空也十番勝負シリーズ

空也十番勝負シリーズ(2024年02月01日現在)

  1. 青春篇 声なき蝉(上・下巻)
  2. 青春篇 恨み残さじ
  3. 青春篇 剣と十字架
  4. 青春篇 異郷のぞみし
  5. 青春篇 未だ行ならず(上・下巻)
  1. 異変ありや
  2. 風に訊け
  3. 名乗らじ
  4. 荒ぶるや
  5. 奔れ、空也

 

このシリーズは、2016年1月に完結した人気シリーズ『居眠り磐音 江戸双紙シリーズ』の続編と言ってもいいシリーズでしょう。

居眠り磐音 江戸双紙シリーズ』の主人公の坂崎磐音の嫡子である空也を主人公とし、空也の武者修行の様子が描かれています。

 

空也シリーズの第一弾目の『声なき蝉(上・下)』の「あとがき」に、著者佐伯泰英氏の父親の故郷が熊本県球磨郡だとありました。

本シリーズが、まずは熊本県の南部にある今の人吉市あたりから鹿児島に入り、薩摩を舞台としていること、第二巻の『恨み残さじ』はまさに球磨郡五木村あたりを舞台としていることに納得がいったものです。

この人吉には「タイ捨流」という新陰流の流れをくむ流派があります。この流派は上泉伊勢守秀綱の弟子丸目蔵人佐を始祖とする流派であり、本シリーズにも空也が世話になる「丸目道場」として登場しています。

 

本シリーズは青春小説としての色合いよりも、この佐伯泰英という作者による金杉惣三郎とその子清之助とを主人公とする『密命シリーズ』に似ているかもしれません。

まだ数巻しか読んでいないので確たることは言えないのですが、『密命シリーズ』の金杉惣三郎・清之助親子は剣の道にストイックに邁進する剣豪小説そのものと言ってもいいと思われますが、本シリーズは同じ剣豪ものでも少し色合いが異なるようです。

やはり、空也の成長がメインであり青春小説の側面が強く、それに磐根も身を引いたわけではなく『居眠り磐音シリーズ』の登場人物も顔を見せていますので、より庶民的な印象があると思われます。

 

 

いずれにしても、『居眠り磐音シリーズ』のあとを継ぐにふさわしいシリーズだと思われます。

 

ちなみに、『空也十番勝負シリーズ』の第五弾『青春篇 未だ行ならず(上・下巻)』をもって、「青春篇完結!」という表示がありました。

第五弾の『青春篇 未だ行ならず(上・下巻)』が五番勝負ですので、『空也十番勝負シリーズ』の中の「青春篇」が終わるのだろうとは思いますが、この後どのような展開になるものか、ただ、楽しみに待つだけです。

 

追記:

ところが、実際に2023年5月に『奔れ、空也 空也十番勝負(十)』まで刊行され、『空也十番勝負シリーズ』も無事完結しています。

それどころか、『奔れ、空也 空也十番勝負(十)』の「あとがき」で、著者佐伯泰英氏自身が『磐根残日録』を書きたいとの思いがあると書いておられます。

ということは、『居眠り磐音シリーズ』も完結せずに続行すると思ってよさそうで、楽しみに待ちたいと思います。

夢三夜 新・酔いどれ小籐次(八)

正月。小籐次は望外川荘で新年の膳を囲んだほか、おりょうの実家に駿太郎も連れて挨拶に行き、さらには久慈屋でも祝い酒を頂戴するなど宴席続きだった。そんな中、昨年来、同行を求められている伊勢参りについて昌右衛門と相談したが、どうも昌右衛門の歯切れが悪い。なにか悩みか、心に秘めたものがあるようだ。
一方、年末年始に立て続けに掏摸を捕まえた駿太郎は、奉行所から褒美をもらうことになった。駿太郎とともに招かれた小籐次は、面倒ながらも町奉行と面会し、帆船の絵本と眼鏡を贈られた。
そんな折、小籐次は望外川荘で何者かに襲われた。小籐次は難なく撃退し、その刺客の腕を惜しんで手加減したが、刺客は口封じのため雇い主の矢に射抜かれて死んだ。しかも、その矢を見たおりょうが驚愕の声を発した。なんと、刺客の雇い主とはおりょうの実兄だったのだ。おりょうの兄は、なぜ小籐次を狙うのか。そしてその結末は――。(「BOOK」データベースより)

新・酔いどれ小籐次シリーズの第八弾です。

 

以下は簡単なあらすじです。

第一章 宴続き
文政八年(1825年)の年も明けた。俊太郎は初稽古に来た創玄一郎太や田淵代五郎とともに弘福寺の道場で稽古をしており、目覚めた小籐次もそこに現れ稽古をつけるのだった。

おりょうは、実家の北村家への年賀について、自分とは仲が悪い六歳年長の兄靖之丞が、小籐次や俊太郎に不快な思いをさせるのではと案じていいた。実際、翌二日に北村家を辞する際、靖之丞と入れ違いになった折、研ぎ屋風情の亭主を伴い、訪れてはならぬ、と言い放つのだった。

第二章 年始回り
久慈屋への年賀の折、話の出ていたお伊勢参りの同行は手代の国三だけでいいということになる。その後新兵衛長屋に寄り、お夕を連れて望外川荘へと帰った小籐次達だった。翌日、皆で浅草寺へ初詣に出かけた折り、またも晴れ着を切り、騒ぎを起こす掏摸を捕まえる俊太郎だった。、

第三章 新兵衛の風邪
初仕事に出た小籐次とお夕を待っていたのは、新兵衛が高熱を発し寝込んでいたことで、久慈屋では、昌右衛門が伊勢から帰ると隠居するという話も決まっていた。また小籐次には、俊太郎の働きに対する褒美のため奉行所へ来るようにとの連絡があった。

第四章 異国の眼鏡
後日、小籐次は俊太郎、おりょうと共に南町奉行筒井和泉守政憲のもとへと行く。和泉守は小籐次に異国性の眼鏡を渡すのだった。ところが、望外川荘へ帰った小籐次らを待っていたのは三人の浪人者だった。

第五章 夢か現か。
久慈屋で仕事をする小籐次のもとに、北村家からの呼び出しがあった。行ってみると北村瞬藍は呼んでないという。そのころ、おりょうも俊太郎を伴い板村家へと向かっていた。

 

このシリーズを読んでいてあらためて思うことは、このシリーズが小籐次の日常を描くことで成立している作品だということです。

例えばこの作者の『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』の場合は、当初は市井の磐根の暮らしを描いていたのですが、そのうちに田沼意次という強大な権力者との闘いに身を置く磐根の姿が描かれるようになります。

このように、巨大な「悪」と戦う主人公という図式が痛快小説のシリーズ物としては作品を描きやすいでしょうし、読み手もパターン化された物語の流れに安心感を持てるようです。

 

しかし、本書の場合はそうではなく、小籐次の日常こそが物語の骨子になっています。小籐次に日常が面白いという珍しいキャラクターになっているのです。

もちろん、小籐次には幕府老中の青山忠裕のような権力側の大物や、また久慈屋のような大店の実力者がついていて、いざという時は彼らが助けてくれるという安心感もあります。

だからこそ、上記のあらすじも書いていいのではないかと、書いてもネタバレにはならないのではないかと思った次第です。

 

痛快小説の基本はきっちりと押さえたうえでの小籐次のキャラクターです。剣を取っては一藩を相手にしても引かないというその男気が、おりょうという想い人を得、江戸の民にも受け、そしてこのシリーズの読者にも受けていると思われます。

大晦り 新・酔いどれ小籐次(七)

落馬して打撲傷を負った小籐次は、久慈屋夫妻、おりょうとともに熱海に湯治に行ったことで恢復し、以前と変わらぬ生活を送れるようになっていた。
そんなある日、瀬戸物町で火事騒ぎが起こり、そのさなかに料理茶屋の娘が行方知れずになった。そもそも火事騒ぎはどうやら付け火で、焼け跡から二人の男の焼死体が出ており、男たちは御庭番だという。火をつけた上に金を盗む賊徒たちを追って、逆に殺されたようだ。そして行方知れずの娘は、その現場を目撃したことで攫われたのかもしれないという。
町奉行所も火付盗賊改も御庭番を殺した賊徒の探索を優先しており、行方知れずの娘には関心がない。老中・青山の意を受けたおしんに口説かれ、小籐次は娘の救出に乗り出す。その結果、小籐次は〝陰の者〟たちと死闘を繰り広げることになった――。
新シリーズ書き下ろし、第7弾。 (「BOOK」データベースより)

 

新・酔いどれ小籐次シリーズの第七巻の痛快長編時代小説です。

 

師走のある日、瀬戸物町での出火跡から、喉を断ち切られた二人のお庭番の焼死体が見つかる。密偵おしんに連れられその焼け跡へと赴いた小籐次だったが、九十年前の八代将軍吉宗の時代に由来するといわれる現在のお庭番十九家の表面的な来歴しか教えてくれない。

おしんや中田新八が仕える老中青山忠裕にこの事件の詳しい話を聞いた小籐次は、この火事の後行方不明となっている一人の娘がいると聞き立ち上がるのだった。

 

本書のストーリーは単純です。

きっかけは一件の火事ですが、そこで一人の娘が行方不明になり、その娘を助けるために小籐次が活躍する、それだけです。ただ、この事件の背景に老中をも巻き込んだ隠された事情があったというのです。

映画やドラマ、それに小説も含め、面白い物語というものは、基本となる物語の流れは単純であって、その単純な物語にいかに肉付けがなされているかにかかわってくる気がします。

その言う意味では、本書は典型的な面白さを持った物語だといえます。単純に一人の娘を助けるそのことにひたすら突き進む小籐次の姿があり、そこに八代将軍吉宗由来のお庭番などの伝記小説的な色合いが付加されているのです。

 

まあ、もともとこのシリーズのファンである私の感想なので多分に割り引いてもらわないといけないかもしれませんが、面白い作品として仕上がっていると思います。

浅き夢みし: 吉原裏同心抄

鎌倉の旅から帰った幹次郎らは、玉藻と正三郎の祝言を数日後に控え、忙しい日常に戻る。麻のための離れ家も着々と完成に近づき、祝いの空気が流れる秋。しかし幹次郎は、吉原が公儀から得た唯一無二の御免状「吉原五箇条遺文」が狙われていると直感していた。襲撃される幹次郎と汀女。張り巡らされる謀略と罠。新吉原遊廓の存続を懸けた戦いが、再び幕を明ける! (「BOOK」データベースより)

 

吉原裏同心新シリーズの第二弾です。

 

加門麻と共に行った鎌倉への旅も終り、麻も幹次郎や汀女との土居生活にも慣れてきており、麻のための別棟の建築も進んでいます。再び吉原での日常が始まった幹次郎らでした。

しかしその吉原では、対外的には鎌倉での「吉原五箇条遺文」をめぐる一件が待ち構えており、また吉原の中では麻が薄墨と名乗っていた頃可愛がっていた桜季の問題があって、更には祝い事の玉藻と庄三郎の祝言があり、やるべきことが待ち構えているのです。

そうした中、江戸町にある萬亀楼の長男が絞殺されていたことを知った幹次郎は、南町奉行所定廻り同心の桑平市松に、事件の詳細を調べてもらうのでした。

 

吉原の「吉原五箇条遺文」に絡んだ事件が起きますが、その事件が子のシリーズでの今後の展開にどのように繋がっていくものか、吉原に敵対する者たちがどのような巨大な勢力につながるのか、など不明なことばかりです。

今後のこの物語に「吉原五箇条遺文」がどのように関わってくるのかも勿論分かりません。しかし、この新しいシリーズの核となって物語を進めていく役割を果たすのではないかと思われます。

また、加門麻の新しい生活がどのように変化していくものかも関心事になると思われます。幹次郎と汀女との共同生活ではあっても、新しい住まいを得ることでもあり、麻の生まれ変わった人生が語られていくことでしょう。

汀女も玉藻の代わりに店を切り盛りしていることでもあり、それなりに忙しい生活を続けています。

彼ら三人の吉原との繋がりは改めて深くなっていくのでしょう。そこに、吉原の存続に関わる事件が起きて、幹次郎の活躍があり、その陰で汀女と麻が関わってくる、そうした流れになるのだろうと普通に考えます。

 

とはいえ、今のままでは新シリーズになった意味がそれほどには感じられません。ただ、麻が吉原の外に出ただけ、ということにもなりかねません。

新しいシリーズにふさわしい展開を期待したいものです。

旅立ちぬ: 吉原裏同心抄

幼馴染の汀女とともに故郷の豊後岡藩を出奔し、江戸・吉原に流れ着いた神守幹次郎は、剣の腕を見込まれ、廓の用心棒「吉原裏同心」となった。時は流れ、花魁・薄墨太夫が自由の身となり、幹次郎は汀女、薄墨改め加門麻との三人で新しい生活を始める。幼い頃に母と訪ねた鎌倉を再訪したいと願う麻に応え、幹次郎らは鎌倉へ向かう。旅からはじまる新しい物語、開幕。 (「BOOK」データベースより)

シリーズも新しくなり名称も「吉原裏同心抄」となった、吉原裏同心新シリーズの第一弾です。

 

汀女と共に吉原に拾われ、吉原のために働いてきた夫婦が、新しい家族を得、三人として吉原と共に生きてゆく物語が始まりました。

新しいシリーズの第一弾は、加門麻の新しい人生の門出に、幼い頃の記憶をたどり母と行った鎌倉へ行ってみたいとの麻の望みに応えて汀女との三人での旅にでます。

ただ、その前に今の吉原で起きている事件を片付ける必要がありました。一つは吉原にある四か所の社の賽銭泥棒であり、もう一つは麻が薄墨時代に可愛がっていて今は新造になったばかりの桜木の様子が気にかかるということでした。

賽銭泥棒は廓外で世話になっている同心の桑平市松の力を借りて事件を解決し、桜季の異変は桜季の姉の死の原因について噂を吹き込んだ人物いたことを突き止め、これをもまた一応の解決を見ます。

やっと鎌倉へと旅立った三人でしたが、そこでも三人を監視する目がつきまとい、館蔵においてもちょっとした事件が待っているのです。

 

新シリーズとなり、新たな物語の門出、ということになりますが、物語としてはそれほどに変わったところはありません。

ただ、薄墨改め加門麻が神守幹次郎と汀女の住む柘榴庵に共に住むことになったことが変化ではあります。しかし、物語の流れとしてみると変化はないと言っていいと思われます。

「旅からはじまる新しい物語、開幕。」という惹句ではありますが、本書を読む限りでは新しい物語とは言えないようです。今後の展開を期待していようと思います。

流鶯: 吉原裏同心(二十五)

吉原会所に突然、「裏同心」を希望する女性が現れた。十八歳と若い「女裏同心」に戸惑う吉原裏同心の神守幹次郎と会所の面々。一方、札差の伊勢亀半右衛門が重篤な病に罹り、幹次郎は遺言を託される。遺言には、薄墨太夫にかかわる衝撃の内容が書かれていた―。薄墨太夫、幹次郎、汀女にとって大きな転機となる内容とは何か。シリーズ最大の山場が待つ第二十五弾! (「BOOK」データベースより)

吉原裏同心シリーズの第二十四弾です。

 

吉原の「裏同心」になりたいと一人の娘が吉原会所に現れます。名を嶋村澄乃といい十八歳になるその娘は、父親の嶋村兵右衛門が亡きあと、父親と付き合いのあった吉原会所七代目頭取である四郎兵衛を頼って現れたのでした。

とりあえずは見習いとして幹次郎の仕事ぶりを学ぶ澄乃ですが、吉原のことを何も知らない澄乃にとって、吉原の日々は驚くことばかりです。

一方、薄墨太夫の贔屓筋である札差の伊勢亀半右衛門が重い病にかかり、幹次郎は薄墨太夫のこれからにかかわる重要な事柄が記された遺言を託されるのでした。

 

本書は、このところマンネリ感があり、新シリーズへの移行を心待ちにしていたのですが、本巻を持ってこのシリーズの一応の決着を見ることになりました。

だからなのか、本書は久しぶりにインパクトのある物語でした。と言っても、幹次郎の見せる剣戟の場面が多いなどの痛快場面が盛りだくさんというわけではなく、幹次郎の活躍の場面という点では逆に少ないとさえ言えます。

それよりも、新しい裏同心の登場や、薄墨の身分に大きな変化があるなどのストーリー上の新展開がこれまでとは異なる心地よさをもたらしてくれたと思われます。

幹次郎は、札差筆頭行司という高い地位にある伊勢亀半右衛門の最後に立ち合うことになり、その後は半右衛門の息子である千太郎とも知己を得ることになります。こうして江戸の大商人とも繋がりを得、薄墨太夫の今後の生き方にも大きく関わってくるのですが、こうした流れは吉原を舞台にした人情話にも似た雰囲気を醸し出しています。

 

新裏同心が若干十八歳の澄乃という娘であることから、今後の澄乃の成長が描かれるであろうし、澄乃の活躍も期待していいのでしょう。また、薄墨太夫の運命も大きく変動していくことは、今後のこのシリーズの性格も変わってくることと思われます。

次巻からは、新シリーズとしての新展開を期待したいものです。

らくだ 新・酔いどれ小籐次 (六)

江戸っ子に大人気のらくだの見世物。駿太郎にせがまれて、小籐次もおりょうやお夕一家とともに見物に出向いた。そのらくだが二頭、何者かに盗まれたうえに身代金を要求された!興行主に泣きつかれた小籐次はらくだ探しに奔走するが、思いがけず己の“老い”に直面する事態となる。新たな局面を迎える、好評シリーズ第6弾!(「BOOK」データベースより)

新・酔いどれ小籐次シリーズの第六巻となる長編の痛快時代小説です。

 

今巷では両国広小路の“らくだ”なる珍しい見世物が話題になっているらしく、それを見に行きたいという駿太郎やおりょうの願いに応え、皆で見に行くことになります。元厩番だったからなのか、らくだになつかれていた小藤次たちでした。

後日、月二回の豊後森藩の剣術指南役としての役務を終えた小藤次には、帰りに寄った久慈屋で、大旦那の晶右衛門からお伊勢参りに同道して欲しいとの話が持ち上がります。

そこに、二頭のらくだが盗まれたとの話がもたらされ、興行元である藤岡屋から、らくだがなついていた小藤次なら探せると、らくだの探索を頼まれます。

らくだが寝泊まりしていた小梅村の農家を訪ねると、二百両を払えとの手紙が見つかります。大坂かららくだの世話をしてきた二人が怪しいとにらむものの、二人はもう帰ってしまったといいます。こうなれば、らくだの餌が大量にいるだろうし、野菜を仕入れる先から見当をつけようとする小藤次たちでした。

 

今回の小藤次は江戸では珍しい“らくだ”の盗難騒ぎに巻き込まれます。

その際、駿太郎がクロスケを連れ、らくだの匂いの後をたどるため、横川沿いに探索に出て、近所で野菜が盗まれている一角にらくだが隠されている農家を見つけるなど、いつものシリーズ内容とは少々異なり、ほのぼのとした雰囲気の漂う一編となっています。

また、特別に小藤次の魅力が発揮された一編だとは言えないかもしれませんが、駿太郎の見つけた“らくだ”を盗み出した一味を捕縛するために向かった際に落馬して腰を強打するなど、小藤次の老いを感じさせる場面も用意してあり、シリーズ内での小藤次の立ち位置が若干変わってきた一冊でもあるようです。

とは言え、あくまでスーパーマンである小藤次の魅力そのものは健在であり、駿太郎の成長とあわせ、心地よい読み物であることに間違いはなさそうです。

始末: 吉原裏同心(二十四)

地廻りと呼ばれ、吉原の妓楼に上がらず素見をする一人の男の骸が切見世で見つかった。探索を始めた吉原裏同心・神守幹次郎は、下手人を川越に追う。一方、番方に女の子が生まれて沸く会所だが、突如現われた「倅」に悩む会所の七代目頭取四郎兵衛。「秘密」を打ちあけられた幹次郎は自ら動くが―。テレビドラマ原作となった人気シリーズ、待望の第二十四弾!(「BOOK」データベースより)

吉原裏同心シリーズの第二十四弾です。

吉原の羅生門河岸の切り見世のおこうの部屋で見つかった地廻りは吝嗇で知られており、如何に下級女郎の羅生門河岸であっても見世に上がること自体が不自然でした。

探索を続けていくと、行方が分からなくなっているおこうの足抜けに利用されている可能性が強まります。幹次郎らはおこうの故郷である川越へと探索の手を伸ばすのでした。

この川越行きは、「飛切船」と呼ばれる超特急の高級魚用荷運船の川を遡る様子、それに川越という土地の情景描写など、読み手である私にとって初めての事柄が多く、その点でも興味を引かれることがありました。

また本来の目的であるおこうの行方の消息という捕物帳的な興味も勿論あり、それなりに惹きこまれます。

一方、子供が生まれるために今回は留守番となった番方仙右衛門の様子や、吉原会所七代目頭取の四郎兵衛の娘である玉藻につきまとう弟と称する男の影も明確になったりと、結構盛りだくさんです。

このシリーズも若干のマンネリ感を感じ始めていたところ、シリーズの新しい世界へ移行することになり、余すところあと一巻となりました。その後の展開を楽しみに、残り一巻を読みたいと思います。

狐舞: 吉原裏同心(二十三)

吉原裏同心の神守幹次郎に、かつて出奔した豊後岡藩から復藩の話が舞い込む。突然の話に訝る幹次郎だったが、そんな折り、吉原に出店を持つ呉服屋の主が殺された。探索を続けるや、名門旗本の存在がちらつき、背後には吉原乗っ取りを狙う新たな企てが浮かび上げる。難問山積の幹次郎はかつてない大捕物に豪剣で立ち向かう―。超人気シリーズ、待望の第二十三弾。(「BOOK」データベースより)

吉原裏同心シリーズの第二十三弾です。

日本橋の呉服商である島原屋の出店が吉原にあり、そこの番頭である繁蔵の娘お縫が襲われるという事件が起きます。調べると、繁蔵は病に冒されていて、店もやめさせられようとしていました。島原屋はあるじの喜佐衛門が賭け事にはまり、使用人の給金にも手をつけているらしいのですが、ある日殺されてしまいます。幹次郎は、南町奉行所定廻り同心桑平市松とも相談し、繁蔵親子を助けようとするのでした。

本書の時代背景として、松平定信の施策として知られる寛政の改革による緊縮財政策があり、そのあおりで生じた不景気の波をもろにかぶっている吉原があります。

火の消えたようになっている吉原を舞台に、全くの捕物帳であった前巻とは異なり、本書では、吉原乗っ取りに絡む新たな事件の解決に走り回る幹次郎、そして吉原会所の番方仙右衛門の姿が描かれています。

また、幹次郎自身の豊後岡藩への復帰の話もあり、吉原会所七代目頭取の四郎兵衛の娘である玉藻に男の影が感じられたりと、話題には事欠きません。

このように、吉原裏同心としての吉原内部での事件の解決、という役務も当然のことですが、幹次郎の個人的な事柄に関しても、復藩の誘いがあったり、花魁の薄墨との関係にも若干の変化が見えたりと、新たな展開を感じさせるものになっています。

勿論、当たり前のことではありますが幹次郎の剣戟の場面もちゃんと用意してあり、読み応えのある物語として仕上がっています。

本シリーズも余すところあと二巻で終わり、新たなシリーズへと移っていくことになっています。その新たなシリーズにも薄墨が登場するようで、どのような展開になるものなのか今から期待が増してきています。

夢幻: 吉原裏同心(二十二)

さまざまな人生が交錯する吉原。その吉原で生計をたてていた按摩の孫市が殺害された。探索に乗り出した吉原会所の裏同心・神守幹次郎は調べを進めるうち、孫市の不遇な生い立ちと、秘めていた哀しき夢を知る。孫市の夢を幻にした下手人とはいったい―。ようやく追い詰めた下手人に幹次郎が怒りの一刀を放つ!ドラマ化された人気シリーズ、待望の第二十二弾。(「BOOK」データベースより)

吉原裏同心シリーズ第二十二弾です。

吉原の内部にある天女池の近くで孫市という名の按摩が殺されるという事件が起きます。吉原の裏同心である神守幹次郎も吉原会所の人間と共に現場に駆けつけますが、そこでかすかに鬢付け油の香りを感じとります。

孫市は何故に吉原で生計を立てていたのか、孫市の生い立ちからを調べていくと、ささやかな夢を持って生きていた孫市の姿があるのと同時に、一人の男の存在が浮かびあがるのでした。必死に生きていた孫市を、そのささやかな夢も共に奪い取ってしまった男を捜し出し、捕縛するために探索を続ける幹次郎であり、番方らだったのです。

こうして捕物帳として見ると、それなりの面白さを持っている物語だと言えるのでしょう。しかしながら、吉原裏同心シリーズとして見た場合、幹次郎の物語ではなく他の誰であっても十分に成立する物語であったのです。

可もなく不可もない、普通の捕物帳としての面白さを持った物語であって、決してそれ以上のものではありませんでした。

どうも、この吉原裏同心の物語については、この頃似たような後ろ向きの感想しか持てなくなってきたようです。何らかのてこ入れを期待したいものです。