』とは

 

本書『首』は2019年12月に201頁のハードカバーで刊行された、長編の歴史小説です。

北野武の構想30年という歴史小説であり、映画化もされて評判もいいという話ですが、歴史小説としては今一つの印象でした。

 

』の簡単なあらすじ

 

羽柴秀吉と千利休に雇われ、謀反人と逃げ延びた敵を探す旅をしていた曾呂利新左衛門は、信長に反旗を翻し、有岡城から逃走する荒木村重を偶然捕らえた。この首の価値はいかに。曾呂利は、信長が狙う荒木村重の身柄を千利休に託すのだった。一方、丹波篠山の農民・茂助は、播磨へ向かう秀吉の軍勢を目撃し、戦で功を立てようと、雑兵に紛れ込むのだった。だが、思わぬ敵の襲撃が茂助の運命を狂わせていく──。信長、秀吉、光秀、家康を巻き込み、首を巡る戦国の饗宴が始まる。書き下ろし歴史長編。( 内容紹介(出版社より))

 

』の感想

 

本書『』は、本能寺の変の仕掛け人は秀吉だという説を採用した、独特のタッチの歴史小説です。

映画化が前提ではあるものの、北野武が書いた小説だということが一番の売りの作品でしょう。

 

個人的には一度は途中で読むのをやめたほどの作品でしたが、映画は見るつもりがあるので一応最後まで読んでみようという気持ちで読み終えたものの、小説としては評価できませんでした。

本書は小説ではなく脚本だと言われたほうが納得したでしょう。

ただ、私の感じた印象に反し、Amazonでの小説としての評価はあまり悪くはなさそうでした。

 

まず文章についてみると、戦国期を描いた歴史小説であるのに冒頭のプロローグの三頁だけで地の文も会話文も現代的で妙な違和感があります。

また、語り手である曾呂利新左衛門が関西弁であるのに対し秀吉は標準語であることや、いざ本編が始まっても地の文で「ムード歌謡」とか「トロイカ体制」などの現代用語が頻繁に出てくるのにもついて行けません。

次いで、ストーリーを見ても、荒木村重を探しに来た曾呂利新左衛門たちの前に当の荒木村重が飛び込んできて、チビやデカブツに簡単に取り押さえられてしまうのも都合がよすぎます。

ここまで冒頭から九頁ですが、すでに本書に対して強烈な拒否感を持ってしまったのです。

私は、ビートたけしとしての芸能活動も含めてかなりな北野武ファンだと思っていますが、この小説は受け入れることができませんでした。

頑張って読み進めはしたのですが、エンターテイメント小説として登場人物の心象への配慮も感じられないし、武将同士の相手を篭絡するための話し合いにしてもあまりにご都合主義的で受け入れがたいのです。

 

本書『』では、曽呂利新左衛門という男が秀吉に昔語りをする、という形式で物語は進んでいきます。

本能寺の変の背景という舞台設定ですから、登場人物も当時の織田信長羽柴秀吉徳川家康と言った武将たちがいるのは当然であり、加えて荒木村重千利休らが重要人物として登場します。

また、本書で独自に設けられたのが曽呂利新左衛門のボディーガード的な仲間のチビデカブツであり、さらに後に難波茂助になる百姓の茂助がいます。

この曽呂利新左衛門が秀吉の命を受け、歴史の裏側で活躍するのです。

 

先に、映画化が前提での作品だと書きましたが、先日、北野武の「首」がカンヌ映画祭でスタンディングオベーションを受けたというニュースに接しました。

監督はもちろん北野武であり、羽柴秀吉をビートたけしが演じ、織田信長を加瀬亮、明智光秀を西島秀俊が演じるなどの豪華な俳優陣がキャスティングされています。

 

 

 

ここまで書いてきて思ったのですが、映像はストーリーが簡単である方が映像として面白いという話はよく聞くところです。

ということで、本書は文字通り脚本的な存在として読むべきなのかもしれません。だとすれば、ストーリーが単純で、ある程度のご都合主義であることも許容すべきなのでしょう。

とはいえ、本書に感じた私の印象はやはり好転するものではなく、小説としては評価できないというのが結論です。

でも、予告編を見る限りは映画は面白そうです。楽しみに待ちたいと思います。