白昼、渋谷のスクランブル交差点で爆弾テロ!二千個の鋼鉄球が一瞬のうちに多くの人生を奪った。新興宗教の教祖に死刑判決が下された直後だった。妻が獄中にいる複雑な事情を抱えた刑事鳴尾良輔は実行犯の照屋礼子を突きとめるが、彼女はかつて公安が教団に送り込んだ人物だった。迫真の野沢サスペンス。 (「BOOK」データベースより)
これまで多くの警察小説を読んできましたが、本書はその中でもかなり毛色の変わった警察小説だと思います。それは、物語の内容についてもそうなのですが、物語の構成も違うのです。警察小説というと推理小説になってしまいそうですが、そうではなく、犯人の心理を緻密に追いかけたサスペンスに満ちた物語です。
本書はその冒頭に明記してあるのですが、かつてわが国で社会問題になったある新興宗教を思わせる団体の信者で、教祖の死刑判決に合わせて渋谷での大量殺人行為を起こした罪で収監されている照屋礼子の手記の形をとっています。
物語の叙述そのものは第三者目線の客観的な描き方をしてあります。ところが、客観的な描写の中に記述者である犯人の主観が唐突にはいってきたりもしていて、読み手が若干混乱する場面もあります。少なくとも私はそうでした。第三者目線の描写に慣れていると、突然この物語は犯人の手記なんだと現実に引き戻されるのです。
また犯人の主観、内心の状態が緻密に描写されていながら、語り口はまるでレポートのようで、全体としては冷めた印象の叙述で貫かれているのですから、読み手の戸惑いは増すばかりです。ここらは作者の計算なのでしょう。
探偵役の鳴尾刑事は、渋谷のテロリストの捜査の過程で、獄中の妻の助けをうけながら犯人である照屋礼子に迫っていくのですが、その過程で新興宗教「メシア神道」の内実にも迫ることになります。それはつまりは公安の闇の部分にも迫ることになるという、これまたよくあると言ってもいい設定ではあるのです。
この過程が実にサスペンスフルな描写になっているのですが、今度は、鳴尾とその妻との関係が何となくあいまいに思えてきます。言わば犯人の主観で描かれているこの物語なので、鳴海とその妻との描写は薄くなるのも仕方ないのかもしれませんが、そのほかの個所では客観的な描写が徹底しているのですから、探偵役の二人の内心の描写が薄いのはとにかく残念でした。
途中で、樋口毅宏の『さらば雑司ケ谷』とその続編の『雑司ヶ谷R.I.P. 』という作品を思い浮かべていました。内容は全く異なる小説ですが、新興宗教をモチーフにその教祖の子供のエロスとバイオレンスたっぷりの漫画のような小説であり、本書とはその内容をかなり異にしますが、坂上輪水という新興宗教の教祖の内面を追い掛けているというその一点において似たものを感じたのでしょう。
『さらば雑司ケ谷』のほうは個人的には今一つと感じたのですが、本書はかなり好みにに近く、いくつかの不満点はあるものの一気に読み終えてしまいました。