。

 

もちろん作者がどのような処理をしようと文句を言う筋合いのものではありませんが、テーマが期待の持てるものだっただけに、残念に思えて仕方ないのです。

ちなみに、本書を原作としてハリウッドで映画化される話が合ったそうですが、主役を予定されていた俳優さんが亡くなられたそうで、その後映画化の話がどうなったかは不明です。

 

蛇足ながら、本書『黒き侍、ヤスケ』冒頭では弥助を日本に連れて来た宣教師の姿がほんの少しだけ描写されていますが、この時期の宣教師の姿といえば遠藤周作の『沈黙』という作品が思い出されます。

本書のテーマとは少し離れますが、当時の宣教師の姿、また宗教というもののあり方、何よりも「神」の存在についえの考察など、世界的にも評価されたとてもいい作品なのでここで挙げておきます。

マーティン・スコセッシの手によって「沈黙 -サイレンス-」として映画化もされました。外人さんが描く日本の描写には不満は残るものの、弱い人間にとっての信仰などのテーマはそれなりに描かれていたと思います。