みかづき

昭和36年。放課後の用務員室で子供たちに勉強を教えていた大島吾郎は、ある少女の母・千明に見込まれ、学習塾を開くことに。この決断が、何代にもわたる大島家の波瀾万丈の人生の幕開けとなる。二人は結婚し、娘も誕生。戦後のベビーブームや高度経済成長の時流に乗り、急速に塾は成長していくが…。第14回本屋大賞で2位となり、中央公論文芸賞を受賞した心揺さぶる大河小説、ついに文庫化。(「BOOK」データベースより)

 

「教育」をテーマとする、補習塾を舞台として繰り広げられる親子三代にわたる人生を感動的に描いた大河小説です。2016年度の本屋大賞にノミネートされました。

 

本書は、大島吾郎が自分が勉強を見ていたこの母親の赤坂千明と共に立ち上げた学習塾がどのような経緯をたどっていくかという企業小説にも似た面白さがまずあります。

それとともに、学習塾が軌道に乗るとともに一緒になった大島吾郎と赤坂千明という夫婦を中心にした家族の物語としての関心が更にあるのです。

そしてもう一点、ある意味では一番の関心事なのかもしれないのは、本書では現代の教育に対する仕組みの説明とともに、教育とは如何にあるべきかという皆の関心事が語られていることではないかと思います。

 

大島吾郎と千明の経営する塾の経営がうまくいき、塾が次第に大きくなるにつれ、吾郎と千明の教育方針の差異もまた大きくなり、それは押しの強い千明と人の良い吾郎との度重なる喧嘩へと結びついていきます。

そのことは同時に千明の連れ子であり、吾郎になつき、二人の結びつきの要でもあった蕗子が、仲違いする二人の間に挟まれる姿でもあります。

千明の為す文部省の導く教育に対する反発、また、吾郎の目指す全人格的な人間の成長をこそ目指す教育、二人の教育論は、塾の経営という次元の異なる要素も加わり、教育には直接的には関わってこなかった私には新たな観点の論争でした。

その後、二人には孫も生まれ、時代の流れにも翻弄されながらも生き続けていた二人の塾は何とか生き延びています。

 

このような物語の流れの中に、時代のもたらす「塾」についての考えや、国策としての教育が示され、塾というものを体験したことのない私に新たな視点をもたらしてくれる物語でもありました。

個々の児童の勉強を補ういわば補習塾である「学習塾」と、文字通り進学のための塾である「進学塾」との差異や、このような塾の存在の背景には国の教育政策があるという視点も知りませんでした。

 

また、戦後民主主義の理想に燃えた授業から、国策に沿った人材育成のための教育への転換があり、エリートを養成する教育へと変換していった歴史があります。

その流れの中で、一部の知的エリートの存在と、そのエリートの判断に従い、彼らの手足となって働く能力を持った労働者の存在さえあればいい、という「ゆとり教育」の本当の目的についてのお偉いさんの発言があったというのも事実だそうです。

国の基本を担う子供たちの教育について為されている論争の影にこうした現実があったことは、いかに私が無知であったを思い知らされることでもありました。

 

歴史的な事実としての国策としての教育政策についての論及などのある本書が、また、物語としての面白さをも十分に持っている小説だからこそ本屋大賞にノミネートされたのでしょう。

事実面白い小説でしたし、考えさせられる小説でした。