『任俠映画伝』とは
本書『任俠映画伝』は、俊滕氏の関わった映画の全作品目録まで入れて新刊書で314頁の聞き書きです。
俊滕浩滋プロデューサーの語る自分の映画人生を描いた作品ですが、映画関連の書物としては面白さに欠けるものでした。
『任俠映画伝』の簡単なあらすじ
『博徒』『昭和残侠伝』『緋牡丹博徒』シリーズなど、東映任侠映画生みの親・俊藤浩滋がついに語ったわが映画と俳優たち。(「BOOK」データベースより)
『任俠映画伝』の感想
本書『任俠映画伝』は、俊滕浩滋という稀有な映画プロデューサーの人生を映画評論家の山根貞夫が本人の語りの形式で描き出した作品です。
二段組の構成で、俊滕浩滋という人物への長年にわたるインタビューを本人の語りという形式で紹介してあり、各章の冒頭や話題の切変わる時などに、客観性を持たせるためか映画評論家の山根貞夫の説明を挟んであります。
そうした事情からこの二人の共著としての紹介になっているものと思われます。
確かに、俊滕浩滋という人物自身の生き方は魅力的です。
映画好きならば知らない人はいない大監督のマキノ雅弘や、東映の社長であった大川博に個人的につながりを持ち、後には銀座で有名なクラブのママとなる祇園の芸者と一緒になった男。
私が子供の頃見た映画の中ではっきりと覚えている映画の一本がマキノ雅弘の「次郎長三国志」ですが、この作品つくりにもプロデューサーとしてかかわっていたというのには驚きました。
特徴的なのが、若い頃にボンノの通称をもつ、後に代目山口組若頭補佐となる菅谷政雄という人物と友達付き合いがあったり、五島組の大野福次郎という大親分とも知遇を得たりと、ヤクザのそれも大物と親交を結んでいることです。
そうした人脈は後に東映で映画をつくるときに大きな力となり、俊滕浩滋という人物が作るヤクザ映画はホンモノの匂いがして人気を博したのだと、これは本書だけでなく、映画関係の書物を読むと書いてあります。
そんな他の本で読んだことが本書『任俠映画伝』の中ではいとも簡単に手柄話のように書いてあるのです。
しかし、そのいとも簡単に書いてあるところがどうにも自慢話のように聞こえてきます。
様々な階層の様々な人たちとの人脈を築き上げているのはいいのです。それは俊滕浩滋という人物の魅力でしょうし、そこには何の嘘もなく事実を述べてあるだけのことだと思います。
しかしながら、若山富三郎や藤山寛美などの大スターも自分が育て上げたと言い切る姿や、安藤昇も自分が映画に出したし、その紹介になる菅原文太なども自分が使ったからスターへの道を登っていった、といわんばかりのニュアンスは受け入れがたいものでした。
先般読んだ、『仁義なき戦い 菅原文太伝』にも指摘してありましたが、俊滕浩滋と菅原文太との出会いなど、ほかの人が言っていることとは異なる記載もあるようで、やはり本人へのインタビューをそのままに載せるのは若干問題がありそうです。
特に、本書『任俠映画伝』のような第三者が間に入り事実の検証が為されているかのような作品の場合、本人の語りとしての記載ではあってもそこは著者山根貞夫の検証が入っていると思いますので、その点は明記していた方がいいのではないでしょうか。
たしかに、普通のプロデューサーではなく、毎作品で現場に詰めて、脚本や、時には映画音楽にまで口を出したということですから、普通以上に力を持ったプロデューサーだったのでしょうし、実際それだけの働きをした人だったのでしょう。
それでも、映画には監督もいれば役者、それに多くのスタッフも関わってできる作品ですから、そのすべてを俊滕浩滋というプロデューサーが為したといわんばかりの言葉にはちょっとばかり引いてしまったのです。
ただ、この点に関しては、「映画というのは、・・・全員で相談して、絶対できるものではない。・・・映画は個性で引っ張っていって・・・つくりあげていゆくところに、面白さが出るんだと思う。」と本人が言い切っています。
それだけの強烈な自負心と情熱に裏打ちされた言葉であったと思われます。
とはいえ、数多くの映画製作にかかわり、大ヒット映画も数多く制作して映画界への貢献度もかなり高い人であるのは間違いのないことでしょう。
そうした客観性が欠けている作品であることを除けば、本書『任俠映画伝』は映画好きならばそこそこに面白く読める本といえるかもしれません。
今では七代目尾上菊五郎の妻になっていて、映画スターとしては藤純子と言っていた富司純子は俊滕浩滋の娘だというのはかなり昔から聞いていました。
父親が大プロデューサーで、その娘が映画界の大スターだというのですから見事なものです。
任侠映画の魅力は夢とロマンや、と言い切る俊滕浩滋姿は魅力的です。「私利私欲や打算を抜きにして男が命を懸ける、その純粋さが人の心を打つんだと思う。」と言い切っています。
また、任侠映画は悪役のキャスティングがかなめだとも言っています。「そのワルがワルをしなきゃならない何か、それをうまく出せるかどうか。そこが作品の魅力につながる」というのです。
先にも述べたように、映画作りは中心となる個性で引っ張っていくものだという考えなど、強烈な個性と自負心を持っておられた人なのでしょう。
ただ、一冊の映画関係の書物として見た場合、私の場合は今一つと言うしかない作品だったのです。