初詣で 照降町四季(一)

本書『初詣で 照降町四季(一)』は、佐伯泰英の新たなるシリーズ作品、文庫本で325頁という長さの長編の痛快人情時代小説です。

出戻りの佳乃という女職人の姿を描き出した、佐伯泰英節が十二分に楽しめる人情小説として仕上がっている作品です。

 

初詣で 照降町四季(一)』の簡単なあらすじ

Amazon などで書かれている書籍紹介文が十分なので、簡単なあらすじに代えさせてもらいます。

 

日本橋の近く、傘や下駄問屋が多く集まる町・照降町に「鼻緒屋」の娘・佳乃が三年ぶりに出戻ってきた―― 
著者初・江戸の女性職人が主役の書下ろし新作<全四巻>スタート!

1巻「初詣で」内容
 
文政11年暮れ。雪の降る中、18で男と駆け落ちした鼻緒屋の娘・佳乃が三年ぶりに照降町に戻ってきた。
懐かしい荒布橋(あらめばし)を渡り、町の入り口に立つ梅の木を、万感の思いで見上げる佳乃。
実家の鼻緒屋では、父が病に伏せっており、九州の小藩の脱藩武士・周五郎を見習いとして受け入れていた。

父にかわり、職人として鼻緒挿げの腕を磨く佳乃は、
新鮮なアイデアを出して老舗の下駄問屋の宮田屋に認められ、吉原の花魁・梅香からも注文を受ける。

自分を受け入れてくれた町に恩返しをすべく、日々を懸命に生きる佳乃だったが、駆け落ちの相手・三郎次が
あとを追ってきて――

「己丑の大火」前夜の町と人々を通して描く、知恵と勇気の感動ストーリー。(「書籍紹介」より

 

初詣で 照降町四季(一)』の感想

 

本書『初詣で 照降町四季(一)』の舞台となった「照降町」とは、日本橋近くの魚河岸の西にある、雨の日の傘、晴れの日の雪駄、下駄を売る店が多いところから「照降町」と呼ばれていた町を舞台とする話です。

この町は実在した町で( コトバンク : 参照 )、他の小説の舞台にもなったことがあるため、その作品で町の名前だけは知っていました。

その作品が今井絵美子の角川文庫で全五巻の作品で『照降町自身番書役日誌シリーズ』といいます。

もと武家の喜三次は照降町で自身番書役を務めながら、家族のように助け合って生きている照降町に暮らす人たちの人間模様を情感豊か描き出す人情時代小説シリーズです。

 

 

本書『初詣で 照降町四季(一)』は、三年前に三郎次という遊び人に騙されて駆け落ちをした佳乃が、目が覚めて三郎次から逃げ出して照降町へと戻ってきたところから始まります。

佳乃の父親弥兵衛は下駄や草履の鼻緒を挿(す)げることを生業とする職人で、佳乃はこの仕事を継ぐことになります。

このような鼻緒を挿げる職業が実際に存在したのかどうかはちょっと調べただけでは分かりませんでした。

今では下駄や草履をはく人もあまりおらず、鼻緒を挿げることや挿げ替えることもできない人が殆どでしょうが、それほど難しいことだとは思えず、職業として成立するものかわからなかったのです。

でも、ちょっと調べるだけで下記のようなのようなサイトが見つかりました。

 

読んでみると、私が思うほど簡単な作業ではなさそうです。本当に履きやすい鼻緒を挿げることは実はかなり難しいものだと思えます。

とすれば、本書の弥兵衛や佳乃のような職人がいてもおかしくはない、と思えるようになりました。

 

ところで、佳乃の実家には八頭司周五郎という浪人が手伝いとして雇われていました。

この八頭司周五郎が訳ありの人物で、佳乃を追いかけてきた三郎次を手もなくやっつけてしまうほどの腕を持っています。

見方によっては、八頭司周五郎の存在することで結局は活劇場面が見どころとなり、ほかの佐伯作品との差異がなくなってきているということも言えるかと思います。

例えば、本書の終わり近くでの吉原会所での出来事は、佐伯泰英の『吉原裏同心シリーズ』の一幕のようでもあり、また八頭司周五郎の振る舞いは酔いどれ小籐次シリーズの小籐次のようでもあり、まさに佐伯泰英節が満載の一編となっているといえます。

 

 

しかしながら、やはり本書『初詣で 照降町四季(一)』で描かれいるのは佳乃の職人としての生き方です。そしてその佳乃を見守る宮田屋がいて、町の人々がいるのです。

特に宮田屋の大番頭の「一足でも多くの履物を手掛けなされ」との言葉などは、職人としての佳乃をみとめ、育てようとしてる気配を伺うことができますし、それ以外にも町の人々のあたたかい声があります。

そうした人情ものとして本書は捉えることができるのであり、これまでの佐伯泰英作品とはちょっと異なったシリーズ作品として楽しむことができそうです。

照降町四季シリーズ

本『照降町四季シリーズ』は、下駄や草履の鼻緒を挿げることを業とする女職人の姿を描き出した人情小説です。

佐伯作品としては珍しい、町娘が主人公の青春小説で人情小説だと言える、さすがに読ませるシリーズ作品です。

 

照降町四季シリーズ(2021年09月22日現在)

  1. 初詣で
  2. 己丑の大火
  1. 梅花下駄
  2. 一夜の夢

 

照降町四季シリーズ』について

 

佐伯泰英の数多くのシリーズ物の中でも、江戸の町人を主人公にした作品と言えば『鎌倉河岸捕物控シリーズ』しか思い浮かびません。

この作品は鎌倉河岸を舞台に四人の幼馴染の成長を描く物語で、中でも十手を持つようになった政次を中心にした捕物帳でした。

ただもう一冊、私は未読なのではっきりとは言えないのですが、近ごろ出版された『新酒番船』という作品が町人を主人公としているようです。

 

 

その上、『照降町四季シリーズ』特設サイトによれば、本シリーズは全四巻となっているそうで、電子書籍、単行本、文庫本が同時に発売され、以降一月ごとに出版されるそうです。

 

この『照降町四季シリーズ』は、江戸は日本橋近くの魚河岸と芝居町との間に挟まれた、小網町と堀江町との間の、雨の日の傘、晴れの日の下駄・雪駄を売る店が多く軒を連ねていたことから「照降町」と呼ばれていた町を舞台とする物語です。

そこに、魚問屋に奉公していた三郎次と駆け落ちしていた「鼻緒屋」の娘の佳乃が三年ぶりに帰ってくるところからこの物語は始まります。

佳乃は、三郎次から売り飛ばされそうになってやっと目が覚め、愛想をつかして帰ってきたのでした。

登場人物としては、主人公の佳乃、それに佳乃の父親で「鼻緒屋」の二代目の弥兵衛、母親の八重がいます。

それに「鼻緒屋」の手伝いとして八頭司周五郎というもと豊前小倉藩士の浪人がいますが、この人物も過去に秘密を抱えていそうです。

それに、「鼻緒屋」の後ろ盾となっているのが、弥兵衛が暖簾わけをしてもらった下り傘・履物問屋「宮田屋」の主の宮田屋源左衛門がいます。この先、主人公佳乃の力となってくれそうな存在です。

 

この『照降町四季シリーズ』は「鼻緒屋」の娘が主人公佳乃であり、鼻緒を挿(す)げること、挿げ替えることを仕事とする職人です。

江戸の職人を主人公にした作品もいろいろと描かれていますが、下駄や草履の鼻緒を挿げる職人というのは思いもよらない職業でした。

しかし、考えてみれば下駄の鼻緒がきつすぎたり、緩すぎたりすればとても履きにくいものではあります。その職人がいても不思議ではないでしょう。ただ、現実にその職人がいたのか調べても分かりませんでした。

ただ、「浅草老舗 辻屋本店」のサイトでは下駄や草履などの履物に関する様々な情報を載せてありました。なかでも下記サイトは本書を読むにはいいサイトだと思います。

 

江戸の町での女職人を主人公にした作品といえば、高田郁の『みをつくし料理帖シリーズ』という作品があります。

この作品は、大阪の「天満一兆庵」の再興を夢に女料理人の澪が江戸の町で困難に立ち向かう姿を描いたベストセラーとなったシリーズ作品です。

 

 

また、上絵師として独り立ちしようとする律という娘の一生懸命に生きている姿を描く長編の人情小説である知野みさきが描いた『上絵師 律の似面絵帖シリーズ』という作品もありました。

 

 

他にもいろいろな職業の女性を描いた人情小説があります。

 

本『照降町四季シリーズ』は、これまでの佐伯泰英の作品群とは少し違った、しかしやはり佐伯作品であることは間違いのない、面白いシリーズになりそうです。

先述したように、このシリーズは毎月出版されるということですので、楽しみに待ちたいと思います。

 

以上は第一巻を読み終えてからの本シリーズに対する期待も込めて書いた文章でした。

やっと本シリーズを読み終た今、結論から言うと、予想に反してこれまでの佐伯泰英の作品とほとんど変わるところのない作品でした。

第一巻『初詣で』こそ女性職人の佳乃の姿を描き出した人情小説の趣を持っていると感じたのですが、第二巻あたりからは鼻緒屋に奉公する素浪人の八頭司周五郎を中心とした物語へと変化していきます。

そして結局はこれまでの佐伯泰英作品とあまり変わらないシリーズになったといえます。

つまりは、新しい佐伯泰英作品として私の期待が高すぎたというべきであり、そうしたハードルを除けば、普通に面白い作品だったといえるのかもしれません。

普通の佐伯泰英作品として読むべきシリーズでした。

奈緒と磐根

本書『奈緒と磐根』は、文庫本で322頁の『居眠り磐音シリーズ』のスピンオフシリーズ第一作です。

磐根と奈緒の幼いころからの関係などが記された、磐根ファンにとってはたまらない一冊です。

 

『奈緒と磐根』の簡単なあらすじ 

全51巻で完結した平成最大の人気シリーズが復活!豊後関前藩中老職の嫡男・磐音の朋輩に妹の奈緒が生まれたその日(「赤子の指」)。四歳の奈緒が磐音の嫁になると口にした日の出来事(「梅雨の花菖蒲」)など、本編では描かれなかった、ふたりの幼き日々からやがて迎える悲劇の直前までの五つの物語を収録。万感胸に迫る一冊。(「BOOK」データベースより)

 

第一話 赤子の指
九歳になる坂崎磐根、小林琴平、十歳の河出慎之輔はみな豊後関前藩藩士の嫡男であり、身分は異なるものの幼なじみとして仲良く過ごしていた。

二泊の予定で魚島にいた三人のもとに、磐根らよりも九歳年上で諸星道場の子供組を仕切っているという坂出慎太郎が腕試しだと仲間を引き連れてやってきた。

翌日、金平の妹の奈緒が生まれた。

第二話 梅雨の花菖蒲
幼いころから父正睦の家来の市来に稽古をつけてもらっていた磐根は、十二歳のときに中戸道場へと入門が決まった。

中戸道場からの帰りに琴平の母親と奈緒と出会った磐根は、二人と共に磐根の家へと帰るが、そのとき磐根は奈緒と夫婦の約定をするのだった。そこに琴平の小父の永崎平助という男が金を無心に来た。

第三話 秋紅葉の岬
豊後国内には十五の小大名間の十八歳以下の若侍同士で行う「豊後申し合い」なる試合があり、十七歳になった磐根たち三人は中戸道場を代表してこの試合に参加することになった。

一方、琴平の父の助成が病で医者に掛かれないでいることを知った磐根は、父正睦に頼み助成を医者に診せ養生させる。

第四話 寒梅しぐれ
関前城下に積雪があった朝、磐根は道場主の中戸信継に稽古をつけてもらい、さらに雪見酒を飲むこととなった。

信継は二十二歳になった磐根に藩の内情について話し、江戸行きが決まっている磐根に、佐々木玲圓道場の住み込み門弟となるように勧める。

仲居半蔵が江戸行きを命じられ、出立の日に襲われるものの、覆面の磐根に助けられ、磐根もそのまま姿を消した。

第五話 悲劇の予感
二十四歳になった磐根は初めての江戸勤番で、神保小路の佐々木道場に入門し、道場主の佐々木玲圓本人に直接に猛稽古をつけてもらうことになった。

一年後、河出慎之輔とさらに小林琴平までも江戸へと出てきた。

 

『奈緒と磐根』の感想

 

居眠り磐音 スピンオフシリーズ』の項でも書いたように、『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』のファンとしては、本編が終わった今、外伝を読めるこの企画は大歓迎です。

ましてや、衝撃的な『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』の第一巻『陽炎の辻』での衝撃的な始まりに至る、幼馴染の磐根、琴平、慎之介という三人の物語が読めるのですから、これを読まないという手はありません。

 

 

ただ、そうして始まった本書は、期待に違わないものでしたが、その話し方やその考え方に違和感を感じました。

つまり、磐根が九歳にしてすでに尚武館佐々木道場が尚武館坂崎道場となったころの磐根であって、とても九歳の子の話し方ではないし、また考え方でもないと思われるのです。

でも、まあその点は物語の展開に支障があるわけでもないし、そう言いがかり的なことを言わないでもいいかもしれません。

単に好みの問題と片づけられてもあまり反論する気にもならないくらいです。

 

問題はストーリーであり、その点はさすがに佐伯泰英の物語であって堪能できました。磐根と奈緒の将来は読者にはわかっていることではあるため、より感情移入できる物語となっています。

第一話では無人島に行き一夜を過ごす三人の姿を描くことで三人の関係性がよく分かりましたし、関前藩での中戸道場と諸星道場という二つの道場の関係も示してあります。奈緒の名前もここで登場します。

第二話では、奈緒と磐根との関係性を中心に、幼い二人のほほ笑ましい姿が描かれています。また、磐根の将来を垣間見せるエピソードもあります。

第三話では十七歳となった磐根の剣士としての将来を占う、「豊後申し合い」という試合が中心です。また、磐根の坂崎家と琴平の小林家との関係性も見えています。

第四話になると二十二歳になった磐根と師匠の中戸信継との二人の姿が描かれると同時に、国家老の宍戸文六の専横を軸とした関前藩での権力争いに巻き込まれる磐根の姿があります。

最後の第五話では、二十四歳になった磐根の江戸での生活の一端が描かれ、藩の改革を目指す磐根がいます。そして、ここに『陽炎の辻』へと連なる悲劇の萌芽があるのです。

 

居眠り磐音江戸双紙シリーズ』第一巻の『陽炎の辻』を読んだのはもう十数年も前のことになるので内容はあまり覚えてはいませんが、その頃の磐根は関前藩の改革などの意思はなかったと思います。

ただ、友を斬り、想い人を失った浪人として江戸に流れてきたと覚えています。そこらの齟齬も含めて今回の決定版で修正してあるのでしょう。

そういう意味でも新しい『居眠り磐音 決定版 シリーズ』をまた最初から読んでみたいものです。

 

今後、この『居眠り磐音 スピンオフシリーズ』では、『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』に登場する人物たちの若かりし頃が描かれるそうです。楽しみに読みたいと思います。

居眠り磐音 スピンオフシリーズ

『居眠り磐音 スピンオフシリーズ』(?)は、この名前が本当にシリーズ名としてあるのかは分かりませんが、『居眠り磐音(江戸双紙)シリーズ』のスピンオフという位置付けのシリーズです。

『居眠り磐音(江戸双紙)シリーズ』に登場する主人公以下の登場人物の若かりし頃を描き出す、ファンが心待ちにしていたシリーズです。

 

『居眠り磐音 スピンオフシリーズ』(2021年06月08日現在)

  1. 奈緒と磐音 居眠り磐音
  2. 武士の賦 居眠り磐音
  3. 初午祝言 居眠り磐音
  1. おこん春暦 新・居眠り磐音
  2. 幼なじみ 新・居眠り磐音

 

『居眠り磐音 スピンオフシリーズ』について 

 

居眠り磐音江戸双紙シリーズ』も完結し、なお、『居眠り磐音 決定版』として前面改定が為されています。

そんなときに「奈緒と磐根の間柄で書き残したことがあることに」気が付いたため、「決定版」の「手直しをしながら『奈緒と磐根』を認め」たそうです。

奈緒と磐根』での著者佐伯泰英本人の「あとがき」にそう書いてありました。

 

調べてみると、本シリーズ第一巻の『奈緒と磐根』では、磐根と幼馴染の小林琴平、河出慎之介、そして琴平の妹である奈緒、舞の幼い頃の姿が描かれています。

第二巻の『奈緒と磐音 居眠り磐音』では、磐音の弟弟子の重富利次郎、松平辰平、それに途中から仲間に加わった忍びの者である霧子たちの若い頃の姿があります。

第三巻『初午祝言 居眠り磐音』では、品川柳次郎とお有、南町奉行所の名物与力・笹塚孫一、刀剣の研ぎ師・鵜飼百助などの若い頃が描かれています。

第四巻『おこん春暦 新・居眠り磐音』では、おこんの若き日が、そして第五巻『幼なじみ 新・居眠り磐音』では磐音の深川暮らしの師匠でもあり唐傘長屋に住む鰻取りの少年幸吉と幸吉の幼馴染のおそめの物語だそうです。

 

居眠り磐音江戸双紙シリーズ』のファンとしては、スピンオフシリーズともいえるこの企画は大歓迎です。

ましてや、『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』の第一巻『陽炎の辻』での衝撃的な始まりに至る、幼馴染の磐根、琴平、慎之介という三人の物語が読めるのですから、これを読まないという手はありません。

そうして始まった本書は、期待に違わないものでした。

 

 

全五十一巻という長さの『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』も、そしてその改訂版としての『居眠り磐音 決定版 シリーズ』も完結しています。

再び、この決定版で全巻を通して読み直したいものです。

また、この後もスピンオフの物語が書き綴られていくかは不明ですが、続いていくことを期待したいものです。

赤い雨: 新・吉原裏同心抄(二)

本書『赤い雨: 新・吉原裏同心抄(二)』は、文庫本で312頁の『新・吉原裏同心抄シリーズ』第二巻の長編痛快時代小説です。

 

『赤い雨: 新・吉原裏同心抄(二)』の簡単なあらすじ 

 

京での修業先が決まった幹次郎と麻。その新生活は不穏な空気に包まれていた。祇園旦那衆らの寄合で、不審な殺人について探るよう依頼された幹次郎は、正体の見えぬ強敵に立ち向かうことに。一方、裏同心不在の吉原では、老舗の大籬がついに謎の山師の魔の手に陥ちてしまう。二つの町で進行する企みと危機の連続。裏同心幹次郎と吉原の人々の新しい闘いが幕を開けた。(「BOOK」データベースより)

 

祇園社境内の一角にある神輿蔵の二階に住むこととなった神守幹次郎の部屋に「京に長居することを許さじ」との文があった。

祇園にある禁裏門外一刀流観音寺道場へと通うことになった幹次郎は、そこに通う京都町奉行所同心の入江忠助に祇園の旦那七人衆のうち二人が殺された事件の調べを頼む。

また、一力の主の次郎右衛門から会うように言われた京都所司代密偵の渋谷甚左衛門は、事件の裏にいる西国大名は旦那七人衆に代わって京の商いの実権を握り、江戸に代わる幕府を考えているのではと言い、先方から幹次郎に仕掛けてくるように手を打ったというのだった。

一方江戸吉原では、佐渡の山師荒海屋金左衛門が買い取ったという大籬「俵屋」の番頭の角蔵と吉原会所会頭の四郎兵衛とが合う前に、角蔵は何者かに殺されてしまい、同心の桑原市松が乗り出すこととなった。

また、四郎兵衛は桑平と共に居場所の分かった俵屋萬右衛門に会いに出かけるが、俵屋は何かを隠したまま何も話そうとはしない。

そこで、四郎兵衛は俵屋の女衆頭のおとみから俵屋の内情を聞き、袋物屋美濃屋の若旦那小太郎の名を聞きだした。

しかし、小太郎というのは偽物で色事師であって、この後は身代わりの佐吉がこの色事師を追うことになった。

 

『赤い雨: 新・吉原裏同心抄(二)』の感想

 

前巻の『まよい道: 新・吉原裏同心抄(一)』から新たに京での暮らしを始めた神守幹次郎と加門麻の二人です。

神守幹次郎は祇園社境内にある神輿蔵の二階に、加門麻は祇園の一力茶屋にと落ち着き先も決まっていて、さらに、幹次郎は朝からの剣の稽古のあと清水寺の羽毛田亮禅老師と読経を共にし、その後産寧坂の茶店で茶を喫する日々が始まっています。

そんな幹次郎は、祇園の旦那衆との結びつきも強くなり、江戸の吉原同様にそれなりの問題を抱えている祇園の力になるべく勤めることになります。

 

一方、江戸では一見の客を取らない独特の商売を行っていた大籬「俵屋」が乗っ取られるという事件がさらなる展開を見せていました。

そこで、幹次郎のいない吉原では女裏同心の澄乃が幹次郎の代わりを勤めていますが、やはり力不足は否めず、吉原会所頭取の四郎兵衛は廓の外での手助けとして同心の桑原市松や身代わりの佐吉らの力を借りることを決めています。

 

このように、前巻の『まよい道: 新・吉原裏同心抄(一)』から新たな展開に入った本吉原裏同心シリーズですが、物語も江戸と京都の二個所で繰り広げられることになります。

特に本巻『赤い雨: 新・吉原裏同心抄(二)』では江戸と京都の描写バランスが殆ど同等であり、見方によっては二つの物語の同時進行が楽しめる、とも言えそうです。

ただ、この点に関しては幹次郎の活躍が見たいという読者にとってはマイナス評価になりかねません。

 

とはいえ、特に京での幹次郎の物語は祇園社や京での天明八年の大火などの説明があったりと、これまでとは異なった今日ならではの説明もあり、物語には新たな視点が加わり面白くなったと思われます。

ただ、まだまだ推測ですが、先行きの物語の展開が国のあり方にもかかわるような大きな事件とのかかわりを持ちそうな気配があり、あまり話を広げない方がいいのではという危惧を持っています。

江戸吉原の存続というこの話の当初の設定が変化することは勿論いいとしても、あまり広がりすぎることはこの物語の焦点がぼけそうな気もするのです。

その点は作者の手腕でどうにでもできる、と言われればそれまでであり、それ以前にこの物語がどのように展開するのか分からない段階でいろいろいうのも違う話でしょう。

 

現時点では江戸にも京にも外部からの乗っ取りに近い脅威が迫っているということであり、それを今日では幹次郎が、幹次郎のいない江戸では吉原会所がどのように回避していくのか、が関心事であることしかわかっていません。

そして、今のところその物語の流れがうまい方向に流れているようであり、面白い物語として展開していると言えそうです。

今後の展開が待たれる本書『赤い雨: 新・吉原裏同心抄(二)』でした。

乱癒えず 新・吉原裏同心抄(三)

本書『乱癒えず 新・吉原裏同心抄(三)』は、『新・吉原裏同心抄シリーズ』の第三巻の長編時代小説です。

江戸吉原のために、今は京都祇園に尽くす神守幹次郎の前に禁裏と西国雄藩の影が立ちふさがります。

 

『乱癒えず 新・吉原裏同心抄(三)』の簡単なあらすじ 

 

禁裏の刺客・不善院三十三坊を斬った幹次郎。その直後から、禁裏と、ある西国の雄藩の影が祇園の町にちらつきはじめる。両者の暗い思惑を断つべく幹次郎は、入江同心と共に思いがけぬ場所へと潜入する。吉原では、澄乃と身代わりの左吉の必死の探索によって、吉原乗っ取りを企てる一味の正体へ少しずつ近づくのだが―。いよいよ決戦前夜か、手に汗握る展開!(「BOOK」データベースより)

 

前巻の終わりで、祇園の旦那七人衆のうちの四条屋儀助猪俣屋候左衛門の二人を暗殺した禁裏流の不善院三十三坊を倒した神守幹次郎だった。

その幹次郎は、京都町奉行所目付同心の入江忠助から、金に困っている禁裏の中の誰かと西国大名と手を結び、祇園の金と力を取り込もうと図っているらしい、という話を聞く。

また一力の主次郎右衛門からは、その禁裏のお方とは禁裏御領方の副頭綾小路秀麿卿であり、西国大名が薩摩であることは公然の秘密で、その重臣とは用人頭の南郷皇左衛門だとの話を聞いた。

そして入江と共に函谷鉾の地下蔵がツガルと呼ばれる阿芙蓉窟へと改装されていた様子を確認した幹次郎は、帰り道に襲い来た賊を倒しつつ、一力の主次郎右衛門へと報告をするのだった。

一方、江戸では澄乃が身代わりの佐吉に、老舗の俵屋を潰し、萬右衛門一家を死に追いやるきっかけを作った色事師の小太郎について相談をしていた。

そして共に探索をし、十間川北詰近くで小太郎の住み家と、柘榴の家を襲いおあきを攫おうとしていた三人のうちの兄貴分の亡骸賭を見つけるのだった。

 

『乱癒えず 新・吉原裏同心抄(三)』の感想

 

本書『乱癒えず』では京の幹次郎、そして江戸の澄乃たちのそれぞれの物語がわりと均等に語られています。

京の幹次郎は、入江同心と共に禁裏財政を握る一味と西国のとある大名とが結託した祇園を取り込もうとする勢力と戦っています。

一方、江戸では澄乃が、身代わりの佐吉や桑平同心の力を借り、吉原を狙う一味と対峙していたのです。

 

本書『乱癒えず』でも幹次郎が活躍が描かれていますが、いつものようい幹次郎の姿を主に描き出しているのではなく、遠く離れた江戸の澄乃らの姿もそれなりに描かれていまるからか、何となく物語に違和感が残りました。

でも、やはり物語の主な舞台がこれまで慣れ親しんだ吉原ではなく、京都の祇園を中心とした街並みであるところが違和感の大きな要因だと思われます。

幹次郎の日々の日課からして、祇園社の神輿蔵で目覚めたのち清水寺での羽毛田亮禅老師と共にする読経、産寧坂の茶店のお婆おちかと孫娘のおやすとの水汲みの手伝いなどと、江戸とは全く異なるのです。

 

その上、特に本シリーズでは清水寺や祇園社など由緒ある地名が並び、それに今も名高い祇園祭、正確には祇園御霊会の由来なども述べられており、やはり雰囲気が異なります。

その祇園御霊会の山鉾の一つで、天明の大火で焼失し再建もなっていない「函谷鉾」の蔵がこの物語の中心に絡んできます。

さらには、四条大和小路にある仲源寺の地下蔵で、猪俣屋候左衛門が隠した禁裏と西国雄藩との結びつきを明確にするとある日録を見つけたりもするのです。

こうした江戸とは異なる環境がこれまでとは違い印象を生んでいるとすれば、舞台を京に移した試みは成功していると言えるのでしょう。

 

今後どのような展開が待っているものか、先の見えないこのシリーズですが、江戸吉原の先行きも全く分からないので、さらに先が見えません。

そこに禁裏や薩摩藩が絡み、また幕府倒壊後の思惑まで話が進むとなると、少々展開が大きくなりすぎるのではないかという危惧も持ってきます。

また、同じ佐伯泰英の『酔いどれ小籐次シリーズ』がひらがなの物語(これもこの頃はそうでもないのですが)だとすれば、本シリーズが舞台が京都ということで寺社が絡むためか、物語全体が幹次郎の侍言葉も含め漢字尽くしという印象です。

幹次郎の断トツの強さと共に物語の運びも重くなっているのです。

シリーズ当初はもう少しくだけて読みやすい物語だったと思います。作者の腕に力が入っている様子もあり、もう少し軽めの物語を期待したい気持ちもあります。

 

とはいえ、今後の物語展開は気になるところです。

ストーリーを追うことが目的の印象もありますが、早めの続刊を期待したいものです。

鑓騒ぎ 新・酔いどれ小籐次(十五)

本書『鑓騒ぎ 新・酔いどれ小籐次(十五)』は、『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第十五弾です。

今回は、このシリーズの初回に戻るかのような「御鑓頂戴」事件が全編を貫く事柄として挙げられ、安定した面白さを持ったシリーズの一作品として楽しめる作品になっています。

 

鑓騒ぎ 新・酔いどれ小籐次(十五)』の簡単なあらすじ

 

文政9年正月。今年こそは平穏な日々を送りたいと願う小籐次のもとに元日早々、藤藩の近習頭・池端が訪ねてくる。旧主久留島通嘉が床に伏せって新年の登城を拒んでおり、窮状を救えるのは小籐次だけだという。じつは通嘉は何者かから、初登城の折、森藩の御鑓先を頂戴すると脅されていた。「御鑓頂戴」をもくろむのは何者か?(「BOOK」データベースより)

 

第一章 御節振舞
これ以上厄介ごとに巻き込まれないことを願う小籐次だったが、元旦早々、森藩近習頭池端恭之介から旧主久留島通嘉が二日の総登城を遠慮すると言っている、と伝えてきた。久留島通嘉は、森藩の御鑓先をを頂戴するという手紙を受け取っていたというのだった。

第二章 御鑓頂戴
元日の夜を豊後森藩江戸藩邸御長屋に泊まった小籐次は、初登城の鑓持ちの中間頭水邨勢造から鑓持ちの稽古をつけてもらう。おしんにこの騒ぎの真の犯人の探索を頼み、付け髭などで変装した小籐次は、二日の登城に二本鑓の一人として参加するのだった。

第三章 松の内騒ぎ
正月七日、研ぎ仕事のために深川へ行く途中、永代橋で降りた小籐次を見た駿太郎は、お夕のすすめに従い、新兵衛長屋で仕事をするのだった。案の定、下城の森藩行列に御鑓頂戴と七人が襲い掛かってきた。しかし、近くで休んでいた大黒舞の一人が立ちふさがり、池端恭之介と共にこれを撃退するのだった。

第四章 道場稽古
数日後、深川蛤町裏河岸の小籐次父子のもとに来た定町廻り同心の近藤精兵衛が、桃井道場の稽古開きへの同道を言ってきた。翌日、桃井道場へと行った俊太郎は、鏡心明智流道場へと通い同年代の仲間と稽古に励むこととなった。一方、望外川荘へ帰った小籐次に中田新八とおしんとが過日の騒ぎの報告をするのだった。

第五章 空蔵の災難
望外川荘を訪れた家斉は、竹藪蕎麦の美造親方の蕎麦に舌鼓を打ち、おりょうの「鼠草紙」に喜んで帰っていった。その折青山忠裕と共に望外川荘に来ていた田沼玄蕃守意正こそ、「御槍拝借」騒ぎの背後にいた人物であり、主君の知らないうちに家臣が為した騒ぎというのだった。
 

 

鑓騒ぎ 新・酔いどれ小籐次(十五)』の感想

 

新たな年の幕開けに際し、本書『鑓騒ぎ』で突然降ってわいた事件は、今度は小籐次がかつて引き起こした事件が、自分が属していた旧藩の森藩に降りかかってきたという話です。

すなわち、正月二日の総登城に際し、森藩の御鑓先を頂戴するという手紙が森藩主のもとへ届き、そのことを一人胸に抱え込んだ藩主をやはり小籐次が助けるというのです。

ただ、今回の御鑓頂戴騒ぎは、小籐次が起こした「御槍拝借」騒ぎに対する四藩による報復合戦とは異なり、全くの新しい事件として小籐次の前に現れたのです。

 

シリーズ物につきものの、主人公に対する新たな敵が現れたのかと思い読み進めましたが、どうもそこまでの話ではありませんでした。

こう書くこと自体がネタバレといえそうなのですが、このくらいの情報は読書する上で邪魔になる情報ではないでしょう。

この事件に対し、老中青山忠裕の密偵のおしんや中田新八らの力を借り、事件の背後にいる勢力を調べることになります。

一方、おりょうの「鼠草紙」の模写もひろく噂になり、将軍の耳にまではいることになるのです。

 

本書『鑓騒ぎ』で特筆すべきは、駿太郎の生活環境への配慮といえます。

南町奉行所定町廻り同心の近藤精兵衛の助けによって江戸の四大道場の一つといわれる桃井道場へと通うことになるという環境の変化です。

ここで、江戸の四大道場とは、千葉周作(北辰一刀流)の「玄武館」、斎藤弥九郎(神道無念流)の「練兵館」、桃井春蔵(鏡新明智流)の「士学館」といういわゆる江戸三大道場に、伊庭秀業(心形刀流)の「練武館」を加えたものです( ウィキペディア : 参照 )。

こうした駿太郎への配慮は、前巻でも書いたように一人の親としても、また読書人としても、作者の目線の人間性が垣間見える気配りとして安心できるのです。

あらためて、本『酔いどれ小籐次』シリーズの今後の展開が楽しみです。

旅仕舞 新・酔いどれ小籐次(十四)

本書『旅仕舞 新・酔いどれ小籐次(十四)』は、『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第十四弾です。

今回は、例幣使杉宮の辰麿という押し込みの一味と小籐次との対決が見どころとなっています。また、同時に非の打ち所のない少年として育っている駿太郎のこれからに思いを致す小籐次の姿もあります。

 

文政8年冬。日光街道周辺で凶悪な押込みを働いていた杉宮の辰麿一味が江戸に潜り込んでおり、探索に協力してほしいと小籐次は乞われる。その直後、畳屋の隠居夫婦、続いて古筆屋一家が惨殺された。一味の真の目的を探るうち、小籐次は自分やその周辺が標的にされる可能性に気付く。久慈屋に迫る危機を小籐次は防げるのか?(「BOOK」データベースより)

 

以下、簡単なあらすじです。

第一章 社参延期
久しぶりに江戸へと戻り久慈屋の店先で研ぎ仕事を始めた小籐次父子のもとに、南町奉行所定町廻り同心の近藤精兵衛らが来た。そして、上様の日光社参の延期理由の一つでもある押し込み強盗の例幣使杉宮の辰麿一味が江戸へと潜入したらしいと言ってきた。

第二章 研ぎ屋再開
おりょうが絵を含めた「鼠草紙」の模写を図るなか、久慈屋で研ぎ仕事をする小籐次の元へ難波橋の秀次親分が来て北品川の畳屋の古木屋の隠居所で三人が殺されたと言ってきた。現場を見ると押し込み強盗ではなさそうで、例幣使杉宮の辰麿一味とは関係が無さそうだった。

第三章 絵習い
小籐次は、十二歳の駿太郎が大人ばかりの中で育つことの是非を考えていた。一方、おしんからは例幣使杉宮の辰麿一味は幕府に反感を持つ集団であることを、また秀次の手下の銀太郎からは、南町奉行所近くの古筆屋藪小路籐兵衛宅で一家六人奉公人三人が惨殺されたと知らされるのだった。

第四章 鳥刺しの丹蔵
小籐次は久慈屋で会ったおしんから、届けられた四斗樽については全く知らないと聞いた。酒樽を調べると「いわみぎんざんねずみとり」という毒が入っていた。望外川荘へ久慈屋からの絵の具類の土産を持って帰った小籐次は、ひそかに久慈屋の用心棒を務めるのだった。

第五章 墓前の酒盛り
深川蛤町裏河岸での仕事中に同心の近藤精兵衛と秀次親分がきて、杉宮の辰麿こと鳥刺しの丹蔵は南町奉行所に恨みを持つ件があったという。近藤は丹蔵のねらいは肥前屋だとするが、小籐次は新兵衛長屋で眠りながらも鳥刺しの丹蔵らの真の狙いを考えていた。

 

老中青山忠裕の治める丹波篠山から帰ってきた小籐次一家ですが、江戸の町はやはり小籐次をのんびりとはさせてくれません。

南町奉行所定町廻り同心の近藤精兵衛や浪花橋の秀治親分らは、江戸の町に上様の日光社参が延期になった理由かもしれない押し込みの一味が潜り込んだかもしれないというのです。

丹波篠山への旅の間できなかった研ぎ仕事もたまっていて、それどころではない小籐次でしたが、息子の駿太郎に任せて飛びまわる日々へと舞い戻りです。

 

この例幣使杉宮の辰麿一味に関する件が今回の主な事件として全編を貫いています。

その他に、おりょうが篠山で写し、また記憶していた「鼠草紙」の再現を始めたことがもう一つの流れとなります。

さらに言えば、道理の分かったおとなたちの間で実に健やかに、非の打ち所がないように育ってきた駿太郎についての小籐次の危惧を、小籐次の周りの大人が察し、駿太郎を同年代の子供らの間に放り込むことを考えるのです。

大きくは、この三つの流れが本書『旅仕舞』の物語の構成といえるでしょう。

 

なかでも、おりょうの「鼠草紙」の再現はおりょうや小籐次、また望外川荘自体をより有名な場所へと持ち上げることになります。

そして、駿太郎にとっての新たな環境の構築という発想は、作者の子供に対する一つの見識を示したものとも取れ、読んでいて安心の感情を持ったことを覚えています。

小籐次の立ち回りは当然のこととして、それ以外のおりょうや駿太郎の生活、成長への配慮は楽しみでもあり、一人の親としても安心であるのです。

まよい道: 新・吉原裏同心抄(一)

本書『まよい道: 新・吉原裏同心抄(一)』は、『吉原裏同心シリーズ』が新たな展開を見せる『新・吉原裏同心抄シリーズ』の第一巻です。

京に着いて早々の新しい土地での新しい出会いや、何者かの襲撃を受ける神守幹次郎と加門麻の二人の様子が描かれています。

 

吉原遊郭の裏同心・神守幹次郎は、表向きは謹慎を装い、元花魁の加門麻を伴う修業の旅に出た。桜の季節、京に到着した幹次郎と麻は、木屋町の旅籠・たかせがわに投宿し修業先を探すことに。その最中、知人のいぬはずの京の町中で二人は襲撃される。一方、汀女らが留守を預かる吉原では、謎の山師が大籬の買収を公言し…。京と吉原で、各々の運命が大きく動き出す。(「BOOK」データベースより)

 

江戸吉原で謹慎となっているはずの神守幹次郎加門麻は、吉原会所頭取の四郎兵衛から紹介されていた木屋町通りの旅籠「たかせがわ」へと投宿した。

修行のために京都の町を見て回った二人だったが、島原の「ゆるゆるとした凋落」ぶりをを感じ取り、予定通りに島原での修行を進めていいものかを迷うのだった。

そこで、清水寺で知遇を得ることになった羽毛田亮禅老師や、祇園の一力茶屋の前で出会った江戸の三井越後屋大番頭の予左衛門らの知恵を借りることになる。

また、幹次郎の旧藩豊後岡藩の家臣らの不穏な動きを察知した幹次郎は、岡藩家臣と思われる暴漢の襲撃を受け、これを撃退するのだった。

 

本書『まよい道』から、吉原の裏同心である神守幹次郎の新しい物語が始まります。

すでに、『吉原裏同心抄シリーズ』として一度新たな展開を模索したこの物語ですが、今回新たに『新・吉原裏同心抄シリーズ』として、京都を舞台にした展開が待っているのです。

対外的には吉原会所七代目頭取の四郎兵衛から謹慎処分を受けたことを隠れ蓑に、京の島原での修行のために江戸を出た神守幹次郎と加門麻の二人が、やっと京都へとたどり着くところから本書『まよい道』の話が始まります。

 

この旅で特徴的なのは、幹次郎らが多くの人々へとの出会いがあることです。

まずは旅籠「たかせがわ」の主の猩左衛門、その旅籠で会った三井越後屋の隠居楽翁、清水寺の羽毛田亮禅老師、三井越後屋大番頭の予左衛門、一力茶屋の女将水木、祇園感神院執行の彦田行良など、主だったものだけでも多数に上ります。

悪い方でも、入京早々に幹次郎の旧藩の豊後岡藩の家臣に出くわしてしまい、何故か彼らの襲撃を受けたりもします。

 

本書『まよい道』では、幹次郎らの修行の場所や住まいを決める必要があり、それらが決まるまでの様子が語られることになります。

その過程で、先に述べた様々な人たちの力を借りることになります。この点はあまりにご都合主義的ではないか、とも思えます。

しかし、本書の中で登場人物が言うように、実に多くの重要人物らとの出会いがあり、また交流を深めることになるのですが、幹次郎らの人柄が人を寄せ、面倒を見たくなる、と読むべきでしょう。

 

ともあれ、修行の中身は未だ見えないままではありますが、京での落ち着き先も決まりました。

一方、江戸では、裏同心神守幹次郎がいないすきを狙って新たな面倒ごとが起きつつあります。

今後の展開がいかなるものになるのか、期待をもってこのシリーズを見守ることになりそうです。

鼠草紙 新・酔いどれ小籐次(十三)

本書『鼠草紙 新・酔いどれ小籐次(十三)』は、『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第十三弾です。

今回は俊太郎の実の父母の故郷丹波篠山への小籐次おりょう、そして駿太郎の三人での旅がテーマで、いつもとは異なった土地での活躍が描かれます。

 

小籐次一家三人は、老中青山忠裕の国許であり駿太郎の実母・小出お英の故郷でもある丹波篠山へと旅立つ。駿太郎はお英の墓に参り、実父の須藤平八郎の足跡をたどって亡き両親への想いを募らせるが、同時に養父母である小籐次とおりょうとの絆を盤石なものとした。しかしその小籐次一行を、お英の実兄・雪之丞が付け狙っていた。(「BOOK」データベースより)

 

第一章 篠山入り
文政八年(一八二五年)秋、丹波篠山ではおしんの従妹のお鈴らの篠山藩挙げての歓迎があった。お鈴の実家の旅籠に泊まった翌日、城代家老小田切越中らと会い、さらに家臣らとの立ち合うこととなる。

第二章 国三の頑張り
小籐次らのいない江戸では、久慈屋の店先に、手代の国三が作る小籐次父子の看板代わりの人形を飾ることとなった。一方、小籐次ら三人は浄土宗高仙山少音寺にある俊太郎の母親お英の墓へと参ったのち、お英の乳母お咲の従妹うねのいる柏原家へと向かった。

第三章 人形の功徳
柏原へと着いた一行は、お鈴の親戚の旅籠へと投宿した。翌日、小籐次とおりょうは俳人田ステ女の生家を訪れ、駿太郎はお鈴とともにお英の従妹うねに会う。その俊太郎をお英の兄小出雪之丞らが襲ってきた。

第四章 篠山の研ぎ師
久慈屋店頭の小籐次父子の人形には、評判を聞いた老中青山忠祐まで見物に来る始末だった。篠山城下に戻った小籐次は、城中の道場での対抗戦が十日後と迫っていた。他方、おりょうは篠山城の蔵の中で御伽草紙の「鼠草紙」に接し驚きを隠せないでいた。

第五章 八上心地流
五日後に迫った対抗戦を前に、小籐次父子だけで馬を駆って須藤平八郎を知る高山又次郎の誘いに乗って、須藤平八郎が心地流の稽古をしたであろう八上城址へと行く。そして、いよいよ江戸へと帰る三人がいた。

 

本書の主な舞台は江戸ではなく、丹波篠山です。

駿太郎の実の親である須藤平八郎とお英の故郷へ行って二人の墓に参り、小籐次とおりょうとの親子関係をより強固なものにしようとする旅でもありました。

ただ、小籐次には、老中青山忠裕からの密かな頼み事もあったのです。

 

江戸の描写が全く無いというわけでもありません。久慈屋の店先の寂しさを紛らわせようと、小籐次父子の紙人形を飾ることになり、そのことがひと騒動を巻き起こす、その姿が描かれています。

ともあれ、丹波篠山での小籐次の姿は相変わらずです。よそ者の小籐次を素直に受け入れることができない篠山藩士の様子も当然ながらあり、それに対する小籐次父子の活躍が描かれます。

 

ここで、本書に限らずではありますが、ちょっと気になったことがあります。

一つには、小籐次の言葉遣いです。一介の浪人の物言いとして、藩の家老などの高い役職に就くものに対しては別として、一般の藩士に対しての言葉遣いはこれでいいのだろうかということです。

かつては厩番でしかなかった、それも老人と言える浪人の小籐次が、藩士に対し本シリーズで描かれているような上からの物言いに聞こえる言葉遣いをしていいのだろうかと思いました。

痛快時代小説として看過できない間違いということでもなく、物語としては面白いのでまあ無視していいことなのでしょう。

もしかしたら、年寄りであるがゆえに年齢が上のものの言葉遣いとして当たり前なのかもしれません。

 

もう一つの疑問は、小籐次と俊太郎の剣の強さが半端ではないことです。勿論、子供の頃から船を漕ぎ、父親に鍛えられてきた小籐次ですから「御槍拝借」の騒動を起こすこともできたのでしょう。

とはいえ、れっきとした一藩の指南役を名乗る剣士に対しても、小籐次は何のこともなく対処し、これを倒してしまいます。小籐次と互角近くに渡り合った剣士と言えば、駿太郎の父親である須藤平八郎くらいしか覚えていません。

他にもいたのでしょうが、あまり印象にないのです。

小籐次の剣の強さは、宮本武蔵や上泉伊勢守信綱ほかの剣豪に並ぶ強さと思えるほどです。とはいえ、この疑問もあえて異を唱えるほどでもないことと思われ、単純に小籐次の強さを楽しめばいいのでしょう。

 

本書ではそうしたことよりもほかに、おりょうの関連で面白いことが書かれていました。それは「田ステ女 」であり「鼠草紙」です。

田ステ女」は実在の人で、江戸時代の女流歌人で、私も聞いたことがあった「雪の朝 二の字二の字の下駄の跡」という句は六歳の時に詠んだ句だそうです。

そして「鼠草紙」は、人間になりたい鼠が姫君と結婚するという話で、「御伽草子」の中でも絵巻物のかわいらしさから人気が高い話だそうです。

 
「田ステ女」に関しては、

 
「鼠草紙」に関しては、

をそれぞれ参照してください。
 

これらの歴史上の事柄を挟みながら、駿太郎の両親の物語と、老中青山忠裕が治める丹波篠山藩の事情が語られる話になっています。

なんとも、特別に大きな敵役が現れるわけでもなく、普通(?)に小籐次親子の話が語られるこの物語が妙な魅力を持っているのは何故でしょう。

やはり、小籐次というキャラクターの持つ魅力、そしその小籐次というキャラクターが自在に動ける世界を見事に作り出していることにあるというべきでしょうか。

今後も楽しみに読みたいシリーズです。