紅子

1944年満州。馬賊の城塞に、関東軍の偵察機が突っ込んでくる。冷徹な首領、黄尚炎たちは、パイロットが絶世の美女であることに驚く。その女、吉永紅子は、子供たちを救出したいがために、荒くれ男たちのいるこの谷へ女一人で飛び込んできたという。尚炎は、この女は肝が据わっているのではなく、馬鹿なのだと呆れる。関東軍特務機関の黒磯国芳少佐は、吉永紅子が嫌いだ。甘粕正彦に可愛がられ、やりたい放題する紅子を憎いとさえ思っている。無茶で破天荒な女に翻弄される、馬賊の頭領と関東軍将校。一方、甘粕が隠匿する金塊を狙う輩たち。騙し騙され欲望が渦巻く、サスペンスフルな冒険譚。(「BOOK」データベースより)

 

満洲映画協会理事長でもあった甘粕正彦らのいる満州を舞台に馬賊らが駆け巡る、荒唐無稽な長編の冒険小説です。

少々物語が平板な印象はあり、もろ手を挙げてお勧めできる作品とまではいかないものの、それなりの面白さを持った作品でした。

 

物語が平板と書いたのは、文字通りに物語を全体としてみたときにメリハリが少ない、つまりは山場とそれ以外の場面とでの差が感じにくいということです。

主人公の吉永紅子や、こちらも実質的な主人とも言える黄尚炎らが、この物語の発端となる子供たちの救出劇を経て、紅子と共に行動することになります。

そして紅子の信奉者であり、満洲映画協会理事長でもあった甘粕正彦の隠匿した金塊を巡る馬賊らの攻防に巻き込まれていくのです。

そうした馬賊の関東軍本部への侵入や馬賊同士の戦いなどの出来事が紅子を軸として描かれているのですが、個々の出来事が同列に近い描かれ方をしているために平板に感じられるのだと思います。

 

そうした平板に感じられる物語の流れの中で、紅子自身も、助け出した子供たちが住む村から裏切られ、他の馬賊に売られたり、尚炎の姉の華雷からひどい仕打ちを受けたりもします。

そんな紅子自身に対する出来事でさえも物語の流れの中で並列的に感じられてしまうことは少々残念でした。

ただ、紅子というキャラクターの持つ生来の明るさと正義感は、そうした苦労をも吹き飛ばしてしまうほどのものでもあり、少々戸惑うキャラクター設定ではあるものの、作者自身が言うコミックノベルとしては許容範囲だと思われます。

 

ただ、物語自体は黄尚炎や黒磯国芳といった人物が中心になって動きます。タイトルにもなっている「紅子」すなわち吉永紅子は彼らに予想外の行動をさせることになる元凶としてのキーパーソンなのです。

ここで主要登場人物としての黄尚炎とは、中国土着の民間防衛組織である黄威(ホアンウエイ)という名の保衛団の首領、即ち攬把です。

またもう一方の主要人物の黒磯国芳とは関東軍特務機関少佐であって、何故か甘粕正彦に気に入られ、黄尚炎や紅子らとのかかわりを持つことになります。

 

本書には甘粕事件で名の知られた甘粕正彦をはじめとする歴史上実在した人物の登場しますが、見知った名前が登場するのはやはりうれしいものです。

ここで甘粕事件とは、ウィキペディアによりますと、

関東大震災直後の1923年(大正12年)9月16日、アナキスト(社会主義思想家)の大杉栄と作家で内縁の妻伊藤野枝、大杉の甥橘宗一(6歳)の3名が不意に憲兵隊特高課に連行されて、憲兵隊司令部で憲兵によって扼殺され、遺体が井戸に遺棄された事件である。被害者の名前から大杉事件ともいう。( ウィキペディア : 参照 )

とありました。

 

この甘粕正彦という人物は、一般的には上記の甘粕事件のこともあって悪魔的な非道な人物として描かれることが多いのですが、一方で才能豊かな逸材として描かれている作品もあります。

とはいっても小説では無く、ドラマ化もされたベストセラーコミックである『仁(じん)』を描いた村上もとかという作者の『龍(ロン)』というコミックです。

剣道に邁進していた主人公が大陸に渡るエピソードのなか、彼の想い人もまた大陸で女優として育っていたという話です。物語の舞台の一つとして満州映画が登場し、そこに甘粕正彦も多面的な才人として登場します。

他に小説でも甘粕正彦に触れた作品があったと思うのですが、どうにも思い出せないので、思い出したら追記します。

 

 

他に懐かしい名前として「小日向白郎」という人物も名前だけですが登場します。日本人ながら満州の馬賊の頭領として頭角を現した実在の人物です。

この点で思い出すのは、女優檀ふみの父君でもある作家檀一雄の『夕日と拳銃』(角川文庫 上下二巻)という小説を原作とする、同名のテレビドラマです。中国大陸の馬賊を主人公とする物語でした。

この小説は、満蒙独立運動に身を挺したという伊達順之助という実在の人物をモデルにした冒険小説で、残念ながら私は未読です。ただ、テレビドラマは幼心にも面白いドラマであり、胸おどらせて見た記憶があります。

 

 

 

そもそも「馬賊」とは、

騎馬の機動力を生かして荒し回る賊。清末から満洲国期に満洲周辺で活動していた、いわゆる満洲馬賊が有名。( ウィキペディア : 参照 )

なのだそうです。

私の幼いころはまだ広大な満州を舞台に駆け巡る馬賊などの話が残っていたように覚えています。

 

繰り返しますが、本書はそんな馬賊が活躍する日中戦争が始まるころの中国満州を舞台に展開される荒唐無稽な冒険譚です。

主人公である吉永紅子の正義感に満ちた、しかし無邪気で奔放すぎる行動に馬賊の首領である攬把の尚炎らが振り回され、何度も死線をさまようことになります。

本書は作者自身も言うようなコミックノベルであり、シリアスな冒険小説とは異なります。そうしたことを前提として認識していないと、紅子という女性の多面的な性格に振り回されてしまいそうです。