本書『皆勤の徒』は、独特の感性で書かれた、全四編の短編からなっている日本SF大賞を受賞した短編小説集です。もしかしたら中編といった方がいいかもしれない長さではあります。
有機的な質感を全編に漂わせた表題作「皆勤の徒」をはじめ、その独特な感性は読者を選ぶと思われ、事実、私は最後まで読み通すことができませんでした。
高さ100メートルの巨大な鉄柱が支える小さな甲板の上に、“会社”は建っていた。雇用主である社長は“人間”と呼ばれる不定形の大型生物だ。甲板上とそれを取り巻く泥土の海だけが語り手の世界であり、日々の勤めは平穏ではない―第2回創元SF短編賞受賞の表題作にはじまる全4編。奇怪な造語に彩られた異形の未来が読者の前に立ち現れる。日本SF大賞受賞作、待望の文庫化。(「BOOK」データベースより)
この本は、大多数の人は訳が分からずに投げ出すのではなかろうか、と思わせるそんな本です。なにせ、文章そのものが造語で成り立っており、その造語の意味も、また臓物感満載のその世界観にしても何の説明も無いのですから。
前述のように、私は最初の短編「皆勤の徒」の途中で投げ出してしまいました。
その後、あとがきを読んでみたのですが、すると驚くことに大森望氏の解説には「表題作を途中まで読んで挫折しそうになり、なんらかの助けを求めてこの解説のページを開いた人には、四作目の「百々似隊商」を先に読むことをお薦めする」とありました。
解説者の先見性というべきか、洞察力というべきか分かりませんが、その能力は大したもので、解説者の見越した通りの行動を私はとっていたことになります。
ということで、四作目の「百々似隊商」を先に読んで、表題作でもある一作目の「皆勤の徒」も読み終えました。そして、二作目の「洞(うつお)の街」を途中まで読み、やはり意味が分からなくなって止めてしまったのです。
解説には造語の意味も、世界観の解説もそれなりにしてあって、確かに実にSFらしいSFではあり、この設定を理解して読めばかなり面白い小説なのだろうな、という感じはあります。
不気味なこの世界の背景には良く練り上げられたSFの世界がきちんと構築されているらしいのです。
しかし、やはり造語の意味を現代の言葉で通るように変換しつつ読むというのは実に面倒であり、読み手がそうした努力を強いられる小説で良いのかという疑問にさらされることになりました。
まあ、こういう変換をしながら読むという行為自体が間違っていて、この作者の感性を受け入れていたら、こうした読み方はしないものでしょう。
でも、面白さの基準が「読んでいる間を幸せな時間と感じられるか否か」という基準で判断する私にとっては決して面白い小説ではありませんでした。
当初にも書いたように、読み手はかなり限定されると思います。表題作である「皆勤の徒」が第二回創元SF短編賞を受賞したこと自体、この物語の意味を汲み取ることのできる選者の頭の良さに感心するばかりです。
「SFにストーリーやキャラクター以上のものを求める読者にとっては、最大級の興奮が待っている。」らしいのですが、若い頃ならともかく、今の私にはとても無理でした。
ただ、本書『皆勤の徒』を最初に読んだ二千十四年から六年を経た二千二十年の現在、少々考えが変わってきていてもう一度読んでみたい気になっているのが不思議です。そのうちに再読してみましょう。