追跡者の血統

本書『追跡者の血統』は、「佐久間公シリーズ」の第三弾で、シリーズ初の長編ハードボイルド小説です。

地道なハードボイルド小説であった筈の物語が、主人公の佐久間公の過去までも明らかにする謀略小説の色合いを見せ、面白いのだけれど、これまでの印象とは異なる展開となっています。

広尾の豪華マンションに住み、女と酒とギャンブルとスポーツでその限りない時間を費す六本木の帝王・沢辺が、突如姿を消した。失踪人調査のプロで、長年の悪友佐久間公は、彼の妹からの依頼を受け調査を開始した。“沢辺にはこの街から消える理由など何もないはずだ…”失踪の直前まで行動を伴にしていた公は、彼の不可解な行動に疑問を持ちつつプロのプライドをかけて解明を急ぐが…!?大沢文学の原点とも言うべき長編ハードボイルド、待望のシリーズ第三弾。(「BOOK」データベースより)

 

主人公の佐久間公が行方不明になった親友の沢辺の行方を捜す、というのが本書の基本的な流れです。

これまでの本シリーズの二冊は短編集であり、法律事務所調査課に勤務する探偵という設定そのままの、派手さを押さえたハードボイルド小説でした。

ハードボイルド小説といえば大人の渋さを売りにしていたのですが、本シリーズは「若さ」、「青さ」を前面に出し、さらに東京の六本木などでスマートに遊ぶ若者の姿を背景にしています。

それに対し本書は国際的な謀略の渦に巻き込まれるという、少々荒唐無稽な設定になっている点が異なります。

 

おしゃれな街に溶け込んでいる若者の代表ともいえる存在が公の親友の沢辺でしたが、その沢辺の腹違いの妹の洋子と会う約束をしていたにもかかわらず、その時間に現れません。

公は沢辺の立ち回りそうな場所を片端から探しますが、なんの手掛かりもなく、最後に沢辺と別れたときの様子を思い出し、やっと手掛かりを見つけます。

その後、これまでのトーンとは異なった荒唐無稽ともいえる、国際的な組織との関りへとつながり、物語は佐久間公という男の過去へと繋がっていくのです。

 

この雰囲気の違いを、より面白い話として受け入れる人ももちろん居るでしょうし、そういう人にとっては実に胸おどる面白い物語として感じられることと思います。

しかし、個人的にはこれまでのシリーズの色合いが好みだったのでちょっと残念な気もします。

大沢在昌の描く物語であり、面白い物語であることは間違いありませんが、シリーズに期待していた個人的な好みからすると少しずれてきたのです。

 

ちなみに、本書の宣伝文句によれば、本書はシリーズの第三弾ということですが、実際はこれまでにもう一冊『標的走路』という作品が出版されています。

この『標的走路』は1980年12月に出版されており、大沢在昌のデビュー本だと言います( WEB本の雑誌 : 参照 )。それが種々の理由から幻の作品ということになり、その後復刊されて今ではジュリアン出版から出されています。

そして、この作品の内容が

 

東京騎士団

鷹野達也、二十五歳。若手の凄腕実業家。企業を分析し、情報を提供するのが仕事だ。友人の新進プロゴルファー・貝塚が襲われ、彼の恋人・秀子が拉致された。監禁場所へ乗り込んだ鷹野は、世界制覇をもくろむ若きエリート集団「超十字軍」の存在を知る。超十字軍からの勧誘を断った鷹野への報復は、貝塚と秀子の殺害だった。友人を殺され、怒りに燃える鷹野の凄惨な復讐劇が始まる。(「BOOK」データベースより)

 

大沢在昌の作品の中で、スーパーヒーローを主人公とする一連の作品群に位置づけられる、長編のアクション小説です。

 

本作品は入院時に病院内の図書館で借りて読み終えたもので、メモもなく、記憶だけで書いていますので少々雑になるかと思われます。

そのことを前提に記しますと、スピーディな場面展開やアクションなど、大沢作品らしい作品だとは思うのですが、少々物語の世界観が現実とはかけ離れていて今一つ感情移入しにくい作品でもありました。

 

そういう意味では、アクションファンタジーとでも呼べそうな作品です。

大沢作品では、『明日香シリーズ』のような荒唐無稽なアクションものと、『俺はエージェント』のようなコミカルなもの、それに『新宿鮫新宿鮫シリーズ』に代表されるシリアスなハードボイルドものと大きく分けられるように思っています。

 

 

本書は勿論そのなかの荒唐無稽な話として分類されると思うのですが、それなりに面白く読むことができた『明日香シリーズ』とは異なり、面白さの質が違うように感じました。

つまり、『明日香シリーズ』は女主人公が一旦は死ぬものの能移植を受けて蘇り、新しい命のもと任務に邁進する物語ですが、それなりに物語世界が成立していたと思うのです。つまり違和感をそれほど感じずに読み進めました。

似たような荒唐無稽な物語として、例えば月村了衛の『槐(エンジュ)』や『ガンルージュ』などもあります。

これらの物語は登場人物や舞台の設定が、エージェントだった過去を持つ人物の国内の特定の場所での活動であり、受け入れ可能な設定の範囲内であったと思われます。

 

 

しかし、本書の場合はそうではなく、違和感満載だったのです。

 

まず主人公の鷹野達也は、自らが開発したプログラムをもとに企業を起こし、若干二十五歳ですでに大金持ちのハンサムな男という設定です。

また、そこらの格闘家では太刀打ちできないほどの腕っぷしもあります。当然女にももて、遊び相手には事欠きません。つまりは、ジェームスボンドも顔負けの超スーパーマンなのです。

この主人公の設定がひと昔前のキャラクターの印象だったのも当然で、本書の出版日は1985年8月であり、あの『新宿鮫』が出版される六年も前のことだったのです。

第1回小説推理新人賞を受賞したデビュー作『感傷の街角』が1978年の発表ですので、第44回日本推理作家協会賞を受賞した『新宿鮫』との丁度中間あたりの、作者が上り調子の時期の出版ということになります。

この主人公自体が現実感のないスーパーマンであることに応じて、敵役がまた非現実的です。それは選ばれた若者らからなる世界征服をたくらんでいる超エリート集団の「超十字軍」という集団なのです。

本書が荒唐無稽だというのは、勿論以上のような設定だけでも十分なのですが、更に、主人公の鷹野達也を陰で支える存在がいるのですが、まるで本宮ひろしの漫画『男一匹ガキ大将』に出てくる「東北の老人」のような存在です。

 

 

この主人公が、「超十字軍」からの勧誘を断ったために親友を殺されます。ここから主人公の鷹野達也は、部下であり遊び仲間でもある大学生の路を相棒に、世界征服をたくらむ「超十字軍」なる組織に戦いを挑むことになります。

その上で、外国に出かけ、戦争を起こせそうな武器を到達し、とある島を根城にしている「超十字軍」を殲滅し、その親玉の正体を暴くのです。

 

以上、本書の感情移入しにくい非現実的側面ばかりを書いてきましたが、そうした荒唐無稽さを問題にしなければ、そこは大沢在昌の作品です。

アクション小説としてそれなりに面白いかとは思います。ただ、私は違和感を感じすぎたというだけです。

絆回廊 新宿鮫10

絆回廊 新宿鮫10』とは

 

本書『絆回廊 新宿鮫10』は『新宿鮫シリーズ』の第十弾で、2011年6月に刊行されて2014年11月に577頁で文庫化された、長編の警察小説です。

 

絆回廊 新宿鮫10』の簡単なあらすじ

 

「警官を殺す」と息巻く大男の消息を鮫島が追うと、ある犯罪集団の存在が浮かび上がる。中国残留孤児二世らで組織される「金石」は、日本人と中国人、二つの顔を使い分け、その正体を明かすことなく社会に紛れ込んでいた。謎に覆われた「金石」に迫る鮫島に危機が!二十年以上の服役から帰還した大男が、新宿に「因縁」を呼び寄せ、血と硝煙の波紋を引き起こす!(「BOOK」データベースより)

 

絆回廊 新宿鮫10』の感想

 

本書『絆回廊 新宿鮫10』は、文庫本で六百頁弱という大部の、新宿鮫シリーズ第十巻目となる長編の警察小説です。

本書では鮫島を取り巻く環境が大きく変化します。シリーズ十巻目という区切りだからそういう展開にしたのか、作者の意図は不明ですが、これまでのこのシリーズの根底で鮫島を支えていた存在が一気にいなくなるという展開は驚きでした。

 

鮫島は、違法薬物販売のプロである露崎という男から、警官を殺すために拳銃を欲しがっている大男がいたという話を聞き込みます。

今は解散して存在しない須藤会に関係があるらしいその男のことを調べるために、須藤会の生き残りを調べようとする鮫島ですが、暴力団担当の組織犯罪対策課からは迷惑だとの横やりが入ります。

しかし「警察官を殺す」という言葉を無視することはできずに問題の大男を探し続ける鮫島でしたが、そのことが中国残留孤児二世から構成されるグループ「金石(ジンシ)」へとつながることになるのです。

また鮫島は恋人ののことでも追い詰められていました。つまり晶のバンド「フーズハニイ」に内偵が入り、事件の進み方次第では晶の恋人として知られている鮫島は警察を辞めなければならなくなりそうだったのです。

 

前巻の『狼花 新宿鮫Ⅸ』で、シリーズ内で独特の存在感を有していた仙田こと間野総治を射殺するという衝撃的な結末を迎え、同様に重要登場人物の一人である香田との新たな因縁を作ってしまった鮫島でした。

それはまた、「金石」というグループを追及する鮫島と内閣情報調査室の下部組織に組み込まれた香田との新たな関係にもつながり、更には白髪の大男と陸永昌という謎の男へと結びつくのでした。

 

このシリーズは三十年前にでた第一巻から全部読み続けていますが、第一巻の鮫島は実にクールでまさにハードボイルドの主人公という雰囲気そのままだったと記憶していました。

しかし、本書の鮫島は確かに単独行が似合う孤高の刑事ではありますが、他者を排斥する冷たさは無いように思えます。

それは晶や香田に対する一歩引いた態度からくるものなのか、売人の露崎に白髪の大男に関する調査を依頼したことからくる印象なのかはよく分かりません。

ただ、当初の鮫島というキャラクターであれば異なる対応をしたのではないかと感じただけです。そもそも、当初の鮫島のキャラクターをよく覚えていないのですから比較の仕様もないのですが。

 

ただ、本書での鮫島は、大切な人との繋がりを失いつつも新宿署の他の警察官との新たなつながりを得たりもします。

もしかしたら、このような展開自体がこれまでの新宿鮫シリーズとは異なるのため、私の感じた違和感に通じるのかもしれません。

 

本シリーズに関するレビューを読むと、本シリーズは時事的な出来事を先取りしたり、織り込んであるということをよく目にします。

そういえば、本書で取り上げられている中国人残留孤児二世らによる暴力団まがいのグループなどの話はニュースでも見聞きしたことがあります。

そんなトピカルなテーマを取り上げてあるのも本シリーズの特徴と言えるのでしょう。そうしたトピカルなテーマと言えば、石田衣良の描くヤングハードボイルド作品ともいうべき『池袋ウエストゲートパークシリーズ』がそうでした。

実際に話題となったその時代の出来事を反映した事件が池袋で起き、主人公のタカシが、そして池袋のキングであるマコトが解決していきます。宮藤官九郎の脚本、TOKIOの長瀬智也主演でテレビドラマ化もされて人気を得ました。

 

 

新宿鮫シリーズ』の物語全体の印象はシリーズを通してあまり変わってはいないと思います。相変わらずに鮫島は鮫島であり、緊張感を持った物語はその世界に読者を引きずり込んで離しません。

ただ、本書では意外性に富む物語のその“意外性”が極端ではありました。この点、誉田哲也の『姫川玲子シリーズ』での『ルージュ: 硝子の太陽』と同様の展開だとも言えそうです。

当然のことながら作品の内容は全く緒となるのですが、両シリーズ共に長く、マンネリ化の回避のために思い切った転換を図ったのではないかと思われます。

 

 

わたしの場合、本書に続く『暗約領域 新宿鮫11』を先に読んでしまい失敗したと思っています。

作品の内容が『暗約領域 新宿鮫11』が本書を受けた後編とでも言えるものであり、鮫島の相方も登場するなどこれまでとは大きく異なる内容になっていたからです。

先に述べた鮫島のキャラクターの変容も、読む順序が前後したので私の先入観があってからのものかもしれません。

 

 

ともあれ、新たな次元に入った新宿鮫シリーズを読んで、昔読んだ本シリーズの第一巻から再読しようかと思ってきました。

暗約領域 新宿鮫11

暗約領域 新宿鮫11』とは

 

本書『暗約領域 新宿鮫11』は『新宿鮫シリーズ』の第十一弾で、2019年11月に刊行されて2022年11月に936頁で文庫化された、長編の警察小説です。

孤高の刑事を異色の経歴を持つ刑事を描いたハードボイルドシリーズという印象が薄くなっている印象の作品でした。

 

暗約領域 新宿鮫11』の簡単なあらすじ

 

薬物の取引現場を張り込んでいた新宿署生活安全課の刑事・鮫島は、男の銃殺死体を発見した。新上司・阿坂景子は鮫島に、新人の矢崎隆男と組んでの捜査を命じる。男は何者で、なぜ殺されたのか!?一方で、鮫島と因縁のある国際的犯罪者・陸永昌や元公安刑事・香田に不審な動きがー。シリーズ最大のボリュームと壮大なスケール!ラストまで一気読みの傑作長編!(「BOOK」データベースより)

 

暗約領域 新宿鮫11』の感想

 

本書『暗約領域 新宿鮫11』は、新宿鮫シリーズの第十一巻目となる長編のハードボイルドチックな警察小説であって、新刊書で七百頁を、文庫本でも九百頁を超えるという大作です。

前巻『絆回廊』で大切な二人を失った鮫島の、新しい立場での活躍が描かれています。

前巻での意外過ぎる展開を受けての続巻であり、前巻を読み逃したまま本書を読んだ私としては、少なくとも前巻を読んでからのほうがよかったか、とも思っています。勿論、未読でも十分に面白い物語です。

また、シリーズを読むのが久しぶりだったためなのか、シリーズの初めに感じていた、鮫島という孤高の刑事を描いたハードボイルドという印象が薄くなっているとも感じました。

 

今回の物語は、外国人相手の違法薬物の取引が行われているというタレコミにより鮫島が設置したヤミ民泊の取引現場の録画映像に、殺人の現場が映っていたことから捜査が始まります。

発見された死体は身元の手掛かりすらなく、捜査は壁に突き当たりますが、そこに田島組というヤクザが絡んでいることを知ります。

さらには、前巻『絆回廊』で鮫島の命を狙い失敗した陸永昌、別名樫原等や公安の香田もまた鮫島の前に現れるのでした。

 

 

前巻では鮫島のよき理解者であった桃井課長を亡くし、とも別れるという大きな変動がありました。

その鮫島が本書では、基本こそ大事だという新任の課長の阿坂景子に戸惑いつつ、この阿坂課長から刑事は二人組での行動が原則だからと、新任の相棒の矢崎と組まされてもいます。

単独での行動の中にこそ魅力があった鮫島が、自分の行動が相棒にとって不利益になるかもしれないと考えるなど、行動を自制せざるを得ない状況にあります。

そうしたことがこれまでの鮫島と異なる印象を持った理由だとすれば、作者の意図の通りであり、その点を疑問に思った私こそが読み込みが足りないことになりそうです。

 

しかしながら、そうした事情を汲んだうえでもなお組織に対する、もしくは仲間という存在に対する鮫島の考えがこれまでとは異なる感じはあります。

本書のストーリーが、例えば今野敏の描く『隠蔽捜査シリーズ』や、誉田哲也の描く『姫川玲子シリーズ』のように、チームとしての捜査の過程自体を描き出す警察小説と似た印象をうけたのです。

 

 

チームとしての捜査陣が活躍する物語とは異なるはずなのにそう感じるということは、孤高を保ってきた鮫島の、“仲間”を守るというこれまでにはない感情が前面に出ていることから来るのではないかと思われます。

“仲間”という観点からすると、数少ない鮫島の理解者である鑑識の藪との共同での張り込みというこれまでにない状況もあります。

と同時に、本来は敵対するはずの田島組の浜川との情報の交換、香田との奇妙な連携などが織り込まれているところからも来ているのかもしれません。

本来は晶という最大の理解者との別れを経た鮫島は、より孤独に、先鋭的になると思われるのですが、少なくとも本書ではその逆を行っているとも言えるのです。

 

ともあれ、前作『『絆回廊』』の出版から八年が経っています。個人的にはその前の『狼花(おおかみばな) 新宿鮫Ⅸ』以来の十三年ぶりの新宿鮫になります。

七百頁を超えるという長さの物語のため少々長すぎないかという思いはあり、また鮫島の印象の変貌もあるものの、やはり面白い作品であることは間違いありませんでした。

鮫島の今後の活躍をなお期待したいと思います。

帰去来

帰去来』とは

 

本書『帰去来』は2019年1月に刊行されて2022年2月に648頁で文庫化された、長編のパラレルワールド警察小説です。

たった一人、見知らぬ世界を生き抜こうとする一人の女性警察官の活躍を描くSFチックな冒険小説であり、楽しく読んだ作品でした。

 

帰去来』の簡単なあらすじ

 

警視庁捜査一課の“お荷物”刑事・志麻由子は、張り込み中に首を絞められる。「もうだめだ」と思って気絶し、次に目覚めた時、「光和27年アジア連邦・日本共和国・東京市」にタイムスリップしていた。由子は東京市警察のエリート警視で、たった一人の部下は、元の世界で分かれたはずの恋人だった。由子はエリート警視になりすまし、この世界で継続中だった捜査に着手するしかなかった。一方で、由子は自分がどうしてタイムスリップしたのか、そして元の世界に戻る方法に気づくのだがーー。執筆10年の超大作、パラレルワールド警察小説?(内容紹介(出版社より))

 

帰去来』の感想

 

本書『帰去来』は、異世界に迷い込んだ主人公の活躍が描かれるのですから、SF小説の中でもパラレルワールドものという分類にあたるといえます。

ユニークなのは、そのパラレルワールドと自分の所属する本来の世界とを利用した警察小説になっていることです。

 

SFと警察小説とのコラボ作品というと、人類社会と異星人とが共存する世界での、人間とロボットの刑事が組んで事件を解決するA・アシモフの古典的な名作『鋼鉄都市』があります。

また、警察小説に限らず推理小説とSF小説としてみると、人類の起源の謎に迫るJ・P・ホーガンの名作『星を継ぐもの』があります。

共にSFとしても推理小説としてもかなり話題を呼んだ作品であり、特に『星を継ぐもの』はSFファンならずとも必読の一冊であるといえます。

 

 

本書『帰去来』はそれよりもSF色は薄いものの、まるで戦後の新宿の闇市のような舞台設定を設けることで独特な雰囲気を出すことに成功しています。

主人公が目覚めてすぐに聞いた「光和」や「承天」という年号や、「東京市警本部、暴力犯罪捜査局、捜査第一部、特別捜査課、課長、志麻由子警視」という自分の身分など、これまでいた世界とは異なる言葉の羅列は印象的です。

このような世界を舞台に、巡査部長だった主人公志麻由子が、秘書官の木ノ内里貴の助けを借り、警視として特別捜査課を率いて活躍する姿は大沢在昌らしい物語です。

ここでの二大組織の対立という舞台設定は、黒沢映画の「用心棒」の原案となったことでも有名な、D・ハメットの『血の収穫』という作品を思い出してしまいました。対立する二大暴力団の存在という設定は物語を描きやすいのだと思われます。

 

 

それはともかく、本書『帰去来』は、異世界で起きた事件そのものの謎解きへの関心がわくとともに、主人公の志麻由子はもとの世界に戻れるのか、またそもそもなぜにこの世界への転移とい現象が起きたのか、と通常の推理小説の醍醐味に加えSFとしての興味も加味されているのですからたまりません。

さすがは大沢在昌であり、エンタテイメント小説の第一人者だけのことはあると言わざるを得ません。

 

ただ、良いことばかりでもなく、読み終えてからの印象がなんとも薄いという欠点も感じました。読後に心に残るものがないのです。

この作者の『新宿鮫シリーズ』を読んだ時のような主人公に対する強烈な愛着や、『狩人シリーズ』を読んだ時に感じたそれぞれの巻に登場してくる男たちへの憧憬のような印象がないのです。

 

 

本書『帰去来』では主人公の志麻由子の警官としてのアクションを含む行動もさることながら、木ノ内里貴に対する恋心や、父親との関係など、見るべきところが少なからずあります。

しかし、そのどれもが読後に改めて振り返らせるような、読者である私の心に響くものがなかったように思えます。そのどれもにインパクトが足りないと感じてしまったのです。

 

たしかに、本書はベストセラー作家の大沢在昌が書いた作品として水準を満たした面白さを持った作品だとは思います。大沢在昌という人の作品はそれだけで面白いのです。

ただ、今一つ心に刺さるものが無いように感じたということです。

漂泊の街角

“宗教法人炎矢教団総本部”この教団から娘・葉子を連れ戻してほしい―というのが今回の僕への依頼であった。僕が原宿にあるその教団へ娘を迎えに行くと、彼女は意外にも素直に教団を後にした。教団幹部の“オーラの炎によって彼女の身に恐しい出来事が起こる”という不気味な言葉を背に受けながら。依頼はあっさり解決した。但し、その肉のうちに葉子が喉を裂いて冷たくなっていなければ…。(炎が囁く)街をさまよう様々な人間たち。失踪人調査のプロ・佐久間公が出会う哀しみと歓び。事件を通して人生を綴るシリーズ第二弾。(「BOOK」データベースより)

 


 

本書は、佐久間公シリーズの第二弾のハードボイルド短編小説集です。

 

前作同様に、本書でも主人公佐久間公はかなりキザです。しかしながら、本書の出版時期が前作から四年近くも経っているからか、前作ほどに鼻につくというほどではありません。

全体的に、主人公の佐久間公の存在が落ち着いてきている印象はありました。それは作者大沢在昌の筆がうまくなったものか、読み手の私が佐久間公という存在に慣れたのか、それは分かりませんが、多分作者のうまさでしょう。

 

第三話の「悪い夢」は、佐久間公が撃たれ、瀕死の重傷の中で物語が進行するという話です。ハードボイルドとしてはそれほど好みではなかったのですが、佐久間公という個人を裏から描いた作品であり、わりと気になる作品でした。

この作品には岡江という新たな探偵が登場しますが、この岡江がこれから先、このシリーズにどのようにかかわってくるのかよくわかりません。

もしかしたら、「悪い夢」に限っての登場なのかもしれませんが、多分シリーズに関わってくるのだろうと思います。それだけの存在感を持っているのです。

 

もう一話、五話目の「ダックのルール」が、妙に気になりました。

傭兵が安定的な生活を求めて危険を冒すという設定なのですが、これまでに読んだことがない設定ということもあり、少々違和感を感じたのも事実です。

佐久間公という調査員の話からすると少々物騒で、飛びすぎているという印象ですが、ダックという男が気になったのだと思います。

 

ミステリーとしては最終話の「炎が囁く」が一番しっくりきた話でした。読者としてミステリーの展開に関心が持てたのもありますが、公の相棒である沢辺とともに行動する点で、私の好みのリズムになっていたのが一番のような気がします。

佐久間公シリーズ

佐久間公シリーズ(2019年06月29日現在)

  1. 感傷の街角
  2. 標的走路
  3. 漂泊の街角
  1. 追跡者の血統
  2. 雪蛍
  3. 心では重すぎる

 

本書の主人公は、とある法律事務所に勤務する佐久間公という名の調査員です。

そして、シリーズの第一作である短編集が『感傷の街角』であり、著者である大沢在昌のデビュー作であって、この作品で第一回小説推理新人賞を受賞しました。

デビュー作だからでしょう、この作品での主人公は実にキザです。普通、ハードボイルドの主人公は洒落た言葉を発し、それなりの腕っぷしを持っていたりもするのですが、この主人公の言葉はどこか浮いています。

 

本シリーズを読み始めて最初に思ったのが主人公の台詞の軽さ、ですが、その次に思ったのが、調査部を自分の事務所で持つような法律事務所が東京にはあるのだろうかということです。

たしかに法律事務所では、離婚事件などで私立探偵事務所に調査を依頼することはあります。しかし、調査員を自前で持つような法律事務所など、考えられなかったのです。

この点に関しては第二巻の『漂泊の街角』の北原清氏のあとがきに、次のようなことが書いてありました。

主人公が属する事務所は、「早川法律事務所は巨大な法律事務機構である。擁している弁護士は“社長”の早川弁護士を含めると十数人に達する。機構の中には調査課が二つあり、下請け興信所を必要としない。一課は証拠収集、二課は、失踪人調査をその業務としている。」のだそうです。

そして、第一回小説推理新人賞選考会での、生島治郎や海渡英祐、藤原審爾の三人の選考委員の、こんな巨大な機構を持った弁護士事務所は存在しないのではないかという指摘に対し、著者の大沢在昌は「あります」と言い切り、そのまま受賞するに至った、というエピソードを記してありました。

著者が言い切るのですから存在するのでしょう。この点は調べればすぐにでも分かることでしょうから、そんなに大きな問題点ではなかったのかもしれません。

 

主人公のキザさという点も、読みようによっては新人らしく、決して欠点とまでは言えないともいえ、また法律事務所の規模という点もあくまで小説として受け入れることができないわけではありません。

また、たまに登場する公の友人の沢辺の存在も見逃せません。これは、例えば石田衣良の『池袋ウエストゲートパークシリーズ』での真島誠と安藤崇の関係と同様であり、また東直己の『ススキノ探偵シリーズ』の俺と高田のようでもあります。

 

 

出版年月から見て本シリーズが一番古いことを考えると、こうした関係は「バディもの」という言葉があるように、一つのパターンとしてあるのでしょう。

いずれにしても、沢辺の存在は公の存在に暴力的な側面での助けがあること、また勤務先の存在は、警察とのつながりという一面も有し、法律的にも正当性を持つ存在としての性格を持ちます。

その点では私立探偵ものと警察ものとの中間的な位置づけを持つとも言えそうです。

いずれにしても、大沢在昌という作家の成長すらも見える、読みごたえのあるシリーズだと言えそうです。

感傷の街角

早川法律事務所に所属する失踪人調査のプロ佐久間公がボトル一本の報酬で引き受けた仕事は、かつて横浜で遊んでいた”元少女”を捜すことだった。著者23歳のデビューを飾った、青春ハードボイルド。(「BOOK」データベースより)

 


 

本書の主人公は早川法律事務所の調査二課(失踪人調査専門)に勤め、とくに若者の失踪人を中心の調査では腕利きと言われる佐久間公という人物です。

まさに“人探し”というハードボイルド小説の王道をいく設定の小説であり、ただ、普通は「探偵」であるところを法律事務所の調査員としているところはユニークです。

年齢は二十代後半であり、ヤクザ相手にも腰が引けないだけの度胸は持っています。

 

本書は著者の大沢在昌のデビュー作だそうです。出版年だけを見ると本シリーズの第二作である『標的走路』の方が古いようですが、表題作の「感傷の街角」は1979年に書かれていて、この作品が文壇デビューということになるようです。

なお、この表題作の「感傷の街角」は第一回小説推理新人賞を受賞しています。

 

 

このところ大沢作品を読む機会が多いためか大沢在昌の描く本格派のハードボイルド小説を読んでみたくなり、かなり前に一度読んだことがある本作品集を読み直してみたものです。

最初に読んだのは三十年以上も前のことであり、その印象は覚えていないのですが、再読してみようと思ったのは何となくの面白さを覚えていたからでしょう。

 

ただ、今回本書がその期待に十分に応えてくれたかというと、微妙なものがあります。

何しろ、主人公がとにかくキザです。今の大沢ハードボイルドとはかなり異なります。

そして、そんな今の大沢作品を読んでいるからか、本書は、という当時の大沢在昌の持つ「ハードボイルド」のパターンに表面だけを当てはめて描写しているような、型にはまった印象なのです。

例えば、第一話も早くに、とあるディスコに行ったことがあるかと聞かれ、「チークタイムにスタイリスティックスがかからなくなってからは行かないな。」と答えています。二十歳代の男が初対面の暴走族の親玉に言う台詞とは思えません。少なくとも、違和感がある台詞でした。

 

気障であることは全く構わないのです。その気障さが物語にきちんと解消されていれば何の問題もありません。

例えば、北方謙三の『ブラディ・ドール シリーズ 』など、気障の最たる作品と思われます。しかし、小説としては見事に成立しています。

 

 

本書はそうではなく、台詞も浮き気味だし、行動も感覚的なことが多く、読んでいて微妙な疑問を覚えることが少なからずありました。

ですが、それらの疑問を覚えた事柄については、読後に読んだ「解説」で納得しました。本書の「解説」は池上冬樹氏が書いておられますが、この「解説」がなかなかにシビアに本書を分析してあります。

そこでは、本書についての作者の言葉として「もうトロトロに甘いんですよね。」という言葉を紹介してありました。そして、池上氏自身も「この“甘さ”には眉をしかめた」とも書いてありました。「二十台の作家が同じ年代のヒーローを十分に客観化していない憾(うら)みがあった」とも書いておられるのです。

ただ、作者としては、チャンドラーの描く大人の「渋さ」に対抗するには自分の「青さ」しかないと考えた、とも書いてありました。作者なりの計算もあったわけです。

 

実を言えば、「気障」であるとか、「甘い」だとかは主観的なものであり読者個々人で感じるところは異なるものでしょう。ただ、私はそう感じたのです。

とはいえ、大沢在昌という作家の若い頃の作品として、作品の未完成さを感じながらも面白く読んだ小説でもありました。

池上氏は、生島治郎が本書について「ハードボイルドのフィーリングを持った小説」と評している点をあげ、本書について「つまり、“私”でも“俺”でもない、“僕”という人称が似合う若者の“ハードボイルドのフィーリング”こそ味わうべきなのである」と書いておられます。

つまりは、本書はまだまだ男として甘さを持った一人の若者の「フィーリング」を楽しむ小説であって、渋い大人のハードボイルド小説ではありません。

しかし、そのことを前提としてみると読みごたえがある小説と言え、この先もシリーズを読み続けたい作品でした。

魔女の封印

特殊能力を活かし、裏のコンサルタントとして生きる女・水原は、旧知の湯浅に堂上という男の調査を依頼される。実は堂上の正体は新種の頂点捕食者―人のエネルギーを摂取して生きる―であることが判明し、さらに中国で要人暗殺に係わった頂捕が日本に潜入しているという。そんな折、水原と接触した堂上が行方を絶つ。( 上巻 : 「BOOK」データベースより)

水原は、自分の存在意義や能力を知らされた中国人の頂点捕食者が、ある目的をもって日本にやってきたと推測する。彼らの参謀は誰か、そして目的とは―。堂上は殺され、水原は中国人頂捕たちの行方を追うが、逆に中国安全部に拉致される。その裏では、国家的な陰謀が蠢いていた。「魔女」シリーズ第3弾。( 下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

大沢在昌著の『魔女の盟約』は、『魔女シリーズ』も第三巻目となる長編のハードボイルドエンターテイメント小説です。

 

登場人物
水原 裏社会のコンサルタント。男の人間性を一瞬で見抜く能力を持つ。
星川 元警官で性転換した私立探偵。水原の相棒。
湯浅 元警視庁公安部の刑事。現在は国家安全保障局(NSS)に所属
堂上保 東京・虎の門の古美術店「堂上堂」のオーナー。
須藤謙作 大阪の探偵。関西の広域暴力団・星稜会の依頼で堂上を調査中。
西岡タカシ ウエストコースト興産の事実上の経営者。
酒井 健康開発総合研究センターで頂点捕食者理論を専門にする女性研究員。
森まなみ ウエストコースト興産北京支店社員。
希家貴 ウエストコースト興産北京支店社員。
江峰 中国人グループのリーダー。日本に潜伏中。

 

前巻で韓国とさらには中国の国家機関まで巻き込んで一大スケールアップした展開を見せたこのシリーズでしたが、今回は“頂点捕食者”なる存在を引っ張り出し、また中国安全部を巻き込んだ、人間という存在そのものへの考察を不可避とする物語を繰り広げています。

 

これまでもシリーズのサブメンバー的に登場してきていた湯浅から頼まれ、水原は堂上という男の調査を依頼されます。しかし、彼は水原の能力をもってしてもその人間性を全く感知できない男でした。

じつは堂上という男は、生態系の中で最上位に位置する、他人の生命力を吸い取る能力を持った「頂点捕食者」と名付けられた一億人に一人の割合で発言するらしい、“新人類”ともいうべき存在だったのです。

そこに中国の国家主席に対する「頂点捕食者」による暗殺計画の話が絡んできます。

湯浅は、十四億人弱という人口を有する中国には十人以上の頂点捕食者がいるはずであり、そのうちの何人かが日本に来ていて、中国安全部の人間も彼らを捕らえるために来日しているというのです。

そこに、これまでも水原と因縁の深い西岡タカシが経営するがウエストコースト興産絡んできたのでした。

 

本シリーズは、男の人間性を見抜く能力を持つ女という、そもそもの設定自体がかなり突飛なものでしたが、巻を重ねるごとに一段とその度合いを増しています。

多分シリーズ最終巻となる本書では、動物の生態系の頂点にいる存在まで出てきました。それが「頂点捕食者」と名付けられた存在で、他者の生命エネルギーを吸い取り、それを自らのものとするのです。

地球上の動物の頂点にいると考えられている人類は、自分が食物にされることのない最上位の捕食者であるにはその数が多すぎ、自然の摂理は新たな頂点捕食者を創り出すというのです。

ただ、食物連鎖緒の頂点にいるにしてはその数が少なすぎ、また攻撃能力も有していないというのは自らの存在を確保し難く、自然の摂理が生み出すにしてはあまりに弱い存在である気もしますが、それはまあいいでしょう。

ここらの問題を突き詰めていくと、増えすぎた人間存在への考察へと進み、戦争や飢餓などの集団殺戮へと行きそうになり、収拾がつかなくなりそうです。

 

ともあれ、そうした存在として堂上という男が登場します。この男が存在感があります。この堂上と水原との会話は大人の会話としてかなり読みごたえがありました。

特に堂上が水原を評価する場面は、常に自分の存在を否定しがちに思える水原の内面をも見抜いているようです。水原に「問題は、すべきでないことをあの人にしていると、思っているあたし」と言わせるほどですから。

こうした会話の場面を書けること自体が、大沢在昌という作家の力量を示しているといえるのでしょう。

 

一億人に一人という存在を設定したことで、日本には一人、もしかしたら二人の「頂点捕食者」がいることになります。

それに対し、中国には十人以上の「頂点捕食者」がいる筈であり、当然中国政府が知らない筈はありません。そして中国安全部が絡んでくる話になってきます。

更には、西岡タカシや星稜会も加わり、いつものサスペンスアクション小説としての展開となるのですが、どうしても水原やその相棒的存在の星川との会話や水原の独白なりが増えています。

それは、この作者らしく、荒唐無稽な舞台設定なりのリアリティを追及してあるため、どうしても物語の流れを整理していく必要があるのでしょう。

しかし、前巻でも感じたように、人間関係が入り組みすぎて、若干筋を見失いがちになりました。その点がもう少し単純であれば読みやすいかとは思った次第です。

 

最終的に思いもかけない形でこの物語は終わりますが、その結論には異論もあるところかもしれません。とはいえ、それ以外にはない気もします。

 

読み終えて、大沢在昌という作家に対しての私の好みとしては、『新宿鮫シリーズ』や『狩人シリーズ』(Kindle版)をはじめとする地に足の着いたハードボイルドをこそ読みたいのだ、と改めて思いました。

 

魔女の盟約

過去と決別すべく“地獄島”を壊滅させ、釜山に潜伏していた水原は、殺人事件に巻き込まれるが、危ういところを上海から来た女警官・白理に救われる。白は家族を殺した黄に復讐すべく、水原に協力を依頼するが―。日中韓を舞台に、巨大な組織に立ち向かう女性たちを壮大なスケールで描く、『魔女の笑窪』の続編。(「BOOK」データベースより)

 

大沢在昌著の『魔女の盟約』は、『魔女シリーズ』第二弾の長編のハードボイルドエンターテイメント小説です。

 

前作『魔女の笑窪』で水原は、チョコレートショップの経営者という東山や九州の暴力団「要道会」と組んで「地獄島」を壊滅させるという拠に出ました。中国や韓国などの組織をも巻き込んだその事件のために、日本の警察や暴力団から追われる身となった水原は、日本を脱出し名も顔も変えて韓国に潜むことになったのです。

その韓国でこれまでの「地獄島」の行動の意味をなくしてしまうような殺人事件に巻き込まれた水原でしたが、上海から来た白理という女に助けられます。

その後、この女と行動を共にするうちに、「地獄島」の事件には裏があり自分は利用されたにすぎないことに気が付いた水原は、白理という女を助け、またこれからの自分が生きるために再び立ち上がります。

 

今回の水原は韓国や中国を舞台にしての活躍が大きな部分を占めています。

本書のあとがきを書かれている冨坂總氏は、「徹底したリサーチによって作品全体にちりばめられているディテールの細かさ」が、ストーリーを盛り上げてくれているといいます。

例えばとして、「上海の国家安全局と北京の安全局とのライバル関係をうまく展開に滑り込ませているあたり」は唸らざるを得ない、と書いています。

また、中国国内における少数民族の位置付け、中でも朝鮮族の扱いも絶妙だといい、さらには、韓国に持ち込まれるコピーブランドの工場が山東省に集中しているという設定も現実そのままであるといい、その取材力の確かさを称賛しているのです。

そうした緻密な取材の裏付けがあって初めて本作のような荒唐無稽な物語でありながらもエンターテインメントとしての物語のリアリティーが醸成されているということなのでしょう。

 

中国を舞台にした緻密な取材をもとにした作品といえば、麻生幾の『ZERO』(幻冬舎文庫 全三巻)がありました。あの作品も公安警察の緻密な描写の先にあったものは中国本土での壮大なスケールの冒険小説としての展開であり、現地を正確に抑えた描写でした。

 

 

また、現地の調査という意味では黒川博行の『国境』(文春文庫 全二巻)は北朝鮮を舞台にした物語でした。地理的な意味でもそうですが、それよりも組織としての北朝鮮の現状が詳しく描かれていたこの作品は、別な意味でも必見です。

 

 

ともあれ、本書の展開は第一作での水原の個人的な活動から「地獄島」への具体的な関りと移行していった前作とは異なり、日本の暴力団ももちろんのこと、韓国や中国のマフィアや更には中国の国家機関まで巻き込んだ壮大なものとなっています。

ただ、スケールが大きくなっている反面、その状況の説明のために頁数を割かなければならず、ストーリーを進めるうえでの登場人物や組織の説明が多く、今一つ物語としての面白さにのめり込みにくい印象はあります。

とはいえ、物語としての面白さがそれほど損なわれているわけではありませんので、これくらいは許容範囲でしょう。少なくとも私にとってはそうでした。

 

本書のような大人のファンタジー的な物語は受け入れがたいという人も当然いると思います。

しかしながら、丁寧な取材の元、きちんと構築された舞台設定の下で展開されるこうした荒唐無稽な物語を気楽に楽しむことこそがエンターテイメント小説という物語の醍醐味だと思っています。

そして、本シリーズはそうした期待に十二分に答えてくれる物語だと思うのです。