そして、バトンは渡された

血の繋がらない親の間をリレーされ、四回も名字が変わった森宮優子、十七歳。だが、彼女はいつも愛されていた。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作。(「BOOK」データベースより)

 

親子、家族の関係を改めて考えさせられる2019年本屋大賞を受賞した長編小説です。

 

本書の主人公は、森宮優子という高校三年生です。森宮優子こと「私」には、父親が三人、母親が二人いて、家族の形態は十七年間で七回も変わったという文言が、冒頭近くに出てきます。

最初の親は水戸秀平で、母親は早くに事故で亡くなっています。その後父親は梨花という女性と結婚しましたがブラジルへ転勤してしまい、日本に残った梨花と共に「私」も暮らすことになりますが、父とは連絡が取れないようになります。

その後梨花は「私」の実の父水戸秀平と別れて金持ちの泉ヶ原さんと結婚し、別れ、今の父親の森宮さんと結婚し、自分は出て行ってしまい、「私」は森宮さんと暮らしています。

しかし、そんな異常な状況にいる「私」ですが「自分は全然不幸ではない」のです。

 

本書の殆ど冒頭で、今の父親森宮さんとの会話の場面があります。実の父ではない男が、高校生の女の子と父親としての会話を繰り広げるのですが、この会話が普通ではありません。

娘は義理の父親に今度は意地悪な人と結婚してくれ、と言います。父親の森宮さんはそれを軽くいなしながら、娘が買っておいたプリンを二個とも食べてしまったことを、自分は本当の父親ではないのだから自分の食欲を抑えて娘に残しておくということができない、と悪びれることなく言うのです。

こうした会話の成立する小説を私は好みません。それは、いい人たちが互いに傷を舐め合いながらも平凡に生きていく姿を少女趣味的に描き出している、そんな小説だとの印象しかないのです。

事実、そうした先入観が最初の二十頁弱で形成されてしまいました。そして本書の中ほどまで持続します。

 

しかし、本書は本屋大賞ノミネート作品であり、多くの書店員の方の支持を得た作品です。単なる少女趣味の作品であるはずがなく、とりあえずは最後まで読んでみることとしました。

結果としては、さすがに本屋大賞候補(結果として受賞)になる作品です。あえて普通ではない状況を設け、「家族」や「親子」というものの本質を考え易くしている作品だと思えました。

 

そのうえで、なお個人的な好みからは外れる物語であると言うしかありません。

「私」こと優子があまりにもいい子であることに違和感を持ってしまいます。少しくらいは反抗期があってもいいし、なくてはおかしいと、天邪鬼の私などは思ってしまいました。

また、どの親も娘である私こと森宮優子に深い愛情をもって接していて、そのことを「私」も十分にわかっているからこそ「私は幸せ」だというのでしょうが、このこともできすぎだと思ってしまうのです。

 

確かにいい作品でしょう。しかし、私の好みとは異なる作品だとしか言いようがない、そういう作品でした。